南ア北岳〜塩見岳縱走 単独

橋元武雄     '90/08/23〜08/27


08月23日 晴れ 台風は広島に上陸して日本海に抜けた。 本日から、南ア。20時の梓で出発し、甲府駅前のホテルで1泊する。多少金はかかるが夜行は御免だ。ホテル近くの飲み屋で寝酒を一杯。

08月24日 晴れ 甲府駅前から6時発広河原行きのバスに乗る。乗客は数パーティーいたが、大樺沢に向うパーティーはほかにいなかった。台風14号の名残でやや風があり、雲も多めだが、初日の登高には丁度良い。大樺沢を遡行。昨年の夏、北岳を下りてきて御池小屋周辺の荒廃には驚いたが、大樺沢までその影響がでて、御池から派生して合流する沢が飲料不適になっていた。

二俣あたりから雪渓が残っている。久しぶりのバットレスを見上げる。間近に見ればまた岩をやってみたくもなる。ルートが大樺沢を離れる地点で水を補給。八本歯から小屋への稜線には、まだお花畑が残っている。手付かずのクロウスゴの実を満喫する。北岳稜線小屋前の幕営地にテントを張る。1g100円なりの水を買って夕食の支度をする。幕営地に到着して、ビールの乾杯。こたえられない。今回は日本酒はなしで、水筒に詰めてきたジョニ黒1本が持参の全アルコールである。その水割りの旨いこと。初日は、豚汁と味噌焼のつもりだったが、味噌焼は省略。インゲンのサラダをたっぷりつくる。なにしろ、野菜は段ボールに一杯ある。高度のせいかかすかに頭痛がする。
08月25日 晴れ 外が明るくなって目覚めると5時。北岳稜線小屋のトイレは最高の景色。板囲いをくり抜いた窓から眺めると、雲海を抜け出した鳳凰三山が展開する。昨夜に続く味噌の香りに多少うんざりしながら、豚肉の焼御飯と豚汁の残りをむりやり胃袋に押し込む。こうした高地の幕営では、生ごみの捨場があっても捨てたくはない。ただ集めるだけで十分な処理ができないのは目に見えているからだ。

昨日はそれほど感じなかったが、昨日の重荷を背負った登高は、相当体にこたえている。間の岳への道は、最初から苦しい登高になる。本日は、熊の平までの4時間弱の行程だが、それさえ苦痛に思える。最近のトレーニング不足はてきめんである。

間の岳から少し岩場を下ると、広いなだらかな稜線がしばらく続く。稜線の末端から森林帯に入ると、シシウド、トリカブトを主体とする背の高いお花畑が断続するようになる。疲れのせいか注意が散漫で、ゆっくり観察する気になれない。森林帯に入って15分ほどの下りで熊の平に着く。まだ12時前少しである。気が楽になって、お花畑にも注意が向くようになると、多数の蝶が乱舞している。美しい蝶だ。うろおぼえだが図鑑の写真を思い出すと、多分これはクジャクチョウだ。あそこに1頭、ここにも1頭と数えていくうちに、お花畑全体に乱舞する蝶がほとんどクジャクチョウであることに気づく。比較的忙しげに飛び回るクジャクチョウを尻目に、キベリタテハ(これは帰
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宅してから図鑑で確認)がゆったりと横断する。アサギマダラやキアゲハもときどき姿を見せる。お花畑はほとんど実ばかりになったシシウドとトリカブト、それにサラシナショウマが残るだけだが、クジャクチョウはまさに満開である。花がだめなら蝶があるのだ。

小屋に管理費を払いにいったが、残念ながらビールは売切れ。応対に出たのは都会風の少しいやみな小屋番である(あとで他の登山者どうしの話から、ここの小屋番のカカアはドイツ人で、現在里帰り中と聞いた。どうりで、小屋の前にコーヒーやらシナモンケーキやらのしやれたメニューが掛かっていた。あのいやみもそこらあたりから来るのだろう)。

