守門変じて四阿山

大森武志     '93/05/22


1993年5月22日
後藤、鈴木、斎藤、大森

 落葉松の新芽の色合いが、しだいに淡くかわっていく。鳥居峠を出発しておよそ1時間。ようやく的岩山のピーク(1,746m)に着いた。それにしても、愛想のない登りだ。腰まで届くクマ笹の中をひたすら一直線に道は続いている。
 ゆうべ19:00に南浦和に集合して、草津の寮に入ったのが22:00過ぎ。それから例によって「ささやかな宴会」が始まり、今朝7:00に起きてみると、きのうとは打って変わった曇り空だ。「午後から時々雨」と予報は伝えている。それでも「躊躇なく」決行と決まり、「何とか昼までもってくれよ」と念じつつ、8:00に宿を出発した。
 そもそも、今回の山行目標は守門岳と、総会では決まっていた。ところが地元の入広瀬村役場へ問合せてみると、「今年は雪が多く、林道の除雪も5月末になるだろう」という。それに「山頂の湿原は花がきれいで、見ごろは7月初め」とくれば、計画の不備を素直に認めざるをえない。ただちに予定を練り直し、「温泉」の要素を最大限に考慮して、草津の隣の四阿(あずまや)山に白羽の矢が立ったのである。
 的岩山山頂から緩やかな道をしばらく進むと、やがて的岩の直下にいたる。遠望すれば「ゴジラの背中」のような形をした、高さ30mほどの切り立った岩が、尾根の上に続いている。かなり風化が進んでいるようで快適とはいいがたいが、ところどころにボルトが打たれ、人工登攀のゲレンデになっている。善さんはフリーで通過を試みたが、すぐに行く手を阻まれて引き返してきた。
 的岩を過ぎると、コメツガの原生林に入る。あちこちに雪が残り、一面のイワカガミも黒ずんだ色で、春の装いとは程遠い。約30分で原生林を抜けると、開けた岩尾根に飛び出した。ここにしつらえられた休憩所(まさに「四阿」である)に入ると間もなく、待っていたかのように雨が降りだす。やがて風も加わり、気温も急に下がってきた。仕方がない。雨具を着込んでワインを開け、予定外の大休止となる。
 40分ほどで雨は上がり、ほろ酔い気分で出発。前方には、白い踏み跡が刻まれた高山らしい稜線が続く。再び樹林帯に入るとたっぷりの雪で、重い山靴で来たことを嘆いていた後藤さんもナットクの様子。およそ30分の登りで、草原の尾根にでた。
 少々角度の狂った指導標が左:根子岳、右:四阿山山頂を示している。山頂(2,332.9m)には祠が二つ。一方は上州側を、他方は信州側を臨んで建っているのだと、深田久弥は書いている(「日本百名山」)。雨はほとんど降っていないが風が強く、そのうえ展望はゼロ。祠の陰に風を避け、震えながら行動食をほおばる(もちろんワインは一滴もない)。
 頂上を目指してさらに東に進むと鎖場を経て、もう一つのピーク(三角点はこちらにある)にいたるらしいが、誰も行ってみようと言いだす者がいない。それどころか今日の計画自体、「後半はカット」の消極的気分が漂いはじめた。「何はともあれ主目的は達成した」という確固たる判断のもと、根子岳→菅平の行程を割愛して、このまま下山と決まる。下りは少し道を替え、的岩を右に見ながら林道終点を目指すことになった。
 「では出発」と立ち上がったとき、誰かの
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呼ぶ声が聞える。ガスの中から現われたのは、一見して山慣れているとは思えない中(高)年のオッサン。「菅平から登ってきたが、一緒に連れて下りてほしい」ときた。「その前に少し休ませてくれ」と言うので、5分ばかり待つことになった(「みんな冷たい表情だった」
と、のちに斎藤君は証言している)。「苦手だなぁ。ああいうタイプ」「どう相手していいかわからないよ」などと言い交わしつつ、後藤さんを先頭に下りにかかる。雨がまた、強くなってきた。斎藤君が例の御仁にあれこれ話かける声が、後のほうからついてくる。
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