奥秩父 滝川遡行〜釣橋小屋まで

冨山八十八     '87/09/19〜20


メンバー  鈴木(CL) 田中 亀村
        冨山

 西武池袋7時30分の「レッドアロー号」に乗り、秩父から秩父鉄道で三峰口まで行き、タクシーに乗る。
 バスを利用すると三峰口から秩父湖まで、そこから乗り換えて川又までということになるが、この池袋−秩父(西武)、秩父−三峰(秩父鉄道)、三峰口−秩父湖(バス)、秩父湖−川又(バス)の4者の時間接続がてんでんばらばらで待ち時間ばかり喰うことになる。
 タクシーは立派に舗装された国道146号線を走る。 秩父湖から湖畔の丘へ登った道路沿いの部落が橋本で、山を下ったところの集落が川又(俣)である。秩父最奥の部落として知られたところだが、ひっそりと小さな集落である。
 甲武信岳から発した3つの沢、笛吹川東沢、西沢、真ノ沢のうち、真ノ沢が入川となって川又で滝川と合流し、秩父湖でいったんせき止められ荒川となる。
 入川の橋を渡ってすぐに「雁坂峠入口」の看板が立っている。さらに無人の舗装道路を走り、天狗橋の手前でタクシーを下りた。料金は5,700円余り。国道146号線はさらに雁坂峠を越えて、山梨県の広瀬まで通じる予定であるが、現在はこの先しばらくで行き止まりとなっている。
 滝川が道路のはるか下に見える。川音も聞こえてこない。善さんがひとりで来たときは川まで下りるのに30分かかったとのこ
とである。東大演習林の立て看板の横から踏み跡をたどり、急な斜面を木立につかまりながら下る。10分あまりでトロッコ道の跡を横切り、さらに下るが断崖のため行き止まりとなる。
 トロッコ道のあとを右、左と探し、小尾根通しに急降下を続け、やっと川面に着いた。
 両側は高い崖が続き、暗い。川がとうとうと流れている。身支度を整えて早速川の中へ入る。
 まず善さんが流れに入る。たちまち腰までつかる。岩角にしがみつきながら岩角の向こうをうかがい
 「ザイル、ザイル」と叫ぶ。
 善さんに続く私も腰までつかり、水の量感に圧倒される。善さんは岩角から手を放せば流されてしまうので先へは進めないという。善さんのつかまっている岩角に本流の流れがどうどうと当っている。あきらめて高捲きしようと川から上がる。
 いま先苦労して下った跡をまた登り返してトロッコ道跡へ出た。トロッコ道を上流へ向かうと鉄橋跡がある。
 ちょうど平行棒ぐらいの幅の鉄の架橋が2本渡っており、横に並べた枕木は朽ちている。
 善さんはザックを背負ったままさっさと渡ってしまった。私はとうてい渡れる自信がない。手すりの代わりにザイルを張ろうというが、私は絶対に渡らないと主張する。
 せっかく向こうへ渡った善さんがまた渡り返してきた。そして鉄橋跡の手前から、木
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立につかまりながら急斜面を降った。下部は崖のためザイルを伝って再び大滝川のそばに下り立った。
 「あれ、あそこに倒木がある」
 と善さんが叫ぶ。4、50m下流に倒木が見えるが、あれは先ほど岩角につかまっていた時、すぐ先にあったものだという。わずか4、50mの距離を稼ぐのに高巻きによって45分もかかってしまった。
 両岸は崖がせまっていて歩けず渡渉をくり返す。水流は腰あたりまできて、流れが強く足が疲れる。
 左岸から豆焼沢が入りこんでいる。この豆焼沢を詰めると雁坂峠に達する。
 こんどは右岸の高巻となる。どんどん登って行くと踏み跡が二方向へ分かれている。一方はそのまま斜面を登っている。地図では右岸にも左岸にも川と平行して山路があるので、これまでの渡渉にこりて、あわよくば山路をたどりたいものと、そのまま上方へ向かう踏み跡を登った。やがて山路に出た。しばらく行くと木材を伐り出したヤグラの跡に出会った。
