奥塩原放浪記

橋元武雄     '94/05/30〜05/31


05月30日 雨
鶏頂山。朝8時、東川口集合。
小鍋、鈴木、中村、田中、亀村。

車で家を出る頃に降りだした。今日は雨が上がる見込はないが、当然中止はしない。高速は空いていて、10時台に塩原の街を抜け、日塩有料道路に着いてしまった。この道路の途中にある奥塩原キャンプ場が今日の泊り場だ。善さんが下調べをしたが、水場の水道のノブの部分が取ってあり、水がでないという。昼食、つまり宴会までには時間が十分ある。別のキャンプサイトもあるかもしれないし、偵察を兼ねて鶏頂山の登山口まで車を進めた。

鶏頂山の周辺は、比較的なだらかな山容で、“これならスキー場周辺でもゴルフ場が造れそうだ”と思っていたら、やはりゴルフ場造営中の看板があった。山頂付近にはスキー場が3つも集中していたが、どれも片足で滑ったらおしまいになりそうなこじんまりしたスケールだった。しかし、設備はなかなか立派。シーズン中は塩原の町中からえらく渋滞するそうだ。一番奥のメイプルヒル・スキー場の先までいって登山口の一つである鳥居を確認してUターンする。別の登山口のある鶏頂山荘の下まで戻ったが、車止めがあったので、田中氏、亀ちゃん、善さんたちがガスのなかを偵察に出る。しばらくして、善さんがスキーのストックを1本だけ拾って戻ってきた。
どうせ持って帰らないだろう、車に忘れて
いくのに決まってる(案の定、家に帰ったらデリカの座席の脇ににストックあった。もっとも、それとは別に小さなバッグも残っていたが...とにかく善さんは必ずといっていいほど何かをデリカに残して帰る癖がある)。

またしばらく戻って一番塩原寄りのハンターマウンテン・スキー場による(後日、新宿の久絽で飲んでいるとき、スキーグラフィックの藤井氏が隣に座ったので、このスキー場のことを聞いてみた。ここは丸紅がスノーガンのモデル・スキー場として造ったそうだ。大森氏が飲めなくなったことを聞いて残念そうな表情をしたが、実は自分もひと事ではないと言いつつもパカパカとウイスキーを飲んで引き上げていった)。パラグライダー・スクールの看板があり、雨天でやってはいないようだが建物内に人影がある。車でゲレンデの相当奥まで入れるので、入ってみた。広い駐車場が各所にある。行けるところまりまで登ってみたが、鎖で通行止めにしてある。また善さんたちが鎖の先まで見にいったが、やはり水がない。ここからみると、鶏頂山と釈迦ケ岳がなだらかな山並みから飛出してみえる。小さい山だが、明日は急登になりそうだ。

ここもだめだったので、来がけに目星を付けておいた場所に戻る。道端に塩ビのパイプ製の樋があり、水が流れ出している。近くに涸れ沢があって、テントも張れそうだ。車を降りて、調べてみるとそこは旧道の橋の名残だった。橋はそのまま残って
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いるので、テントを張るには理想的だが、あまりに新道に近すぎて、車の音が気になる。そこで、善さんと2人で、涸れ沢に沿って踏み跡をしばらく登ってみた。ちょっとした薮を漕いで、涸れ沢まで降りたりしたが平坦な場所がない。ここもだめ。

亀ちゃんが“地図で見ると奥塩原キャンプ場には沢がある”という。それなら、諦めてキャンプ場へ戻るかといいつつも、途中でまた寄り道をして、サイト探しをした。その最中に、珍事発生。善さんが“胸のポケットに入れておいた定期を落とした”と言う。可能性のあるのは2ヶ所。ハンターマウンテンで鎖を飛び越えたときか、それとも旧道の涸れ沢で薮を漕いだときだ。

まず、見つけやすいスキー場の方へ行ってみたが、ない。次は、薮だ。さっき歩いた踏み跡を、チャウを除く全員で歩く。ぼくは、踏み跡から涸れ沢の河原へ降りる急斜面の可能性が一番高いとおもって、その辺りを入念に調べた。その間、河原まで下っていた善さんが、諦めた、もうないだろうと言いだした。急斜面から先はぼくと善さんは別ルートを取ったので、こちらは調べようがない。やむをえず、帰り始めた矢先、“あった”と善さんの一声。全員安堵の胸をなでおろす。車へ帰る道すがら、亀ちゃんが“梓って、面白いことがたくさんありますね”と笑っている。ぼくも“面白い人がたくさん集っているからさ”と返事をして、けらけら笑った。
このあとも素直に奥塩原キャンプ場へは行かず、地図にもない林道を迂回して宿が3軒しかない元湯まで下ってみたが、適当なサイトは見つからなかった。結局、3時間ほども奥塩原を放浪したあげく、キャンプ場へ戻ったのは2時少し前だった。キャンプ場の前の駐車場にトイレがあるので、最後はその水が使えるだろう。手分けして水源を探したが、地図にある沢は涸れ沢だった。キャンプ場一帯を一回りして戻ると、もう幕営の準備が始まっていた。車内に残っていた小鍋さんとチャウが“水場の水は最初から出たのだそうだ”という。善さんが調べたときは、指先に力が入らなくて栓が回らなかっただけで、亀ちゃんがやったら何なく水が出たという。善さんはまた“おもしろいこと”をしてしまった。

