越後守門岳、浅草岳

橋元武雄     '93/08/11〜14


08月11日 晴れ
皇海山、上州武尊など二転三転して、大森氏の提案で越後守門岳、浅草岳と決まる。
冨山、高橋、大森、田中、河崎。

5時半に南浦和集合。台風一過で久々の夏日となる。快晴だった天気は、関越トンネルを越えると雨に変わる。まったく予想外の急変であった。夜の山道に少し手こずったが、守門岳山麓の二分キャンプ場に23時前に到着。田中氏の運転が荒いので、ぼくは車酔いでダウンしてしまった。激しい雨だったのでしばらく車中から様子をみる。小止みになるのを待ってテントを張る。この雨だというのに夥しい数の蛾が明りに群れてくる。テントに入られてはかなわない。尚やんの発案で、ランタンを雨の中に出して、誘蛾灯にしたが効果てきめんだった。おかげで、心置きなく宴会を楽しめた。ラッキョ(橋元自作)、アスパラ、カツオ、スズキ、タコ、セキアジの肴。コールマンのクールボックスのおかげでよく冷えたビールで乾杯し、酒は天狗舞が1升空いた。

08月12日 雨のち晴れ
朝になっても依然として雨模様。このキャンプ場は、車道のヘアピンカーブの角をそのまま延長したもので、簡単な野天の水場とかまどはあるが、トイレはない。広場にちょっと手を加えたといった程度だ。周囲は明るく開けていて、下に沢が流れてい
る。駐車場は、道路端を広げて、10台程度はゆっくり駐車できる。昨夜の雨では、水はけの悪いキャンプ場は幕営できるような状態ではなかったので、アスファルト舗装の駐車場に幕を張ったが、朝起きてみるとテントのなかは水浸しだった。

天気予報では午後から雨はあがるという。大森氏の提案で、せっかく守門の登山口にはいるが、守門を明日にしてコースの短い浅草岳にする。したがって、ベースは移動しないことになった。尚やんのカニオジヤで朝食をすませ、もっとも短距離で浅草岳に登れるネズモチ平を目指す。ダム工事のおかげか、途中のダムまで道路は立派なものだったが、そこを過ぎると道は細くなり、やがて舗装も途絶えた。ネズモチ平には11時前についたが、予報に反して雨の上がる様子はない。しかし、ここまで来たのだからと、あまり気は進まなかったが出発する。視界がまったくないので周囲の様子は皆目わからない。時折強くなる雨の中を、越後の山特有の、一直線の単調な登りをひたすら登る。前岳の分岐へ出ると湿原が現われ、木道が出てくる。これでなんとなく登って来た甲斐があったという気がする。イワショウブやキンコウカが咲いて、コバイケイソウの群落が現われた。まだ雪渓が残っていたので、ここでビニール袋にビールと雪を詰めて、冷やしながら山頂へ向かう。

雨の中、ビールとワインで乾杯。450円の
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フランスの赤ワインと、冨山さんが用意したフランスパン(実は冨山さんの行動食と後で知った)にバターの取り合せは絶品だった。前回の舟形山では、ワインとフランスパンはあったが、バターがなくて画竜点睛を欠いたことの反省だった。このワインは近くのディスカウント・ショップで買ったものだ。近頃この程度の値段でドイツやフランスのワインが何種類か置いてある。この種のワインに共通するのは飲み口の良さである。1,000円くらいの日本のワインは、何だかもさついた味がするが、外国の安ワインはどれもするっと入ってしう。日常的に飲み慣れてるものに対する評価基準の違いがあるような気がする。要するに彼らは水代わりに飲むのだ。くどくてはそうはいかない。

山頂で単独行の男の人と会った以外は登山者には出会わなかった。帰りは、嘉平与ポッチという小峰を通過して、ネズモチ平の林道の延長線上へ下る。下るにつれて天候は徐々に回復してきた。予報より約半日遅れたようだ。この下りは思ったより楽で、あっというまに林道へ着いてしまった。地図ではこの先も林道があるようになっているが、合流点が整備されたばかりの広い駐車場で、ここから先は廃道になっていた。見るからに紛らわしいトリアシショウマとヤマブキショウマが林道脇に混生していた。翌日の守門もそうだったが、低木地帯ではノリウツギの白い花とミズキの赤い花柄が、ブナ林ではタムシバの拳のような実
がよく目立った。

