会津駒ケ岳

橋元武雄     '88/06/17〜19


メンバー  冨山 鈴木 大森
        中村 橋元

6月17日 晴れ。
 昨夜の強い雨のせいか、朝は涼しい。大分どたばたしたが、6時すぎてやっとすべての作業を完了。今晩出発の会津駒ケ岳の準備をする。シャワーを浴びて、車を玄関の前に回したとたんに、大森が到着。きわめてタイミングが良い。
 出発予定は、蕨駅前を7時半だったが、めずらしことに時間前に全員集合。東北縦貫、日光有料道路、会津西街道と快調に飛ばして、11時半に民宿丸八に到着。  ここの奥さんは星タニ子といって、尾瀬沼の沼尻ソバ屋の長女で、燧小屋の奥さんの姪にあたる。つまり、燧小屋の奥さんとソバやの小母さんは姉妹になる。タニ子はかつて桧枝岐歌舞伎の役者で、燧小屋を手伝っていたこともあって、ぼくとは古くからの知りあいである。
 予約するとき素泊まりだから何もかまってくれるなと、ご主人にいっておいたが、タニ子が昨日取ってきた山菜やら、山椒魚の揚物やらを沢山出してくれた。おかげで大森が用意した刺身やエダマメなどがあまってしまった。タニ子夫婦は親戚のご不幸があったとかで、山口まで外出していて、9時すぎに戻ったという。タニ子も交えて1時半頃まで飲みながら話しをする。

