赤薙山〜女峰山

橋元武雄     '87/11/21〜22


メンバー  冨山 鈴木 高橋
        中村 亀村 橋元

11月21日 晴れ。
 久しぶりの山行。日光の赤薙山、女峰山縦走。今日は偶然ぼくの誕生日。44才。  浅草発、8時10分の快速。途中の春日部からカメが乗り込む。
 霧降高原からのアプローチだが、リフトは動いていなかった。なだらかな尾根を登る。キスゲ平で初めての休息。山道の両側には、高山植物を鹿から守るためと称して裸の電線が張ってある。しかし、電線の内側は踏荒らされた山道で、ほとんど守るべき植物はない。もしかすると、人間を柵外に出させない工夫かなとも考えた。
 2ピッチ目の後半から積雪帯に入る。2度目の休息で早くも誕生日を祝ってメルシャンのボジョーレ風新酒とビールで乾杯。それで、善さん以外はほとんど戦意喪失。3度目の休みで、早くもテン場探しが始まる。まだ、2時頃である。結局、強硬停滞派の尚やんを善さんがなだめすかして、もう少し先までということになった。無駄を承知でカメを偵察に出す。案の定ろくなテン場がない。そうこうするうちに赤薙奥社跡のピークまで登ってしまった。
 奥社跡は十分テン場になる。ここでまたひと悶着ある。善さんが彼方に見える尾根はいかにもなだらかで、ここよりもっと良い幕営地があるに違いないと言い残し、さっさと先に行ってしまう。やむなく全員のこのことついて行った。しかし、奥社跡から10
分ほど下ったコルがあまりに快適な幕営地と見えたので、善さんもついに納得し、ここをテン場とすることになった。昼前から歩き出して、まだ3時15分である(翌日、この決定が大正解であることが判明する)。20aほどの積雪を靴で掃き除けると立派なテントサイトができた。夏なら、水場がないので幕営できないところだが、今なら雪がふんだんにある。テントを張り終わると、さっそくビールで乾杯し、引き延ばされた宴会が始った。

11月22日 晴れ、強風。
 夜半から思いもかけない強風になり、周囲の林全体が激しくざわめいている。しかし、幕営地はほとんど風のあたらないところで、ときどき木の上に積った雪の破片がテントに当たるくらい。強風は対岸の火事である。奥社跡は、木立の中とはいえ山頂だから、あそこにテン張っていたら、この強風にさらされてどんな目にあったかと思う。
 女峰山への一里ガ曽根という尾根は、昨日善さんが言っていたようにとくに起伏もなく歩きやすい。ただし、テントを張れるようなスペースはまったくない。昨日のテン場選びは偶然とはいえ二重に正解だった。登山道の周囲はアズマシャクナゲが群生している。今年の花の残りと、来年の花の蕾みと、葉芽との3種類が目立つ。そこで1本の枝は、3年周期で花を付けるとの仮説を立てたがどうか。それはとにかく6月頃はさぞ見事だろう。
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 女峰への登りは痩せ尾根で、一ヵ所いやな所がある。雪がついていなければさしたることはないのだが、足場もやや外傾していて不安定だった。とにかくこの稜線はほとんど東西に延びているので、まともに北西風を受ける。強風と寒気にはへきえきした。雪は降っていないが、地表から吹上げられた氷の粒がびしびし顔を叩く。風下側に回り込むと、ぴたっと風は止むのだが、よりによって上手ばかり通る。
 幸い女峰の社の附近は風下で静かだった。社には紙パックの酒が供えてあったが、だれも手は出さない。写真を撮ってすぐに、唐沢小屋に降りる。唐沢小屋は無人だが新しく立派な建物だった。お茶をたてて、軽い昼食。
 下りの行程は長いが、針葉樹林帯、火山岩が散在するササッ原、シラカバの林、カラマツの林、広大な草原など変化に富んでいて飽きない。そして、最後に東照宮の背後を守るスギとヒノキの林を抜けて、役の小角を祭る行者堂の脇に出る。そこからは境内の石畳の参道である。二荒神社、東照宮、輪王寺などを経て日光の市街に出ると、とたんに観光客と車の列に呑み込まれる。これで山行の雰囲気は吹飛んでしまった。
 後で調べると二荒山とは男体山の別称。したがって、二荒神社は男体山を祭る神社。東照宮、輪王寺は、もともと天台宗の日光門跡という寺を、僧天海が家康から授かって再興したらしい。家康の死後、勅許を得て東照宮(はじめは東照社)とし、後
で後水尾天皇の皇子が入寺して輪王寺の名称を賜ったとある。
 そばで一杯やろうということになり、少なくとも観光客相手でではなさそうな店を探し、「後藤」というそば屋に入る。しかし、今回来られなかった後藤さんのたたりか、店内の雰囲気がいま一つぴんとこない。とりあえず酒とつまみの山菜をたのんだが、御大が納得なさらない。なにせ気難しい人ばかりそろっている梓の御大である。日光のそばは、ゆばそばに限るのだそうだ。そこでただ一人の御大派閥のカメが店を飛出し、ゆばそばの偵察に出る。例によって目的を果たさずにカメが帰ってくると、その間に御大が昔の記憶を甦らせ、いつか日光でゆばそばを食べたのは駅のすぐそばであったという。そこで、後藤の小母さんに「いや、山菜が多すぎて、そばまでいかなかった」などと、見えすいた言訳をしてその店を出た。
 ぞろぞろと連立って駅の方へ歩くと、ほどなくゆばそばの看板を掲げた、「魚要」という魚屋のようなそばやがあり、そこに落ち着く。店内もまあまあである。先程の店より活気がある。こんどは、全員一致でゆばそばを注文する。ぼくなどは、ゆばにはほとんど興味はなかったが、御大の執着に引きずられる格好でゆばそばをたのんでしまった。  そばを待つ間にまた一杯。そのうち来ました!待望のゆばそば。これがすごい。お麸くらいの太さに巻いてから、厚めに輪切りのゆばが、3切れか4切れそばのうえに並んでいる。口に含むと、あの独
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特の歯ごたえは十分で、そば汁の味がたっぷり沁みこんでいる。これで満足。
 あらかじめ調べた浅草行きの準急に乗るため、早目に日光駅に向かったが、30分前というのにずいぶん人が並んでいた。前へ前へと進むうちに、ホームの先頭まで行ってしまった。このホームは先細りになっていて、先端はひと一人がやっと立てるほどしか幅がない。そのせいか、待ち行列の並びかたからいって当然先端部にもあるべき列がない。目ざとくそれに気付いたカメが、そこに並ぼうという。ぼくも近くにいた構内作業員に尋ねてみたが、そこから電車に乗れるという。
 われわれが並ぶと、すぐにあとに列ができた。そこへ若い駅員がとんできて、ここへ並んではいけないという。しかし、相手が悪かった、名にし負う梓の手練である。たちまち寄って集まって、この駅員を言いくるめてしまった。神ならぬ身の駅員は気付かなかったろうが、今回の山行に後藤さんが来られなかったことが、彼にとって唯一の救いであった。
 いざ電車が来て乗ってみると、さほどの混雑ではなく全員ゆったり座れるほどだった。後は眠るだけ。今回も楽しい山行だった。
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