2時すぎからいよいよ雨中の大宴会が始まった。行動食とアサリの酒蒸しから始まって、アカイカとカンパチの刺身、残ったカンパチの煮付けなどど宴が進み、途中1時間半ほどの午睡を挟んで宴会を再開した。この間、話題は例によって山、人、植物、文化文芸論と広範囲にかつ朦朧と展開した。最後の仕上はカレー。これはテントでは作れないので、昨夜自宅でビーフストックをとり、タマネギとニンニクを炒めておいたものだ。ずいぶん時間はかかっているのだが、今回は何か味がものたりなかった。その前につまみが多すぎたせいもあるが、作った自分が食べ残してしまった。キャンプ場で食い物を残すのは一番気を
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付けているのだが、残念なことをした。

話題拾遺

話題 その1
善さんが田中氏と2人でいった連休の飯豊の山行で印象に残った花があったという。葉がイワカガミに似ていて花がもっと大きい。家に帰って図鑑を調べたらトクワカソウというらしい。しかし、ぼくはイワウチワのことではないかと感じた。実のところトクワカソウという名前は初耳だった。そのときはそのまま忘れてしまったが、そのあと会報のことで八重洲の華屋に集ったとき、またその話がでた。そこで、今度はぼくも家に帰って図鑑で調べた。イワウチワは地域による葉や花の形状の変異が多く別名も多いとあった。善さんの調べた山渓の『日本の野草』には、通常は同種の代表になるイワウチワを載せずに、変種のトクワカソウのほうだけを載せていたので、今回の混乱が起きたのである。

話題 その2
亀ちゃんが、この数日前に胃と腸の大検査をしたという。ほとんど3日にわたったその検査は綿密周到を極め、結果は、多少の糜爛を認めるものの今後5年の健康が保証されたという目出度い話だった。しかし、そのあとがいけなかった。宴会も終りに近付き、例によって寝込んでいる亀ちゃんを起こして、無理やりカレーを食べさせたが、少し食べて、またそのまま寝てしま
った。そのうち、何だか様子がおかしくなった。寝たまま繰り返しシャックリをしたかとおもうと、ついに仰向けのままピューっと胃の内容物を吹き出したのだった。ものがものでなければ“玉屋、鍵屋”とでも声のかかるところだが、そうもいっていられない。さすがに、起き出したものの、またゲロゲロ。診断によるところの糜爛のせいか、最後の嘔吐物には多少血も混ざっている。ぼくも完全に残りのカレーを喰えなくなってしまった。時間も時間だったので、これで本日の宴会は“打ち上げ”となった。今回は人数からして2升と缶ビール1ケースで十分と思ったが、念のため酒3升にしておいた。それがきれいになくなってしまったのだから、なかには犠牲者がでても止むをえないかもしれない。念のため、亀村氏は翌朝はケロッとして、起きがけからビールを要求していたことを報告しておく。

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夜中にますます雨が降り、夜が明けても降り続いた。沢筋にでも幕営していたら、いまごろとんでもないことになっていたろう。当然、今回の山行は中止である。久しぶりに山行に参加した小鍋さんには、天候のためとはいえ、気の毒なことになった。田中リーダーは“明日は天気は回復しますよ”といっていたので、みんなで問い詰めると“だって、はじめから雨だといったら気分が盛り上がらないじゃないですか。それに、中止にしたら、用意した刺身やカレー
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はどうなるんですか。ぼくははじめから雨だと思ってました”と居直る。酒は1滴もなく、ビールだけが数本残っている。田中食当の焼そばを食べて、10時半頃にキャンプ場を引き払った。まず温泉に入って、さっぱりした気分で恒例のとんかつ屋へいこうということになった。何軒か断られ、塩原の町中で「おんせんや」と看板の出ているさびれた旅館でやっと風呂に入れた。

温泉に入って気分を一新し、那須塩原インター手前のとんかつ屋に向かう。ここは、とにかく酒がよい。ここで善さんが、定期の中に入っていた1万円を寄付するといいだした。“どうせいったんはなくしたものだし、皆に迷惑をかけたから”と言う。これでまた一層盛り上がる。マイタケとタラノメのてんぷらは、揚げ方は別にしても量が予想外にあり、カジカの照り焼などの珍品もある。みな合格の水準である。

ぼくは、昨日からずーっと運転しているので、今日はこれで解放される。昨日から、
田中氏が“今回はぼくが運転します。あまり運転していないので、ぜひやりたい”などと何度もいっていたのに、パカパカと酒を飲んでいる。1万円も寄付して、一番飲む権利のある善さんが何故か運転することになっていた。まあ、とにかく山には一歩も足を踏み入れなかった割には、多様な話題に満ちみちていた今回の山行も、これでフィナーレである。

東川口に戻って、清算をしたところ、一人7千円で済んだ。最初に、共通費に各自1万円ずつ出しているので、3千円のバックである。善さんの寄付があるとはいえ、大の大人が2日にわたって、あれだけ飲み食いして、たった7千円。おもわず“これは安い遊びだ”と言ってしまった。数日あとになって気付いたのだが、実は酒代とカレー代は回収したのだが、刺身の代金を貰い忘れていた。それをいれても1万円には達しないから、やはり安い。しかし、これも善さんに倣って寄付ということにしよう。やはり梓は“おもしろい人”が多い。
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