北ア燕岳〜北穂高岳縱走

橋元武雄     '91/08/07〜11


08月07日 雨
雨、それも土砂降りに近い。7時の特急あずさは、後藤さんから、さんざん混む混むといわれたので、6時に集合。鳩ケ谷からの始発のバスでは遅いので、自転車で行こうと思っていたが、この雨ではとてもではない。半分諦めかけたが、念のため近くのタクシー会社へ電話する。5時過ぎなら何とかなるというので、赤羽までたのむ。6時台は、池袋乗り換えしかなかったが、6時前に新宿に着く。すでにチャウは1番先頭に並んでいた。といっても、そのあとに2人しかいなかったが。結局、出発間際でほぼ満席程度の混みようだった。縱走組は、大森、池田、中村とぼく。池田さんの奥さんが娘さんとスイスに旅行した土産にと、ネーム入りのVictorinoxをいただく。手頃なサイズで使いやすそうだ。昨夜は3時間足らずしか眠っていないので、車中よく寝た。

10時14分、定刻に穂高駅に着く。買い忘れていた行動食を駅横のスーパーで調達し、タクシーで中房温泉へ。下手な運転で気持ちが悪くなる。

五月に八甲田で怪我をして以来、まるで体を使っていないので、体力に自信がない。自転車でラクダ坂を上っても心臓にくるくらいだから、どうなることか先行き不安。

初日は、ときどき止むものの終始雨につきまとわれたが、気温が低いので登りには楽だ。合戦小屋のテントでビールを飲む。
これが惰性になって、今回の山行は各山小屋ごとに、ビールを飲むことになった。燕山荘に着いたときは、ひときわ降りが激しくなる。幕営料一人500円、g150円の水6g(じつは10g)と、500円の缶ビールを買う。小屋の玄関で、タバコを吸いながらのんびり構えている大森氏を急かせて、土砂降りのなかでテントを張る。ポールを組み立てているうちに、広げてあるテントに水たまりができるほどの雨量だった。しゃくなことに、張り終わったとたんに雨が止んだ。“だから様子をみようと言ったじゃないか”とは、大森氏の言。

初日の食当は、大森氏。焼肉とミョウガ入りのキュウリもみ。出がけに、うちの裏のミョウガを根こそぎ取ってきたので、このあと連日ミョウガ料理がでることになった。大森氏持参の小型のランタンがなかなかいい。いつか関根さんが持ってきたのと同じコールマン製のブタンガス用のものだが、ひとまわり小型で、光が目にやさしい。

08月08日 曇り
朝方、激しい降りになり雷鳴が轟く。これは停滞かなと思っていたら、朝食の終わる頃にはぴたっと止んだ。がっかりしたような、しないような。

今日は、コースタイムで9時間を越える長丁場だ。無事たどり着くか。池田さんは昨夜大山の特吟をやりすぎて二日酔いぎみ、大森氏は足が上がらなくなるほど
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昨日は疲れたといっているし、チャウは高山病の初期症状、ぼくは八甲田で怪我をした左足を無意識にかばうせいか右足の膝の筋肉が痙攣する。半病人連隊の縱走である。

それでも大天井、赤岳を越え、なんとか西岳の小屋まではたどり着いた。今日も半曇で、周辺の峰々はほとんど雲に覆われて、気温が低いのが幸いした。そこで、一思案。行くべきか止まるべきか。大森氏はこの先がコースの核心部で急下降・急登が続くから自信がないという。一時は、ここで幕営かという雰囲気が濃厚になった。しかし大森氏が、沽券を捨てて、荷物を少し分担してもらおう。そうすれば、なんとか頑張ってみると言いだした。そこで、一番元気な池田さんに余分に担いでもらうことにした。また、宿泊地を少し手前の殺生河原に変更することとして出発する。チャウはあたしのことはだれも心配してくれないとすねていたが、けっこう歩いている。

ここからは、ひたすら急登が始るという水俣乗越で、槍沢に下ろうかという誘惑がチラッと気持ちをかすめるが、ぐっと我慢。善さんに頼まれていたので、天井沢の詰めの様子を見てみるが、あまり面白そうではない。遠景ではゴーロの河原歩きのようばかりだし、最後の詰めであるこの辺りは急なヤブこぎ。沢歩きの醍醐味はない。

