会津朝日岳

橋元武雄     '91/10/10〜12


10月10日 曇り
目的は、会津朝日岳と越後守門岳。いつものことながら、もくろみどおりになるとはかぎらない。
冨山、鈴木、大森、中村、池田、金谷。

8時過ぎに鈴木、大森氏が車で到着。デリカに乗り換えて東川口に向かう。東京を離れるにつれて、空は明るくなり、曇りとはいえ天気は安定してきた。

会津田島で昼食を済ませ買物をする。

国道400号を只見に向かって進み、黒谷部落から、黒谷川に沿って南下する。白沢部落から黒谷川本流と別れて白沢に沿って遡上。すぐに未舗装になり、すれ違いがやっとの道になる。車道の行き止まりに「いわなの里」(赤倉沢出会)がある。相当広大な敷地に民宿風の1軒屋と野外調理場、養魚場がある。そこから、右にまだ車道があったので白沢に沿って登ると、堰堤を工事中だ。ここでおしまいかと、いったん引き返えしたが「いわなの里」には、幕営設備はなさそうだ。先程の1軒屋で幕営地があるか訊ねると、堰堤より先に少し平な場所があるという。また引き返し、堰堤の手前に車を止めて、善さんと偵察にでる。

堰堤は2つあり、2つ目の堰堤の上流に小さな広場風のところがある。そこで、工事中の堰堤の右岸に付けられた仮設の道路をデリカで強引に突破する。登りは、空し
か見えなくなる急傾斜だった。デリカでたどり着いたものの岩が多く快適とはいえない。しばらくぐずぐずしていたら、池田さんがもう少し上によい場所があるという。そこで、また偵察にいく。なるほどいい。

道の右側にテント5張りくらい可能な草地がある。しかし、水場がない。薮を通して覗くと、はるかにしたに白く滝のようなものがみえる。刺身の調理があるので流水がほしい。それに、途中デリカの通過が危ぶまれる箇所がある。道を横断する沢をセメントで固めてあるのだが、そこが丁度左カーブになっていて、幅が狭くてしかも左側の崖に向かって傾斜している。スリップするとデリカがカメになる可能性がある。小広場に戻って報告したが、大森氏が水なら水筒があるのだから持って行けばいいという。そこで、また考えが変わって、デリカを発進させる。善さんの誘導で難所は無事に通過して、目的の草地にデリカを止める。

水場も実際に下りてみると、それほどの距離ではなかった。薮の踏み跡を降りると丁度堰堤の上にでる。しかも、堰堤のコンクリトに段々が付けられ、簡単に川に下りられる。しかし、下流側は5mほども落ちているので用心したほうがいい。酔っ払って落っこちたら、骨ぐらいは間違いなく折れそうだ。

無事テントは張れたが、雨は降らず、寒く
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もなく、腹もへらずで、テントに入る気にならない。しばらく、テントの周りで立ち話という、しまらない仕儀になった。

10月11日 雨
朝から雨。池田さんは膝痛で停滞し、われわれは雨の中を避難小屋まではたどり着いたが、そこで中止を決定し、昼飯を喰って下山する。途中、人数分のミツバアケビ。少々のサルナシ。ブナハリダケ、ナメコもどきの収穫があった。

途中で引き返したこともあって、不完全燃焼の山行であったが、とんでもない事件が起きた。
雨の中、食事の用意も終わって、回りも暗くなってきた。全員テントに入り、そうとうに酒の酔いも回り出した頃だった。テントを通して表にチラチラ光が見える。はじめは、車のライトかと思った。はて不思議な、こんな山奥まで日が暮れてから入ってくる車があるのかなと、垂れ幕を上げてみたら、なんとデリカが燃えている。ぼくでなくても、一瞬自分の目を疑うだろう。しかし、まぎれもなくデリカのリアバンパーが炎を上げているのだ。

とにかくテントを飛び出し、どうやって消すかを考えていたら、次に飛び出してきた池田さんが、表に開いたまま出してあった雨傘をたたんで、それで炎を擦り取るようにした。初期消火というやつだ。そのあと、ぼくがテントのそばにあった水を見つけて、
それをかけ本格的に鎮火した。バンパーは焼けただれ、その下には半分溶けてしまった発泡スチロールの箱が置かれていた。

デリカのリアバンパーは、プラスチック製なので燃えるのは理解できるが、何が原因かしばらくわからなかった。朦朧と酔った頭で考えをめぐらせた結果、原因はピークワンのガス洩れであったことに思い至った。夕食の準備で、ぼくがピークワンに火を点けてしばらくたったとき、ガスが洩れ出してタンクの外側に火が回った(このコンロは、十分加熱するまえにバルブを開け過ぎると、生ガスが洩れるという構造的な欠陥がある−−給油系統が一部外気に触れる構造になっているので、気化が不完全だと、コンロの首の部分から液状のまま洩れ出す)。洩れたガソリンは炎とともに、バンパーを伝って、地面まで達した。このときは、もちろん即座に火を消した。しかし、バンパーの下に発泡スチロールの箱が置いてあったのだ。多分、消し切れなかった火がこの箱の底にでも残っていたのだろう。それが、埋み火となって、まず発泡スチロールが燃え出し、それがバンパーに燃え移ったのかもしれない。あるいは、バンパーの裏側までガソリンが流れて、そこで火種が温存されたのかもしれない。

とにかく、デリカの尻は見るも無残となり、ぼくの新品のモンデルの雨傘も、穴だらけの黒焦げとなってしまったのである。
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10月12日 曇り 観光客なみに、只見ダム、田子倉ダム(サワグルミのまな板を買った)を見物し、関越国際スキー場を通って守門登山口を偵察した。六日町の先の 薮ソバで昼食。荒天の週末だったためか、渋滞はなく車は順調で、5時頃帰宅した。関東地方は雨上がりで、台風21、22号はまだ日本の近海にいた。
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