悪天候に祟られた'88年の夏山

高橋尚介     '88/09/02〜04


メンバー  冨山 後藤 関根
        金谷 中村 高橋
        亀村

 今年ほど夏雨が多く、山行計画が目茶目茶になった年も珍しい。南アルプス北岳なんどは、2回もキャンセルになってしまった。行けば何とかなったかもしれないのだが、「西から梅雨前線が北上し、今夜半から東海地方から関東地方にかけて雨足が強くなり、各地に大雨注意報が出ています」とかいう天気予報を聞くにつけ、とても出掛ける気になるものではない。
 しかし当日になってみると、午前中は土砂降りでも、午後にはカラッと晴れ上がったり、その逆だったり、いずれにせよ、その期間ずっと雨が降るわけでもない。相当欲求不満が蓄積する。こうして一夏が終わってしまいそうな予感がし始めていた。
 9月の第1週に吾妻連峰を縦走するという話はずいぶん前に決まっていたような気がする。もともとは7月の白山の代案としてオジさんから候補としてあげられたところであったが、結局天候が悪くて中止になったもの。
 折角遠出するのだったら白布温泉にでもゆっくりつかりたいという希望もあって、金曜日出発という日程となった。大森さんもその日程なら日曜日に一足早く帰ることができるという目論見だった。
 しかし、直前になってオジさんが米国出張、大森さんは体調を崩し、鈴木さんは金曜夜発と誤解していたなどで、結局7名と
なった。したがって車はデリカ1台で福島まで高速を走り、そこからタクシーに乗り換えることになる。新幹線利用も検討したが、何分にも交通費が高い。運転する人が少ないため、ドライバーには大きな負担になる。貧乏籖を引いたのが例によって亀チャン。その他の顔ぶれは、冨山、後藤、関根、金谷、中村、高橋といった面々。免許証を持っているのが2名だけなのはさびしい限りだ。やはり教習所に通うことにするか。
 9月2日午前8時南浦和集合となる。交通渋滞に巻き込まれ、30分ばかり遅い出発となった。ガソリンスタンドでオイル交換をして、東北自動車道を一路福島に向かって走る。北に向かうほど天候が怪しくなり、ポツポツ雨が降ってきた。徐々に雨足が強くなり、土砂降りとなってしまった。予定通りの行動をとるか、行き先変更とするか、車内でひと騒ぎ。行先変更派の意見が勝って、結局、郡山ICで降りて、会津若松に向かうことになる。3日の夜の宿は白布温泉に予約済のため、その前日の一泊をどこにするか。途中昼食のために立ち寄った蕎麦屋で、今後の行動について話し合う。蕎麦屋の亭主にどこか安くて、温泉のある宿がないか聞いたところ、以前に利用したことがあるという裏磐梯の旅館を紹介してくれる。
 裏磐梯の旅館に着くとリッパな観光ホテルといった趣で、むさくるしい山用の服装では気遅してしまいそう。電話で連絡してあったが、料金がまるで違う。交渉したとこ
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ろ、湯治客のための別館に案内され、事無きを得た。露天風呂は気持の良い造りで、何度も浸った。自炊用流しで調理して、部屋で宴会となる。隣は持ち込みのテープで歌う元気な小母さんグループで、流しの使い方もきれいだ。
 3日朝、白布峠を越え、白布温泉に向かう。ロープウェーの山麓駅に車を置いて、天元台までロープウェー、リフトを乗り継ぐ。第3リフトを後に登り始める。途中の分岐で昼食をとり、ここから西吾妻山を往復する組とスキップする組に別れる。登る組は冨山、中村、亀村、高橋の4人。途中から雨も上がり、快適な登山となる。湿地帯を過ぎると急な登りとなりその上はなだらかな這い松とお花畑となっている。天狗岩から居残り組がようやく腰をあげて人形石をめざして歩き始めたのが手にとるように眺められる。吾妻神社の祠を置いた頂上付近にはコケモモの実とジゴボウが至る所にあり、ひととき夢中になって摘む。適
当に時間を潰したので、待っている組のこともあって山頂を後にする。気持の良い散歩道を辿って、人形石に出る。ここからの東大巓の眺めは壮大で魅力的だ。少し下って第3リフトに乗る。途中で土砂降りの雨に遭うが途中なので雨具も出せない。ズブ濡れになって、第2リフトの屋根の下に避難する。小止みになるのを待ってリフトで降りる。こんどは雨具を着けているので、前ほどではないが、再び強い雨に打たれる。ズブ濡れになってロープウェーの駅に駆け込む。ロープウェーの駅で待っていたスキップ組からは『遅すぎる』とブーブー文句がでる。濡れた体で寒さに震えながら、缶ビールと味噌田楽で暖を取る。今夜の宿である白布温泉の国民宿舎で一風呂浴び、部屋で寛ぐ。食事は食堂で他の客と一緒だが、天候が悪かったためか客も少なく、お銚子のお替わりが続いた。
 翌4日は下山日。途中五色沼を見物して、蕎麦屋でメートルを上げて帰路につく。
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