水俣乗越からは、予想どおりの一本調子
の急登。途中、どうも植物の様子がおかしいことに気付く。登山道に緑のままの小葉が散乱し、オンタデなどの大型の葉は細かく破れている。しばらく歩くうちに、岩陰や木立の下に細かな氷粒が散乱している。これは、今朝の雷で雹が降ったせいだと気付く。池田さんが、“これで疑問がヒョウ解した”と洒落を飛ばす。あまり汚れていないやつを見つけて、ほおばる。かじっていると息は苦しくなるが、甘露。水ももうほとんどなかったので、わずかな潤いになった。

3段ハシゴの難所(?)を越えて一休み。地図をみたところ、もう1本ほどで大槍ヒュッテだと思うと話したが、大森氏はがんとして信じない。“そんなに近いわけはない、うっかり信じると、違っていたときのショックが大きいので信じない”という。きっと、3段ハシゴの位置が間違っているに違いなとい主張。しかし、はるかに槍方向を見上げると数人の人影が見える。これは、大槍ヒユッテに宿泊しているひとが、こちらの景色を眺めにきているに違いないのだ。出発してしばらくあえぐと、距離案内の標識があった。先頭の大森氏がいう“ほらみろあと1`もあるじゃないか”。しかし、最後尾から見ても0.3`としか見えない。どうも、0.3を0.9に読み違えているらしい。よほど疲れているのだろう。

全員ばてばてになりながらも、無事大槍ヒュッテを過ぎて、殺生河原の小屋に着く。
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小屋の前には、転覆したヘリが残骸をさらしている。綱が張りめぐらせてあり、「火気厳禁」とあるので、つい最近落ちたのかと思ったが、どうもそうではないらしい。数年まえの事故以来放置してあるという。

殺生河原についたのはいいが、それからが大変だった。なかなかいいテン場がない。ほとんど幕営場の最上部まで探し回って、これから先はもうないというところで、やっと格好のサイズの場所が見つかった。殺生河原全体を見下ろす感じて、気分はいいのだが、また小屋まで幕営届を出して、ビールと水を買いに行くのかと思うと気が重い。

しかし、今日の食当はぼくなのでやむをえず、出かける。ここの幕営システムは、水を買いにくるところをつかまえて、料金をとり、水券を発行する。これで、料金徴収に広い幕営場を巡回する手間を省こうというのだ。この水券がないと水が買えない。しかも、水を売るのは6時から19時までというのだから、なんとも横着な商売をしている。近くに雪渓はあるが流水はない。1gのマルキルと折り畳み式の大きなポリタンとを持っていったので、これは何g入りかと聞かれた。適当に答えておいたら、狐のような目をしたこざかしげなガキが、それではマルキルで計ってから入れますときた。馬鹿め!ほんとに一杯ずつ計ったらしく、おかげで、待たされること。腹がたっても喧嘩する気力がない。
ようやくの思いで、水7g、ビール4缶を下げて、天場に戻ったが、どうも疲労のため、食当の段取りがうまくいかない。思考回路が分断して、どれから手をつけたらいいかわからなくなってしまった。献立は、マーボーなすと汁ビーフンだったが、まったくイメージから掛け離れた仕上りになってしまった。今回の食当は失敗である。背負ってきた荷物が軽くなったことだけが、救いとは情けない。

08月09日 晴れ
快晴の槍の登山道は、ひどい渋滞だった(じつは、渋滞は、登降の2路のうち下山路だけだった)。これをよい口実に槍の山頂はあきらめる。大森氏だけは、今回山行の最大の目的だといって、ひとりで登っていった。そのあいだ、ビールを飲みながら植物図鑑を調べる。去年、確認したが忘れてしまったクロトウヒレンとタカネヒゴタイの区別である。この縱走路はクロトウヒレンのみとわかった。
約束していた交信時間(8時)がきたので、トランシーバをオンにし、コールチャネルでウオッチする。そうとうな混雑だが強引に割り込む。コールするが返事はない。まだ、善さんたちが冨山さんたちと合流していないのだろう(このとき徳沢ですでに、鈴木・田中パーティーと冨山・後藤パーティーは合流していて、呼び出しに応答していたのだが、こちらには届かなかった。430メガでは、光ほどの直線性はないので、可逆的とはいかないのだろう。こちらが呼びか
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けると、タイミングよくスケルチが開いて雑音が出るので、もしかしたらとは思ったが。やはり、あれが応答だったのだ)。