熊の平の幕営地は、お花畑と小屋の中間の森林を切り開いたもので、登山道をはさんで斜面上にテン場が散在している。水は豊かだ。何本もの小川が流れ、各所に清水が湧き出している。1g100円の北岳からは夢のような別天地だ。間の岳方面から来ると、いったん幕営地を通過して小屋にゆき、届けを出してからテン場に戻ることになる。まだ太陽も高いので木陰のテン場を探す。いったん登山道から下り、少し登り返したところに格好のテン場があった。すぐ手の届くような近くをせせらぎが流れている。そのままでは浅くて使いにくいので、本田政人の鮮やかな生活技術を思い出しながら水場を整理する。流れを堰止めて中央にコバイケイソウの葉で樋を作
り、その下にまた堰を作ってプールにする。水場が完成したところで、プールにトマトを冷やし、水を汲んで水割りを飲む。ほとんど“旨い”と叫びたいような美味。ビールがなくても不満はない。途中気にかかった植物を図鑑で調べながら、冷えたトマトにかぶりつき行動食を食べる。

腹も落着いて酒も回ったところで、せせらぎの上流を調べる。テン場の位置からして気になってはいたが、案の定、流れは上部で登山道を横断している。せっかく作った水場だが、この位置関係はまずい。悪気はなくても小便をするやつがいるかもしれない。他のテン場を探すことにする。来るときには気づかなかったが、登山道より上のお花畑のど真ん中に1張り用のテン場があった。一番高いところにあるテン場である。お山の大将の気分だ。お花畑全体を見渡せ、すぐ下の登山道を通る登山者を観察できるが、向うからは草の陰になってこちらを見つけにくい。水場も少し下れば登山道脇から湧きだしている。この時間では日差しがきつすぎるが、東向きの斜面で上部に林があるから、やがて日蔭になる。さっそくここに移動する。まだ暑いから、テントは張らず、背の高い草陰にマット代りに敷いてごろ寝する。眼下のお花畑と森林の先には、間の岳から農鳥へかけてのどっしりとした山波が広がり、そのさらに先は真っ青な空。まさに夢気分。

夕食は、ビーフカレーとサラダ。牛肉は、大きめの塊を買って2分し、一方を味噌でくる
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み、残りをカレー粉でまぶした。今日はカレー粉の方を使う。ニンニクを油で炒めてからブロックに切った牛を放り込み、適当に切った野菜を沢山入れて煮込む。山上のカレーといえども素材にほとんど省略はない。当然美味。

08月26日 晴れ 未明の4時起床。まだ暗い。中華三昧に昨夜の残りのカレーをぶち込む。これは別々にしたほうが良かったかもしれない。夜中に心臓が痛み、起きると顔がむくんでいる。あまりむくんだことなど経験がないので、体調が不安だ。なにしろ今日は、長駆、塩見岳を越えて三伏峠までである。出発に先立って小屋の前にある水洗トイレで用を足し、きれいに整備された水場で顔を洗う。ここの水洗トイレは本格的で、常時わずかの水が流れていて、定期的にフラッシュする。建屋は、鉄筋に分厚い板張りで、山小屋のトイレの常識からは掛け離れた清潔感にあふれていた。6時出発。

案じたわりに体調は良い。息は苦しいが体はしっかり動く。同じようなお花畑をいくつも通過する。矮性の針葉樹林のなかにタカネヤハズハハコが一面に群生する庭園のようなお花畑もあった。眺望の良い岩峰で最初の休憩。北荒川岳の幕営地を過ぎ、計3本で池の平分岐に着く。所要時間3時間半。静かだが一定の東風があり、立ち止まると寒い。池の平への登山道に少し入ったところが風下で日当りがよい。そこで軽く食事。眼下の這松帯にテン場が散
在している。見渡せば、歩いてきた北荒川岳から、これから登る北股岳までの原始的風景が展開する。これまで数パーティーすれ違ったが、この広大な風景に融け込んでしまい誰も見えない。周囲はすべてどっしりした山波。人工的な風景は塩見小屋の青い屋根だけ。それも断崖にちょこっと乗った仙人の庵のように見える。