夕食の準備にかかるころは青空が広がりだした。気温はほとんどあがらず、初夏の様な快適な気候だ。昨夜、雨の中を大量に発生した蛾や羽虫類は、まったく現われない。いったいどこへ消えてしまったのだろう。自然の仕組の何と不思議なこと。今日の食当は、冨山さん。野菜シチューと恒例ミョウガの和物。メンタイコがいたんでいるから焼くかとか、いやいたんでいないからそのまま食べようと、イカの一干しが強烈な臭いがするので、洗ってからよく炒めようとか、いろいろあったが、翌日は新人の河崎君以外はなんの症状もでなかったようだ。今日は八海山と長陵。

昨日と打って変わって、乾燥した快適な夜である。宴会が済むと、そのまま駐車場のアスファルトの上で、各自ごろ寝をして夜空を眺める。今日は天の川もはっきりわかる。ひとわたり田中氏から主だった星座の説明があり、流れ星見物としゃれる。丁度今夜は、スイフト・タットル彗星によるペルセウス座流星群が一番よく見られるはずの夜だった。しかし、ピークが夜中の12時から1時ということで、結局は全員寝てしまって誰も見られなかった。日頃これほど長時間夜空を眺めていることはないから、結構な数の流れ星が観測できた。中には、ほとんど全天を横切るほどの大きな流れ星もあらわれ、歓声があがったほどだ。
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08月13日 晴れ、夜中から雨
今日は快晴。気温も上がらず快適である。河崎君のおかげで枕元まで、久々のモーニングティー・サービスがあった(もっとも、ぼくには善さんのモーニング・サービスのほうが嬉しいが)。彼は、実に細々とよく働いてくれた。若いということもあるが(彼と亀ちゃんとぼくは、それぞれ1回り違いの未年である。なんと24年の隔たりがある)、学生時代に山岳部に属していただけあって気配りがよく行き届いている。昔、慶応の学生達の山行に、客分で入れてもらっていた頃に見た彼らの動きを思いだした。河崎君があまりによく働くし、“ハイハイ...チェ!”などとは決していわないので、ことあるごとに亀ちゃんとの動物行動学的比較論が噴出したのである。梓では、不在のメンバーは何をいわれても文句はいえないという不文律があるが、今回ほど亀ちゃんが俎上に載せられたことはないかもしれない。

朝は涼しくても、昼には気温も上がるだろうからクールボックスは、川が山道の下をくぐっているトンネルにしまう。夕立でもきて増水したらと思ったが、まあママよ。キャンプ場から猿倉橋まで戻り、二口コースを登る。主稜線に到達する直前にチラっと越後の山らしさがでただけで、比較的登りやすいコースだった。しかし、稜線にでるとぬかるみに悩まされた。長靴のほうが良いかもしれない。

守門岳の少し手前に青雲岳がある。まるでどこかの線香会社のような名前だ。山頂が湿原になっていて、木道が通っている。小さいながら池溏も2ヶ所ある。すぐ目の前に守門の山頂が見えるが、こちらのほうが山上の宴にはよさそうである。でもとりあえず山頂までは行ってみよう。