中岳から南岳にかけては立派な舗装道路といえるほどの登山道で、急登も中岳の手前に少しあるだけの楽なコースだった。中岳から南岳へ向かう斜面に雪渓があり、水が採れる。といっても、岩のうえをちょろちょろ流れる程度なので、工夫がいる。本田伝授の手法で、プラスチック袋で樋を作って水を汲む。今朝は、水不足でみんな顔を洗っていないので、ついでに洗顔もすませた。水汲みに熱中して10時の交信時間をすっぽかしてしまった。

天狗原を東側に見るあたりで休憩していると、昨日から抜きつ抜かれつしていたおばさん群団が引き返してくる。大森氏が声をかけると、ここから天狗原に下ってしまうことにしたという。あとでキレットを越えながら思ったが、おばさんたちの判断は正解だったろう。“ときには、引き返す勇気も必要です”か。

南岳の小屋のまえで昼食。このときはじめて交信に成功。こちらが呼びかけると、善さんの声が大きく飛び込んできた。互いに感激しながら、現況を報告する。向こうのパーティーは、涸沢への登りの途中で、南岳との間にはほとんど障害物がなく、ストレートに電波が届く。

南岳で大休止したあとは、いよいよキレットである。下りは何なく過ぎる。キレットの最初の鞍部と北穂の手前で交信。
久しぶりに見る滝谷に、ひとかげはない。どうしたのだろう。最盛期というのに、クライマーはほんとにいなくなってしまったのか。もう少しと思った北穂への登りの苦しいこと。いつまでたっても、滝谷の下降点を通過しない。たかが縱走路と考えていたが、けっこうなものだ。登りはまだしも、ここを重荷で下るのはいやだ。いままで、すれちがった、よれよれになって歩いていた登山者を急に尊敬してしまう。昔、滝谷を登りながら、この辺りを縱走しているのを見て“よくあんなところを歩くよ”と、冗談まじりに話していたが...これは冗談ではない。

それでも、なんとか北穂小屋に到着。昔より広くなった玄関前のテラスで乾杯。小屋の看板を背に、大森氏と2人で記念撮影。はじめて2人で滝谷を登攀したときも、ここで記念撮影をした。あのときの誇らしくも若々しい笑顔は、残念ながらいまの2人にはない。たかが縱走なれど、相当に打ちのめされた表情に写るに違いない。あとで、写真を較べるときを思っただけで、苦い思いがよぎる。

北穂南稜の下りもずいぶん長く苦しかった。途中で、とうに到着している冨山、後藤、鈴木、田中の涸沢組と、交信してたので望遠鏡で眺められているのはわかって
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いたが、とても余裕のある歩きは見せられなかった。誰が見ても、よろけるように下っていたことだろう(事実、あとで聞いた話では、テントから望遠鏡でわれわれを見ながら“梓ならあんな変な歩きかたをするはずがない”と話合っていたという)。

田中氏が北穂沢の出会いまで迎えにきてくれた。テントに着いてみんなの歓迎を受け、ザックを放り出す。さっそく後藤さんがビールの配給。なにしろ、田中氏が500_gを1ケース揚げたというから、潤沢である。なんにもしなくても、冨山さんたちがテントは張ってくれるし、後藤さんの食当で、だまって座っていれば食事ができる。嬉しくなってしまう。

縱走疲れで、ばたんきゅうかと思ったが、達成感からか気分はハイで、ずいぶん遅くまで話し込んでしまった。本人達にはわからないが、さぞかしこの晩は、周辺のテントに迷惑をかけただろう。なにしろ、池田さんとぼくでいびきの大合奏をやったはずだから。