11時15分。塩見山頂着。ナシを剥いて食べる。美味。360度見渡す限り山また山。地図で山名を確認する。北部は甲斐駒、仙丈、北岳、間の岳、農鳥など、ほとんど登ったことのある山や、いま歩いてきた山だからすぐに分る。しかし南部の識別には、大分時間がかかった。眼前左手にある大きな山塊が荒川三山であることをしばらく納得できなかったのだ。聖岳や赤石岳のイメージが強く頭にあったので、それらを先に探してしまったのだ。結局、聖、赤石はほとんど荒川三山の陰に隠れていることが分った。荒川三山は、3年前に梓の夏山で縦走した。あのときの荒川小屋の幕営地のお花畑も美しかったことを思い出す。はるか下方に三伏峠の山小屋も見える。

12時30分。塩見小屋に着く。北荒川から見た印象に比べ、こじんまりした小屋だ。ここから見上げる塩見は、よく登れると思うほど屹立する岩峰である。ビールで乾杯し昼食。デザートの菓子パンは、アンが糸を引いていたので、ゴミ袋へ直行。残念なことをした。塩見小屋から少し下って、あと
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はだらだらと緩やかな登りが続く。延々と樹林帯の木陰を山道が延びる。本谷山の頂上で一服する。水場の関係で三伏峠小屋より下にある三伏小屋の幕営地を目指すことに決め、4時30分三伏小屋に到着。小屋は無人でまたもビールはない。しかし、昨日水割りの旨さを確認しているので何の落胆もない。あまり管理がよいとはいえないが、水量の豊かな沢が水場になっている。味噌漬けのボイルドビーフとサラダ。ガーゼ代りのハンカチを取ると味噌は肉からきれいに剥がれる。10分ほどボイルしてほとんどレアのボイルドビーフを楽しむ。味噌の塩が滲み込んでほどよい塩味がする。ミョウガ、タマネギ、キュウリ、ナスなど残りの野菜をたっぷり刻み込んで、サラダオイルとレモンをたらして醤油風味でまとめる。

08月27日 晴れ 5時半起床。セロリとシイタケを入た中華三昧。今朝は、冷え込む。水を使うと手がじんじんする。下界も少しは涼しくなったか。8時半に出発。バスは1時半の一本しかないので、それでも、早すぎる。三伏峠までゆるやかな沢筋を登る。峠の直前に広いお花畑がある。昨日、こちらが到着する前にテント代を集めに峠から人が下りてきたことを、他の登山者に聞いたので、三伏峠小屋でテント代を払う。

三伏からの下りは、よく整備された歩きやすい山道。水無沢が塩川に出合うところでたっぷり休む。休んでいると一見小屋番らしき男が登って行く。なんとなく見憶えのある人なつこい髭面だ。しばら考えて、やっと
思い出した。昨年小鍋さんのグループと八ケ岳の権現小屋に泊まったときの小屋番ではないか。気付いたときには、すでに姿はなかったので確認のしようはないが、たしかあのとき来年はどこか別の山小屋に移るといっていたから、間違いなかろう。彼と金谷氏と3人で夜更けまでとりとめなく話し合った記憶があるが、なかなか面白い男だった。塩川沿いの登山道はトクサの群落を縫って行く。昔は多摩川近辺の沼地にも珍しくはなかったが、はじめてみる大きな群落だ。ハナイカダの実も摘んで楽しむ。 塩川小屋には12時前に到着。バス停を見過ごして小屋に直行してしまった。すでに単独行の女性が2人いる。風呂が沸いているというので、早速300円を払って飛び込む。すっかり着替えをし、実に爽やかな気分でビールを飲む。つまみは、昨夜のボイルドビーフの残りを辛子で和えたもの。これが、昨夜よりうまいのだ。小屋は河原を見下ろす高台にあり、バス停はその下の広場にあって、徐々に登山者がならびだした。そのうち何人かは小屋のほうに上がって来る。中高年の女性の単独行が多く、だんだん人数が増えて、テーブルを囲んで山談義をしている。話しかけられると面倒だから庭の隅の木陰にザックを置いてバスを待つ。気温はほどほどで、空気は爽やか。久しぶりの大きな縦走の余韻を独りで楽しむ。擦れっからしの山婆の話など聞きたくもない。

伊那大島から岡谷への途中、ザックの背負いベルトが切れる。山中でなくてよかった。帰りにタカハシへ直行しよう。
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