日だまり山行 馬頭刈山

橋元武雄     '93/12/04


12月04日 曇り
冨山、後藤、鈴木、関根、金谷、高橋、大森、田中、中村、宮本、他TBS.Bと日本紅茶から各1名。

立川駅に、田中、中村、後藤、関根、橋元が集合。かつて、善さんがトキノゼンサンシンボリになった浅間尾根のときも立川に集合したが、あのときの体の芯まで沁み込むような寒気に比べ、なんと穏やかな気温であることか。立川発8時44分の五日市行きに乗車。しかし、金谷氏が現われない。関根さんがやきもきして、発車間際までホームで待っていたが、ついに立川で映画でも見て帰るだろうとつぶやいて、諦めたようだ。

拝島から、冨山、鈴木、亀村、高橋など合流。五日駅で金谷氏を除く全員が集合する。駅前でビールと水10g×2水筒を仕入れ、タクシーで出発する。

軍道でタクシーを下りると、すぐに登山口である。食当は、後藤さんとぼくだった。タクシーを降りたところで、ぼくが“刺身は今回やめにした”と言ったので、一時はすわ食料不足か、ニジマスでも買い足すかと大騒ぎになった。しかしまあ、つねに飽食は中年の体に悪いと、そのまま登ることに決まった。腹を空かせて下界に降りれば、また酒も旨く飲めるではないか。

登山道は暗い杉の植林帯を縫っている。
何のことはない上りだが、ザックは、水10gとステンのコッヘル・セット、ガソリン2g、コールマン2台などを飲み込んでいるので、ぼうだの汗である。たちまち頭から水を被ったようになってしまった。しかし、2時間弱のコースだからたかが知れている。とはいうものの、頭刈山の前衛になる高明山までの上りは結構こたえた。

ぼくは先頭のほうを歩いていたが、高明神社の手前で、後の方が急に騒がしくなった。何事かと振り返ってみると、何と金谷氏が追い付いてきたのだ。全員拍手で迎える。さすがに長年梓の食客となっていた成果があらわれ、単独でコースを読めるようになったかと、いたく感激した。しかし、話を聞いてみると単にビールを買いたくてバスを降り、降りたところに登山口があったので登ってきたとか。ひとは変わらないものである。

大分しごかれてのちの山頂での宴会は、例によって盛大でありました。刺身の替りのタラバガニは、がさはあるものの正味は少ないので、やはり肴は全体に少なめというところだった。

山頂に水がないというので、善さんとぼくが担ぎ上げた20kgを越える水はまったく無駄になった。各自が持参した水筒の水だけで十分だったのだ。そのうち、寒冷前線が通過したため、急激に冷え込み、全員寒さでいてもたっても居られなくなって、
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一路五日市の飲み屋を目指したのである。

五日市の駅前で、昼にも負けない大宴会が始まったのはいうまでもない。しかし、それだけではおさまらない冨山さんは、新宿でも有ちゃんの店でまた一杯と言い出した。このひとは言い出したら止らない。こと飲むことに関しては。そこで、新宿経由組は大森氏を除いて、全員つきあうことになった。

1日に3回の大宴会というのは、だれにとってもコタエルものである。その結果だけをかいつまんで記録しておこう。

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冨山さんは、当然のように辻堂を通過し、熱海に1泊した。夜中にねぼけて、隣のひとを亀ちゃんと間違えて叩き起こし、朝一番に乗って取って帰したのはよいが、気付
いたらまた横浜であったという。

善さんは、亀ちゃんといつ別れたかさっぱりわからず、翌日になって気付くとザックや持ち物すべてをなくし、着のみ着のままでであったとか。

亀ちゃんは山手線を何度か不明なほど周遊してから、やっと常磐線に乗込んだと いう。まるで遠心加速器のなかの粒子のような軌跡を描いて帰宅したらしい。

ぼくは、有ちゃんの店で金を払おうとしたら、札だけがなくなっていて、亀ちゃんに借用し、蕨駅からけっこう重いザックを担いで夜中にとぼとぼと帰宅した。そして善さんではないが、翌日気付くと1枚しかない春スキー用の上着もなくしていたのである。

まともに家に帰ったのはチャウ一人ということで、今回の日だまり山行は、かつてないほど徹底した梓パターンでありました。
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