金峰山

橋元武雄     '92/04/17〜04/19


04月17日 晴れ
東京駅明治屋前22時集合。20分ほども遅れる。
冨山、後藤、関根、金谷、高橋、大森、中村、田中、亀村。 善さんにはFAXが届いていなかったとのことで不参加。
夜中の1時過ぎに廻り目平着。
白々明けまで宴会。酒2升。

04月18日 曇り 寝不足と飲み過ぎで頭がガンガンする。例によって一番最後に起きたが、他のひとたちは自主的によく起きられると感心してしまう。昨夜の酒がたっぷり体内に残っているはずなのに、朝がけのビールはうまい。朝は雑炊。1杯だけいただく。

田中リーダは金峰山を目指すという。山に登る気分ではなかったが、来週からの八甲田のトレーニングもあるので、ついて行くことにする。登山組は、冨山、田中、中村、ぼく。あとは残留だが、登山道の始まる渡渉点まで見送りがてらいっしょに散歩する。

渡渉点の広場でちょっとした騒ぎが起った。残留組は、たのみもしないのに見送りにきて、ここで少し飲みたいからワインとビールをよこせという。しかし、こちらは山頂での乾杯用に背負ってきているのだから余分はない。そこで、ビール・ワインの争奪戦が起った。結局、ビール数本を取られ、赤のワインはこの場で開けて味を試す
ことになった。はじめてのフランス・ワインで知らない産地だったが、上品な渋味がよかった。

これで気がすんだので、山スキー用のブーツに履き替えて出発する。いつだか八甲田で試して、柔らかすぎてだめだと分ってから履いていなかった靴である。しかし、平地で歩くには硬すぎる。ビンディング用のコバの分だけ靴先が長いので歩きづらいのだ。しかし、締った雪では快適になるのだから、しかたがないか。

新雪にときおり日が差すので、雪目の恐れがあった。シャクナゲの葉の中央の葉脈部分を抉って遮光器を作る。東北地方の縄紋時代の土偶にあった遮光器を思いだしたのだ。

山頂小屋の付近で休息する。付近一帯はまだ厚い雪に覆われている。小屋の親父が出てきて、こちらをにらんでいたが、無視。とにかくこの小屋は、鳳凰三山のどこかの小屋同様最悪である。小屋から上は完全な雪の世界だった。

酒の残りは3升。みんなは外で焚火しながら宴会。ぼくは寝てしまった。酒が足りなくて、スキーの残りの関根製シェリブラまで飲んでしまったとか。しかし、朝起きると久保田がわずかだが残っていた。尚やんが隠したまま忘れて寝込んでしまったのだという。
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04月19日 雨
塩山温泉郷の宏池荘で汗を流し、駅前の嬉勝亭で昼食。先客に出てくる膳を見ていると、なかなかの出来栄えである。期待はできるのだが、何しろ注文の上がりが遅い。後藤さんとぼくが代わりばんこに腹を立てては、お互いになぐさめあっている。ここで怒って店を出てしまっては、空き腹が残るだけでもともこもない。女主人とアルバイトの女の子がうまくいっていないらしく、女主人の声がやけに甲高くて耳に痛い。ひとりで焦っているので、ますます声が
大きくなる。
こちらの食事が始まる頃、先客が勘定があわないと、おばさんともめている。それにしてもこの客、いやに計算にうるさいなと聞くでもなく聞いていると、“わたし、税務署に勤めているもので”と言っている。そんなこと言ったら火に油だなと思っていると、いままでだまっていた主人が奥から声だけで加勢して“うちはいつもキチンとやっている。間違っているのはいつも税務署だ”と怒鳴っている。これにはみんな笑ってしまった。
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