栗駒山 ほどほどの山と素晴らしい硫黄泉

橋元武雄     '88/09/23〜25


メンバー    橋元

9月23日 曇り。
 JR一関駅前からバスで栗原電鉄の栗駒駅へ。そこでバスを乗り継いで駒の湯まで。栗駒駅でイワカガミ平行きのバスに乗り換えると、地元の人達はみな降りてしまい、登山者ばかりになった。といっても4パーティほどしかいない。運転手は中肉中背で、白髪。温厚な面だちで、その雰囲気のとおりのんびりと優しい話し方をする。しかし、運転は思いもかけず乱暴で、乗用車がやっとすれちがえる狭い山道を急ブレーキをものともしないで、積極的に走った。
 イワカガミ平への幹線を耕英十字路というところで右折し、枝道を大分奥に入った行止まりが駒の湯である。十字路から道はすぐに下り急勾配になり、蛇行しながら緑の濃い谷間へ延びて行く。その道はバスが上り下りできる限界ではないかと思われるほど急だった。谷底には駒の湯の旅館とそれと向き合って土産物屋がある。それだけである。バスは玄関の前の車寄せまでつけた。ぼくと一緒に男1人、女3人のパーティも降りる。残りの2パーティ、といっても年配の女性の単独行が2人だが、彼女らはイワカガミ平まで行くのだろうか。
 フロントで予約してある旨を告げて、受け付けを済ませる。旅館の間口が普通の住宅ほどしかないので、狭苦しい間取りではないかと心配になった。従業員に案内されるままに進むと、うなぎの寝床のように廊下が先へ先へと延びている。谷底を切開
いた傾斜地だけに平坦とはゆかず、何箇所かで折れ曲り、その都度階段を下りながら進む。廊下の両側には部屋が多数並んでいる。結局、ぼくの部屋は廊下の行き当たりの角部屋であった。広くはないがまだ新しい部屋だ。2面に窓があり、近くの谷川まで広々とした庭園が見渡せる。庭園といってもとくに手入れをしたものではなく、建物の先に広がる山の斜面をただ刈り込んだだけのものだが、山間の出湯にはふさわしい。せせらぎの音だけで姿は見えない谷川の先はもうブナ林がたちはだかっている。林の縁には背の高いクルミの木が数本佇立し、茶色くなったシデのような花のなごりを多数たらしていた。
 部屋の印象に気をよくして、荷を解くと早速浴場にいってみる。浴場は、部屋よりさらに階段を下がったところにある。冬季の積雪を考えてか、窓が小さいために浴場の中は薄暗い。古くからの温泉によくあるように、本来一つの浴槽で混浴だったものを、強引に仕切ったらしい。やや狭苦しい感じがしたが、慣れてしまえば気にならない。流し場は、がっしりした分厚い木材で組み立てられている。長年使い込まれて表面が黒ずんでささくれている。おかげで浴室の印象はますます暗いものになる。流し場の一画に一段低い浴槽が仕切られている。湯は、太い蛇口から絶えず豊かに流れ出し、深い浴槽に満々とたたえられている。透明度の極めて高い硫黄泉である。窓からわずかに差し込む光線がその透明な湯に反射して輝く。硫黄泉の成分が析
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出して浴槽の表面は美しい青黄色に覆われている。そのために暗い風呂場のなかで浴槽の一画だけが明るく際立っている。融け出した水晶のような湯の中にゆっくりと身を沈める。熱すぎずぬるすぎず、気持がほぐれて満足感がじんわりと広がって行く。ここの温泉は気にいった。