途中で、犬の足跡らしいものがあったが、やはり山頂に青い目のシベリヤンハスキー犬がぐったり横たわっていた。我々と同年配の夫婦が連れてきたらしい。若い雌犬でいかにも手入れの行き届いた毛並みではある。いくら可愛いとはいえ、この種の犬をこの蒸し暑い山頂に連れてくるのは少しかわいそうな気がした。山頂にはまだ赤くなっていないアキアカネが多数群れていて、人が差し伸べた指先へ平気で止る。それに動作がやや緩慢で、木道で羽を休めているところを、踏み潰されてしまったものもいる。大森氏が珍しくシオカラトンボとムギワラトンボは、同じトンボで雄雌の違いだけだ、と昆虫学の知識を披露する。きっと息子と謎なぞでもして教えられたか、ラジオ子供相談室を一緒に聞いたに違いない。とっくに忘れていたが、ぼくもどこかで聞いた憶えがある。子供の頃はまったく違うトンボだと思っていたから、はじめて知ったときは驚きだった。帰ってから広辞苑で確認したら、シオカラが雄、ムギワラが雌であった。ついでにいうと、広辞苑は事典的な内容がすごく充実している。植物などでもへたな図鑑では出ていないような植物
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がイラスト入りで出ていたりする。茶花とか文化的・歴史的な背景のある植物の場合は顕著である(とくに初版、2版)。そのため、植物の検索に広辞苑をよく使う。

予測したとおり山頂は狭苦しいし、ガスもかかってきたので、青雲岳の湿原へ戻ることにした。この山ではすでに雪渓が消えてしまっていたので、ビールを手拭いで巻いて池溏の水をかけ、傘を差して直射日光を避けて風を送る。手間はかかるが、これでも少しは温度が下がる。山頂で昼寝をして体力を回復した尚やんと、膝を少し傷めて下りがきつそうな田中氏が、湿原へ戻ってきた頃には、もう我慢できないから飲んじゃえということになった。それでも適度に冷えていたから、あれでウチワでもあれば申し分なかった。

下山路は大岳経由で降りる。大岳の山頂で休憩したが、ここには信仰の対象になっていた形跡がある。守門の山頂には、警鐘以外何もなかったが、こちらには小さいながら社があり、鐘もある。鐘は壊れてはいたが、守門の真鍮製とは異なり、浮き彫りのはいった青銅の釣鐘のミニチュアだ。登山地図では標高からして守門岳がこの辺りの山塊の盟主となっているが、地元の人々には大岳が信仰の中心だったのではないか。名前からしてそうである。現に、下の保久礼小屋まで降りると、そこの地図には、3つのピークが記してあり、守門大岳、守門青雲、守門袴腰となっていた。登山地
図では袴腰は守門より少し北方のピークだが、小屋の地図では、いわゆる守門岳=守門袴腰で、たんに守門岳という名前はなかったのである。

キビタキ小屋、保久礼小屋を経由で下山する。どちらも無人小屋だが十分使える。保久礼小屋は古いが、木造モルタルの2階建である。保久礼小屋の前に泉があり、顔の汗を流して喉を湿す。この水はなかなか旨い。すぐ近くまで車で入れるらしく、ドライブついでの軽装の家族連れが何組かやってくる。小屋を後にして、大森氏が家族連れがやってきた林道をすたすた登りだしたところで、尚やんが道が違うといいだした。林道のすぐ脇から、山道が下っている。地図で確認すると、どうもそちらが正解らしい。これでは、遅れている田中氏にこの降り口は、絶対見つからないと誰かがいった。もちろん“そんなことをいっては田中さんに失礼だ”などと異論を挟むものはだれもいない。そこで、ぼくが彼が下りてくるのを待つことにした。しばし待って、彼と合流して、いったん山道を降りかけたが、結構膝が痛そうである。どうせ車道が入っているなら、傷めた足でわざわざ山道を降りることはない。先にぼくが降りて車で迎えにくることにした。テン場に戻って、車で林道を登りなおしたが、これは随分な距離があった。間違ってこちらを下ったら、えらいことだった。

時期が悪いので花は期待しなかったが、
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潅木帯ではアクシバの小さいピンクの花が可愛かったのと、稜線付近の草原にタカネアオヤギソウが目立った。ただアクジバやアオジクスノキなどツツジの仲間の、美味しい実の生る低木が、やたらに虫にやられている。ほとんど枝しか残っていないものまである。天候不順のせいだろうか。キンコウカもあるが、ミヤマアキノキリンソウのほうが多い。それに浅草岳には多かった、イワショウブ、コバイケイソウがこちらにはあまりない。近くの山なのに咲いている花は随分違う。面白いものだ。今回もまったくの勘違いで、マンサクをハシバミといってしまいあとで訂正したら、尚やんに“もう憶えちゃったのに”と文句をいわれた。しかし、あれはマンサク、それも正確にはマルバマンサクが正しい。尚やんにしてみれば、葉の先が寸詰りになっていて、端が齧られたように鋸歯状だから“端喰み”というS18年的堕洒落による発想なのだが、和名の“マルバ”も葉先が丸まっているところからきているらしい。やはり間違いは間違い。訂正します。

