裏妙義山

橋元武雄     '89/10/07〜08


メンバー  後藤 鈴木 中村
        田中 橋元 (金谷)

10月7日 雨。
 明日が晴れそうなので、裏妙義山は決行。17時に南浦和集合。
 高速を走っている間は台風の影響で雨が強かったが、横川に着く頃には止む。登山口の近くに適当な場所がないので、妙義湖の駐車場で幕営。後藤さんの宴会担当。ナスの味噌炒め(絶妙)、キュウリとミョウガの和え物(残念ながらミヨウガが好物の冨山さんがいない)など、家で準備の前菜がパッと出て、メンタイ、カマボコ、ブリの照り焼などが続く。メインはショウガ焼きにお赤飯。めずらしく、禿は意志の力で止められるなどと、金谷亭が強説をとなえる。ぼくは、医者にビールを止められているので、金谷亭差し入れのシャブリをほとんど一人で開けてしまった。

10月8日 晴れ。
 台風が過ぎてすぐに今季最初の冬型になるとの予報だったので、やや曇りがちかと思っていたが、快晴。非常に気分がよい。空きっ腹に飲んだシャブリでちょっと頭が重い。
 登山口はJR横川駅の近くまで戻る。われわれが出発しようとしている寸前にバスが通った。この道に路線バスはないので、妙義湖の先にある国民宿舎に泊まった団体でも乗っているのだろう。デリカはそのままバスの後についていくことになった。道
幅がないのでこれがいつまでたっても抜けない。18号に出ても前、18号から旧道に下りても前、もうここから先は碓氷川の河原しかないというところまで一緒だった。
 河原の駐車場に車を止めて、支度をしていると、チャウが“あ、軍手を間違えた”といっている。何のことかわからず聞き流していると、旧道の方から大勢の人達が降りてくる。みんなハイキングの服装だ。われら中年子持山岳会よりさらに年配の団体である。先頭には指導者らしき腕章を付けたひともいる。さては“おいらく”かと、みんなで話しあった。結局先程のバスは、この登山軍団を国民宿舎から運んできたのだと合点がいく。それでずーっと、われわれと同じコースだったのだ。われわれが車から降りて準備している間に、ざっくざっくと前を通り過ぎていく。普通の団体でバスを降りてすぐ、こんなに素早く行動に移れない。慣れている証拠だと後藤さんがいう。
 先を越されたわれわれが追っかけていくと、登山口の前でその団体が円陣になって体操をしている。これほどの人数に先を越されたら山道はどんなに渋滞するかわからない。ほっとしながらお先に失礼する。すでにこのコースを尚介さんと冬場に経験したことのある田中リーダーの話では、ルートが、尾根筋の道と沢道筋の二つあるという。両者の入口はほんの20bも離れていない。この団体はポピュラーな尾根道を行くだろうからと勝手に決め込み、あまり人が入らない沢筋の道を行くことに
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する。
 ちょっ登ったところで、分岐があるが、右側の道はあまりひとがはいっていないらしく踏み跡に草が茂っている。左をとる。しかし、しばらく行くうちに様子がおかしい。どうも尾根道のほうに戻っている。そのうち下からの道に合流する。どうもこれは尾根道らしい。しかし、田中リーダーは憶えがないから沢道だろうという。結局、どのコースを辿っているのかわからない。
 鎖は設置されているが外傾しているうえに濡れて滑りやすいトラバースとか、後を振り返ると麓まで一直線に落下しそうな岩場とか、結構緊張する難所がいくつかあって面白い。後藤さんがトラバースが特に苦手なので、名前のはっきりしないこのコースを、“後藤ルート”と命名する。稜線に出てからも左側がすっぱりと切れている。登山道を踏み外せば麓まで転げ落ちる。
 大分先行して鎖場をトラバースしているチャウを後から眺めると、今日の服装はなかなか決まっている。茶に緑のかかった渋い色合いのつば広帽に、濃い緑のセーターで、スラックスは微妙な色合の中間色。秋の野山に自然に融け込んでいる。“今日のカラーコーディネーションはグーだ”と褒めると、鼻をうごめかして、“わかってもらえる”ときた。意識的に配色を決めてきたらしい。出発のときの彼女の独り言は、軍手の色が服装に合わないことを言っていたのだと、このときになって納得。軍手だけが鮮やかなブルーだったのだ。
 金谷亭はいつものペースで突っ走りたい
のだが、踏み跡が思いがけない方向に延びていたりして行き悩んでいる。善さんが見えないなと思っていると、山栗を拾っていた。まだ緑のいがを靴で踏みつけて剥き、ちいさな実をかじって、栗鼠の上わ前をはねている。おもしろそうなので、ぼくもそれを手伝う。しかし、落ちて間のないもの以外は、ほとんどいがを残すだけである。競争相手が多いのだ。そのうち、年配の3人連れが、鎖場でわれわれを抜いて行く。その他に出会うひともいない。
 頂上直下のトラバースで後藤さんがひと騒ぎしたあと、狭い頂上につく。本当の頂上は、“丁須の頭”とかいう岩で、頂上からさらにぬーっと15bほど突出している。普通では登れないが、頑丈な鎖が垂れ下がっている。それも完全にハングしているので、腕力で鎖をたぐって登るしかない。酒を飲んでからでは危ないので、ぼくと善さんが早速登ってみた。岩の上は、たたみ二畳を縦に並べたほどの広さしかない。普通なら歩き回れる広さだが、立ち上るだけでも相当の勇気を要する。思い切って立ってみたが、ものすごい高度感で動きがとれない。やっとの思いで下の宴会場にいる仲間を見降ろして声をかけてから、そさくさと下降する。
 先行の3人はすでにワンカップで宴会を始めている。われわれはワインで乾杯し、パンとソーセージの昼食をとる。近くにいるので、3人組の話がいやでも聞こえてくる。内容から、年がいってから山岳会に加入し、やっと一人歩きできるようになったらし
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い。山の楽しさに多少自信めいたものが混じって、高揚した気分がうかがえる。われわれのような若い(?)連中を抜いてきたのでますます自信が深まったのかもしれない。それにしても、山岳会の集会のときの席次がどうの、経験も少ないのに口のききかたがどうのと、仲間をあげつらう話が聞こえてくると、苦笑せざるをえなかった。会社も山岳会も彼にとっては同じもののようだ。
 今朝、出掛けの快晴もこのころには怪しくなる。寒気の吹出しによるものらしい黒雲が空を覆って雨がぱらついてきた。碓氷峠の方向から、雨雲がせまっきたが、幸いこの山頂はそれて、JRに沿って開ける碓氷川の沖積平野の上を通っていった。
 下りは、暗い沢に沿っての急降下で、とくに面白い箇所もない。国民宿舎に下りればまた快晴になっていた。タクシーがな
かなか呼べず、丁度横川まで帰る地元のひとに、善さんが乗せてもらい、車を廻すことになった。われわれは日向ぼっこをしながら、デリカを待つことになった。そのうち登山の格好をした団体が続々と戻って来る。どうも今朝の連中らしい。同じバスが国民宿舎の前に止っていて、財団法人万歩会とある。しかし、このひとたちはどこに登ったのだろうか。山道から下りて来るのではなく、車道を登って来る。結局、訊ねてみようとは思いつつ実行には移さなかった。
 金谷亭の評価によれば、裏妙義山は、両神山、庚申山とならんでキリッとした良い山である。また、後藤さんによれば、群馬県人のように意地の悪い山である。ぼくの、感想は、小粒でピリッとしてはいるが、もう少しおおらかなところが欲しい、といったところであった。
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