9月24日 曇り後雨。
 駒の湯を8時頃出発する。今日は御沢コースから栗駒山頂に登り、須川温泉に泊まる。最初の1時間ほどはイワガガミ平への車道を登る。霧が立ち込め、ときおり雨もぱらつく。視界はほとんど数10bしかない。2番目に出会ったスノーシェルターの手前から御沢コースが始まる。入口に、近頃の集中豪雨でコースが荒れているので、小、中、高校生は入らないようにと掲示がある。御沢コースといってもすぐに沢が始まるのではなく、しばらくは等高線に沿ってブナ林のなかを進む。わざわざ御沢に取りつくために大回りしている感じだ。横沢という大きな沢のほか、いくつもの小沢を横切るので水にはこと欠かない。しかし、ちょっと大きな沢になると、土砂の押し出しが目立つ。たしかにひと荒れあったようだ。
 山道は1時間ほどで御沢に出会うが、そこで突如道が跡切れる。集中豪雨で増水した御沢の激流が、沢への降り口をさらってしまったのだろう。3bほどの崖になっている。ちょっと気持を引締めてその崖を下り、河原に立つ。沢の両岸は荒々しく削り
取られ、新しい赤土がむき出しになっている。河床には、多数の巨岩が今放り出されたかのように転がって、前途多難を思わせる。いろいろな沢を歩いているものにとっては見慣れた光景だが、一般の登山者は不安を覚えるかもしれない。
 そこここの巨岩には最近のものらしい赤い矢印がつけられているが、あまり参考にはならない。かえって遠回りだったり、そのままゆくと渡渉しにくかったりするからだ。この矢印で助かるのは大きな枝沢の合流点くらいであろう。一般登山道にしてはすこし危険だが、沢登りとすれば平凡で面白みのない遡行が続く。
 ただ一つ、印象に残ったのが、初めて体験した青黒い異様な岩であった。これも集中豪雨で表土を流されて顔を出したのではないかと思われる。火山灰が堆積して凝縮したが、まだ粘板岩になるまでは成熟していない脆い岩である。しかも、しばらくその上に立っているとじんわりと流動性を帯びてくるのだ。外傾した足場で、普通の岩のつもりで体重をかけて、次の1歩の踏出しにとまどっていると、足場が崩れだす。靴底が濡れていると、崩れた粘土質が水を吸って潤滑作用が生まれ、余計滑りやすくなるので始末が悪い。しかも、結構頻繁に露出している。この岩が融けだしているせいか、沢のよどみにはあくのようなものが浮いていて飲む気がしなかった。
 御沢に取りついてから大日沢の出会いまでが、この沢の核心部といえばいえる。地図では1時間半の行程である。ピッチを
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長めにとって、これをちょうど1時間で登った。ほぼ予想どおりである。大日沢のわずか手前の河原で1本立ててから、本流を進むとすぐにハシゴ滝がある。ハシゴ段状の滝かと思ったら、その右岸に高巻用の縄ハシゴが懸けてあったので、笑ってしまった。しかし、この縄ハシゴは赤土の崖に懸けられていて、しかもその崖は相当高い。縄は日に晒され見るからに弱そうである。それより滝を登ったほうが余程安全そうだったので直登した。案の定ハシゴのように簡単な滝だった。
 この滝を越えると途端に斜度がなくなって視界が開け、稜線が見渡せる。行く手には潅木に覆われた小さな平原が広がっている。おそらく栗駒山の火口原の一部であろう。沢に沿って道だか川だかわからないような山道を進むと、またハシゴの懸かった赤土の崖にぶつかる。この崖を越えると一段上の火口原に出て、湯の倉コースと合流する。ここはすでに潅木はなく一面の草原である。時期が早ければ雪渓が残り、その周りは高山植物のお花畑だろう。見上げる稜線の直下に黒ぐろとした火山岩の垂壁がそそり立っている。御室の岩帯だ。やっとこのコースも目途がついた感じだ。
 ぼくが火口原に飛び出したときに、先行パーティがいた。どうもそれが同宿の男1人、女3人のパーティらしい。しかし、朝食のとき彼らのほうが後だったし、ぼくは食後すぐに出発したから、彼らが先に出ているはずはない。かりに先に出たとしても、
沢の中には先行する踏跡は1人分しかなかった。どうも解せない。車で湯の倉コースまで送ってもらったか、それとも御沢コースの途中から簡単な高巻コースがあって、それを辿って先に出たのか。とにかく見渡す限り火口原には彼らとぼくしかいない。夏は終わり、紅葉には早い。この山にとってはシーズンオフなのだ。
 とうに昼を回っている。火口原といっても相当斜度のある斜面を見晴しのよいところまで登って昼食にする。この旅に出てから初めてのドライではないビールで乾杯。なにしろ新幹線でも旅館でもだまっているとドライが出て来る。このビールは駒の湯の土産屋の冷蔵庫でドライの中に埋もれていたモルトビールである。旨い。ヒーローサンドイッチにカレーパン、それになぜかインスタントの卵汁で昼食をすます。
 ほろ酔いで、岩帯の下部をトラバースして稜線にでる。下からはほとんどわからなかったが、稜線のミネカエデははや紅葉している。オオバスノキ、イチイ、コケモモなどの実をつまみながら、晴れていればさぞかし見晴しがよかろう縦走路を行く。山頂の反対側からイワカガミ平に続く稜線には、同じような服装の団体が駆け降りて行く。遠足なのだろう遠目にもはしゃいでいる様子で、甲高い声が聞こえてくる。頂上で会わなくてよかった。途中で須川温泉に降りる道を分けて、1時間もかからず山頂に着く。
 踏み荒らされて広場になってしまった頂上には、4〜5人のパーティが1組いるだ
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けだった。ぼくが山頂に着くのを待っていたかのように雨が降りだす。今朝、宿を出るとき、昼頃まではもつでしょうといわれたが、そのとおりになった。景色を楽しもうにも周辺の薮山しか見えないので、雨具を着けて早々に下りにかかる。先程の分岐には戻らず、笊森のほうを迂回して須川に下降する道をとった。
 しかし、この選択は誤りのようである。思えば、御沢コースも“栗駒の良さを集約するコース”となっていたので行ってみたが、とんでもなかった。今回はどうもコースの選択がうまくない。赤土が掘れて深い溝になっている箇所が多いので非常に歩きにくい。しかも傘をさしているのでなおさらである。こうなったら、できるだけ早く宿について温泉に入るしか楽しみはない。それに、秋場所の千代の富士の優勝が今日決まるかもしれない。オリンピックもある。下りを急ごう。 下山路の最後は自然観察路になっている。このあたりまでは須川に泊まった観光客もやってくるらしく、東海自然歩道のようによく整備されている。観察路の名のとおり、やっとゆっくり周囲を見ながら歩ける道になる。この遊歩道には何箇所か観光のポイントがあるようだが、それをバイパスする最短距離のコースを降りた。頭には温泉と相撲がちらついている。道は須川高原温泉の建物の脇を通って国道に達する。残念ながらこの宿には泊まれない。予約しようとしたら満員だった。その代り近くの栗駒山荘を紹介してもらった。すぐ近くだが県境を越えるので、須川高原温泉
は宮城県、栗駒山荘は秋田県になる。
 須川の温泉は圧巻だった。水量の豊富な温泉は、湧き出してそのまま小沢になって流れ出している。それほど湯の量が多い。駒の湯より硫黄分多く、沢の川床や周辺の岩には純度の高い硫黄が析出して真黄色である。だれが悪戯したのかその硫黄をペンキ代りにして、近くにそびえる黒い溶岩の表面に黄色の手形が多数押してある。沢が国道に達したあたりは広い池になっていて、本当の温泉プールである。手を入れてみるとほどほどの湯加減。宿の温泉がますます楽しみになった。
 栗駒山荘は県境の栗駒峠を越えて50bほど下がった国道沿いにある。外見は峠の土産屋で、その奥に宿泊棟がある。旅館というよりは山小屋に近い。実際、部屋に案内されると個室ではあるが、狭苦しく、床は傾き、畳はかびくさい。しかし、峠の上に建っているので景観はよろしい。雨とガスで遠景は望めないが、眼下に湿原が広がり、そこをほとんど車の往来のない有料道路か走っている。それに温泉は潤沢な湯量と透明度で、期待を裏切らなかった。食事もまあまあであったし、なによりひとずれのしない従業員の対応が心地好かった。この山旅はコースの選択と天候を除いて成功であった。とくに温泉はどれも素晴らしい。