夕方の宴会は、大森氏のテンプラとソウメン。肴は冨山さんの和物アラカルト。考えたらテンプラは大森氏のレパートリーだったが、いつのころからかチャウが担当に代っていた。チャウ本人はあまり好きではないらしいが、揚げかたの程が絶妙なので、いつも頼んでしまう。今回は、故郷に帰って不参加なので久しぶりに大森氏のテンプラが賞味できた。たっぷり油を使い、助
手の河崎君の働きもあって、テンポ良く揚ってくる。食べごろの熱あつを心ゆくまで賞味でき、すこぶる満足した。八海山の残りと久保田がほぼ空く。

08月14日 雨
夜中、激しい雨になる。何ていう天気だ。朝起きるとまたテント内に水溜まりができていた。朝食は、元祖、冨山風ニラウドン。ときおり小止みにはなるものの、雨はしつこく降り続く。結局、朝食は雨の中の立喰いウドンという羽目になった。土砂降りの中、まだ雫のしたたるザックやテントを車に押込み、3泊も世話になった駐車場を後にする。

往路とは逆に(地域気象の変化としては同様に)関越トンネルを出ると雨は止んでしまった。帰りの温泉は、谷川温泉の水上町営のリゾート施設《湯テルメ》へ寄る。ここは、昨年パラグライダーで宝台樹へ通っていたころ、常宿にしていた民宿の女主人から聞いて知った。脱衣所が狭いのが難点だが、谷川沿いの露天風呂は広々として快適だ。2階には畳敷きの大広間があって、休日はいつも賑わっている。しかしここのサービスは、いかにも“町営”なのである。係員は毎回のように“今は混んでいるが、それでも良ければ入ってくれ”というし、あの広い浴場と休憩所があって、なぜか脱衣所はすぐ満員になる狭さだし、石鹸は固形と液状と2種類も置いてあるのに、シャンプーがなかったり、2階の休憩所に
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は“この給湯所では、持込みのインスタントラーメンのお湯は入れないで”と書いてあったり...なのである。つまり、サービスセンスのないものが、慣れないことを始めるとどうなるかの見本のような施設だ。救われる点は、気が効かないだけで、職員の誰にも悪気は感じないことである。公務員の仕事は、皮肉なことにパブリック・サービスという。

湯からあがるともう昼時だ。7月の尾瀬の帰りに、やはり湯テルメに寄ったとき、偶然入った近くのソバヤがあった。期待せずに入ったソバヤだったが、人当たりも良く、ソバ、ウドンもそれなりの出来で、今朝採ってきたという山菜のてんぷらまで喰わせてくれた。それが記憶にあったので、寄ってみた。しかし、今回は、ぼでぼてのそばを喰わされ、見事失敗だった。皆には申し訳ないことをした。たった1回だけの印象だったので、これほど出来不出来のある店とは知らなかった。帰りの高速は、お盆の最盛期は今日あたりからということもあって、上りより下りのほうが混雑していたようだ。
さしたる渋滞もなく、まあまあ順調だったといえよう。

記録(河崎)
8月12日(雨)
11:16 ネズモチ平発
13:16 前岳分岐
13:46 浅草岳山頂 宴会
14:30 山頂発
16:35 ネズモチ平着
8月13日(晴れ、のち曇り)
 8:05 二分テント場発
 8:25 登山口
 9:35 谷内平
10:25 見晴し台
11:55 大岳分岐
12:20 青雲岳
12:35 守門岳頂上
      青雲岳にて宴会
13:55 発
15:00 大岳
16:00 キビタキ小屋
17:00 テント場着
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