6月18日 快晴、のち雷雨
 宿では朝食は取らず、冨山さんがいれた
紅茶とクッキーだけで出発。滝沢橋から国道を離れて林道を登り、途中から林道を串刺しにする旧道を登る。梅雨のさなかというのに、天気は快晴である。林道終点で朝食。冨山さんの用意したパンとハム、レタスなどを食べる。ここではじめてウダイカンバを同定。シラカンバ、ダケカンバより葉が一まわり大きく、2枚の葉が束生するのが珍しい。
 登山道は最初やや急登だが歩きやすい。多数の枯れ葉がべったりと地面に張り付き、まだ雪解けが済んだばかりの様子がありありとわかる。植物の様子は登るにしたがって、急速に時間を遡行してゆく。実は花となり、花は蕾みとなり、やがて花も葉もない裸の木に戻る。植物を調べる場合、こうした遷移を短時間のうちに見られるというのは、非常に都合が良い。長年分からなかった草木の名前が、花と実を同時に観察することで、一挙に解決することがある。今回はタムシバとコブシの違いを明確に判定できるようになった。その結果、このあたりにはコブシは見当たらず、すべてタムシバであることを知る。チャウはウリハダカエデの判別方法を完全にものにしたようだ。チャウの植物に関する急速な進歩はめざましく、うっかりするとこっちが誤りを指摘されてしまう。ヘクソカズラがクソミソソウになったり、ウサギギクがタンポポになってしまう梓の植物学的レベルからすると、一頭抜きん出た感がある。
 2時間ほど登ると斜度は緩やかになり、尾根筋にでる。そのころから残雪が出て来
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て、やがて右手に駒の頂上から北東に派生するまろやかな山並みがみえてくる。緑の山膚と、まだまだ多い残雪のコントラストが美しい。途中で2本ほど立てたが、冨山さんと大森はちょっと苦しそう、チャウも不調の1歩手前。善さんはいつものペース。ぼくは近頃運動不足のため太りぎみで、不安だったがおもったより快調。休んでいるときに「クェクェクェ…怪鳥(快調)」などと駄洒落をとばしたら、大森の顰蹙をかってしまった。
 駒の小屋周辺はほとんど雪に覆われている。小屋の前庭には団体客が群れていたので、敬遠し、わずかに顔を出している木道に座って昼食にする。木道の脇には雪解け水が池になっていて、ビールを冷やすのにちょうどいい。雪が多すぎてあまり高山植物は咲いていない。途中、わずかにショウジョウバカマとマイヅルソウが花を付けていただけ。木道の前の湿原に名前の分らないスゲが咲いている。どこでも見かけるやつで、ずいぶん前から気にかかってはいたのだがいまだに名前が分らない。花穂は、黒っぽい回転楕円体で黄色の花被片が沢山生えている。後で家に帰ってからそこいらじゅうに図鑑を引っ張り出してやっと名前が判明した。じつはだれでも知っているワタスゲの花であった。大森だか善さんだかが、ワタスゲじゃないかと言っていたが正解だった。花と実の姿があまりに違うのでいままで気付かなかったのだ。あの黒っぽいいがぐり頭が純白のワタスゲになるとは。
 食事を済ませて、荷物はその場に残し、駒の頂上に向かう。まだ豊富な雪田をのんびり登っていたら、スキーで降りて来るやつがいる。結構うまい。近くを通り過ぎるときにみたら、スケートに毛の生えた程度の長さである。これならたいした荷物にならない。ぜひわれらが山行にも導入しよう。しかし、普通の長さならともかく、あの長さであの安定した滑りは相当なものだ。
 ほんのわずかの登りですぐ山頂である。今年の連休にスキーでここに来た善さんは、とても素晴らしい展望だと言っていたが、山頂の周りは低木に囲まれてほとんどなにも見えない。善さんが来た頃の山頂は残雪が潅木を覆っていたが、いまでは日当たりの良い山頂では雪が消え、抑えのなくなった木が一斉に立上がってしまったのである。そのうち雨がぽつぽつ降ってきた。上空に寒気が流入しているらしい、雲の動きがせわしない。田代山のほうは輪郭の乱れた暗雲に覆われてなにも見えない。朝のうちの快晴も半日しかもたなかったが、この季節であってみればそれだけでも御の字であり、予想どおりでもある。
 帰りは大津岐山に延びる稜線を縦走して、その山頂の手前から村の上流のキリンテに下る。この稜線は富士見林道というらしい。林道というと車でも走りそうだが普通の登山道である。日当たりがいいせいか、ハクサンシャクナゲがあちこちで咲き誇っている。花をつけている高山植物も多い。ミツバオウレン、ミツバノバイカオウレン、イワナシ、ミヤマカタバミ、シラネアオ
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イ、キクザキイチゲなどが咲いていた。ミツバノバイカオウレンは初見参だが、チャウに「この花は?」と聞かれたとき、反射的に名前が出てきた。いつかの田代山で尚やんに聞かれたときのオサバグサと同じだ。はじめて見た花でも、考えるとか思い出そうとするのではなく、花を見るとその名前がスーッと頭に浮かんでくることがある。何度も図鑑でお目にかかっているうちに無意識に記憶に染み込んでいるらしい。
 途中、しだいに雨が強くなり、雷も聞こえ出す。縦走路は裸の稜線を絡んでいるので雷は御免蒙りたい。そのうちガスが濃くなり、雨は土砂降りになって、おまけに雹まで降り出した。そういえば同じような季節に平ガ岳に登ったときは、雷が鳴って雹と雪が降ったことを思い出した。冨山さんは雹は丸いかと思ったら凸凹だと感心していた。ブリタニカにいたころの門前の知識によれば、雹は激しい上昇気流の中を何回も上下しながら、周囲の仲間や水滴を付着させて成長していく。やがて上昇気流の押し上げる力よりも自重が重くなったとき、はじめて地上に降ってくる。いってみれば雪だるまに雪つぶてをぶつけて膨らませているようなものである。凸凹になるはずだ。
 みんな雨具を着けたが、ぼくだけそのうち止むさ、とたかをくくっていたのでずぶ濡れになってしまった。いったん濡れてしまうと、意地でも雨具を着たくない。手がかじかんで、ぶるぶる震えがくるほどだったがウインドブレーカーだけで我慢してしまっ
た。キリンテへの下山路も快適な道で、とても歩きやすかった。おかげで植物の観察がよくできた。
 国道まで降りるころには雨も止んだので、バスはやめて歩いて宿に帰ることにする。国道脇でオオバボダイジュを始めて見た。別々の場所で何本も見たが、不思議に同じ科のシナノキと並んで生えている。サワシバ、クマシデなどが緑色の幾何学的な形状の実を多数垂らしていた。
 宿に帰ってから川を挟んですぐ向かい側にある桧枝岐温泉にでかける。2〜3キロ川下には小豆温泉という古くからの温泉があるが、そこまで行くのはさすがにおっくうだった。室内の浴槽は狭かったが、露天風呂が増設されたおかげで戸外でのんびり体を温めることができた。冷え切った体にほどほどの温度の湯が心地よい。
 それにしても天気の変化に富んだ山行だった。朝方の快晴がだんだん曇りがちになり、昼を境に激しい雨に変わり、やがて雷鳴をともなって雹が降る。夕方には雨が止んで、ついでにいってしまうと、翌日は快晴だった。夕方、燧小屋に電話してちょうど泊まっている土屋氏、斎藤ブーさんなどと話す。

6月19日 快晴。
 朝食を済ませて燧小屋の角子さんに挨拶に行く。近くの橋のたもとにイラクサ(ミヤマイラクサ)が生えているところを案内してもらった。
 大森が出社日なので寄り道をしないで帰
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る。チャウはお土産に生きたままの山椒魚を醤油のポリ容器に沢山もらって、虫めずる姫である。しかし、下界に下りるにしたがって急激に気温があがり、ほとんど全滅。湯の花温泉から田代山の近くで帝釈山脈 を越える林道に入ったが、途中で土砂くずれのために通行止。20分ほど損をしてもとの道に戻る。結局、往路と同じ道を帰る。今市のそば屋で昼食。このソバはまあまあだが、つゆが甘すぎる。
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