9月25日 雨。
朝から激しい雨。1000bを超える高度とあって風も強い。天気がよければ周辺を歩
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いてみようと思っていたが、とてもそれどころではない。一番のバス(9時)で一関へ降りることにする。といってもバスは1日に2本しかない。須川高原温泉の前がバス停である。フロントに発車時刻を確認すると、座るためには早めに行くほうがよいという。一関まで、山道を1時間半ほどの行程だから座れるにこしたことはない。朝食をすませて早々にバス停に向かった。バスはすでに旅館の前に止まっていた。出発20分以上前だったので、乗客は4人ほどしかいなかった。しかし、これはまさに早めに来たからであった。荷物を席に置いて旅館の売店で時間をつぶして戻ると、ほぼ満員になっていた。さらに出発間際に登山者や観光客がどっと乗り込み、通路もほとんどふさがるほどの混雑になった。
 雨とガスでほとんど道路際しかみえず、隣に座った登山者は汗臭く、混雑で気分を悪くする乗客がいたりして、このバス旅はほとんど苦痛に近かった。駄目押しのように、今日は一関で国際ハーフマラソンがあるとかで、交通規制に引っ掛かった。そのため駅の直前まで来て15分ほども遠回りをさせられたが、なんとか予定通り10時30分には駅に着いた。
 そのまま帰るに早すぎる時間だったの
で、雨の中を仙台で降りて昼酒を一杯やることにする。駅のコインロッカーに荷物を預けてから、本屋でガイドブックを買ってめぼしい店を探す。しかし、よさそうな店はほとんど休みだった。なぜか、仙台は第4日曜日が休業の店が多く、今日がその第4日曜日なのである。諦めて行き当たりばったりでゆこうと決めたあとで、ガイドブックにあった“銀たなべ別館”という店が開いていた。活魚料理の店だ。生けすに入れておいた魚が旨いなどとはもとより信じないから候補から外してあったが、この際やむをえない。しかし、意外にもここはお勧めである。酒の肴にたのんだスズキの薄造り、エビしんじょ、おしんこ、そのどれもがいけた。とくにエビしんじょは、どうしてこんなにたっぷり汁気のあるものが揚げられるのかと感心したほどだった。あまりうまかったので、カニしんじょも注文してしまった。仕上げのイクラ丼も合格。とても丁寧に料理してあるのが気にいった。客あしらいもよい。日頃、東京近辺の人ずれのした店ばかり行っているせいか、ちょっとでも受け応えがよいとすぐ感激してしまう。期待しなかっただけに大いに満足し、ほろ酔いで仙台をあとにした。
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