08月10日 曇りときどり晴れ
朝から天気があまりよくない。昨日は、やれ北尾根の、やれ東稜のと、さわいでいたが、だれも本気ででかけるものはいない。結局、ビールとワインを持って屏風の頭へ散歩に行こうということになった。最終的には、屏風の頭へは行かず、少し手前の大きな岩が積み重さなった小山ですますこと
にした。これは正解で、なぜだか屏風の頭へぞろぞろ人が登っていく。昔は、屏風岩の登攀のあとに通過することはあっても、わざわざ出かけて行くような場所じゃなかったような気がするが。山岳雑誌で特集でもしたのか。

小山の頂上は快適な見晴らしで、前に涸沢の雄大なカール、後にゆったりと蛇行する梓川を眺めることができる。よく見ると山頂の涸沢側の岩には、レリーフがいくつかはめ込まれている。墓碑だ。ある山岳会のメンバーだけらしいが、3人分ある。刻まれている碑文は、山を愛すの人を愛すのと、青くさくて鼻につく。文庫本でも2、3冊読めば、もうすこしましな文句が書いてあるだろう。しかし、ここを墓にするアイディアは悪くない。

ビールで乾杯し、ワインで軽い昼食をして、あとは、みんなで山頂の昼寝。極楽極楽。

それにしても涸沢は変った。岩屋はほとんど見ないが、それと引き換えに親子連れがぞろぞろいる。まるで涸沢ファミリーキャンプ場だ。穂高に登るのではなく、ただ涸沢に来ることが目的らしい。それに、往年の山屋が、久しぶりにやってきたという雰囲気の夫婦が目についた。朋文堂では、山渓主催のクッキング・コンテストなどをやっている。屏風から戻っても、まだ夕食まで時間はたぷりある。そこで、キャンプ場を通過して、涸沢小屋のテラスへ。テント村
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を見下ろすテラスで、涼しい風に吹かれて、またビールとワインで乾杯。 夕食は、田中氏のビーフカレー。味噌漬けで持参したビーフの入った本格的なやつで、なかなか好評。

08月11日 夜半雨のち曇り
朝食は、善さんの担当で、野菜サラダ、生卵、パン。ほとんど普通のホテルの朝食に遜色ない内容。池田さんの持参したテフロンのフライパンがあったので、それでオムレツをつくってみた。はじめてのフライパンと多少二日酔いであまりうまくはいかなかったが、山でのオムレツも悪くはないなと思った。田中氏にしろ、善さんにしろ、食当のメニューに相当の進歩がある。梓の食に関する文化も随分と浸透したものだ。

思い残すこともなく、満足の下山。しかし、横尾に出ると、はやうんざり。都会なみの雑踏。小突いたら倒れそうなふにゃふにゃの山屋ばかりで、傲慢な光や、きらきら輝きをたたえた目にぶつからない。岩をやっていたころは、視線を交えただけて、チャリンと音がでそうなパーティーにいくつも会ったものだが。

日本システムの同僚で、ぼくをはじめて穂高に連れてきてくれた香川さんが、ちょうど今日、上高地に来ているはずなので、“もし会えたら昼頃に五千尺ロッジの喫茶室で”と打ち合せてあったのだが、残念なが
ら見あたらなかった。われわれ が通過したのが、ちょうど1時だったので遅すぎたのかもしれない。

上高地からは、予約しておいたタクシーで、松本の信州会館へ。信州会館は、はじめていったが、温泉、旅館、食堂と、地方によくある寄せ集めの娯楽施設。ぼくははじめてだったが、山仲間では名物らしく、玄関の歓迎欄には、いろいろな学校や団体の山岳会の名前が並んでいた。しかし、風呂だけで900円は高い。

帰りの梓の時間から逆算すると、あまり時間もない。駅前のそば屋《小林》で一杯。ここのつまみやそばも結構でした。とくにアミタケのおろし和えがよかった。

松本からの列車は、全員座ることはできたが、席がばらばらになってしまったのが残念だった。松本出発時点でほぼ満席。それから、どんどん混んできた。相当のお年寄りが、近くにきたので席を譲った。ふと見ると、池田さんも同じだったらしく立っていて、“互いに年寄りには弱いね”と、笑ってしまった。近頃の特急あずさには、千葉駅行きというのがあって、これもそう。したがって、チャウや池田さんには好都合だ。ぼくもザックを背負って新宿はいやだから、秋葉原で下車。これで、今回の夏山山行も無事終了。めでたし、めでたし。
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