 この尾根路の上流に向かって右側からわれわれは登ってきたのであるが、左側からも沢音が聞える。善さんがあちらこちら偵察して、左側の沢は左方向へ流れているという。もし左側の沢が滝川の上流に当たるのであるならば、川は右方向へ流れていなければならない。しかも左側の対岸に146号線らしい立派な道路が見えるという。
 いったいどうなっているのか。
 いろいろ推論してみて、川の湾曲部から尾根が立っていて、われわれは現在そこにいるのではないか、ということになった。すなわちわれわれは滝川の左岸から川へ入り、対岸につき出した尾根をぐるりと回ってこの尾根へ登ってきたのではないか。結局2時間ばかり渡渉をくり返して出発点からさほど離れていない対岸に登りついた、という結論になった。
 時間は2時である。とにかく腹が減ったので昼食とする。空は曇ったままで、山にガスがかかる。
 尾根路を少し上流へ進んだが、これは地図にある山路ではないらしいことがわかり、再び右側の川へ下る。最後は崖でザイルを出す。
 そしてまた渡渉がはじまる。
 数かぎりない渡渉。それに高巻が6回。高巻の最後はかならずザイルを必要とする。行けども行けどもゴルジュから抜け出せない。水がそれほど冷たくないので助かる。それでも初めての「金冷し」では震えたが何回もくり返すうちに何とも感じなくなった。しかしさすがにヘソまでつかると冷たさが頭まで走ってくる。流れの表面ばかり見詰めているとめまいを起こしそうになるので、時々眼をちらっと遠くへやる。
 きりのない遡行である。もうどこまで行けるか目標地点は考えないことにして、とにかく4時か4時半になったら行動を停止することにした。
 4時過ぎに、右岸から1本沢が入りこんだ地点で、ようやくテントでも張れそうなス
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ペースを見つけてザックを下ろした。この沢は金山沢らしい。
 善さんと誠氏が金山沢を越えてビバーク適地を見つけに上流に行ったが、私はもう1歩も動く元気がない。
 上流にも適地はなく、ゴロゴロの石だらけでテントを張れそうにもないが、たんねんに石を除けてようやく6人用のダンロップを張った。
 焚火をしようとしたが適当な流木もない。濡れた木を集め、善さんの携帯燃料を芯にして火をつけたもののたっぷりと濡れた衣服を乾かすにはいたらない。
 濡れた身体が寒いので熱燗とする。メインディッシュはきのこ類を中心とした洋風水炊き。200gの肉は多かった。4人で1.8gの酒をやっと空ける。誠氏とカメちゃんは食事の途中で眠ってしまったので8時に就寝とした。
 小雨がぱらついてきた。明日は4時起床、6時出発とする。

 2時半に目が覚めた。善さんも目を覚ましたのであと1時間眠ろうと寝込み、つぎに目が覚めると4時20分なのであわてて起きる。
 朝食は誠氏のうどん。それを無理に押しこんで6時25分に出発した。
 川の水はかなり減った。昨夜のうちに20cmばかり水位は下がった模様である。カメちゃんが昨夜水を汲んだ岩の上から今朝水を汲もうとしたら、全然水面へ届かなかったという。
 早速渡渉である。昨夜のうちに減水したのと、上流へきたためか水の量はそう多くはない。川幅も10mくらいに狭まった。しかし水流は強い。誠氏が一度横へ倒された。きのうはこの流れは「川」という感じであったが、今日はやっと「沢」という感じになる。渡渉も「横断」から、岩と岩との間の「縦断」となって距離が稼げる。
 善さんが岩の上に新しい足跡を見つけた。今朝われわれの先を行った人がいるらしい。
 7時半頃、大きな岩影で食事をとっている釣人に出会った。この人が先ほどの足跡の主らしい。彼は地元の人間だけが知っている山路を通って今朝入ってきたのだという。これから腹ごしらえをして釣をはじめるのかビクには魚影は見当たらない。
 大きな岩が重なり合ってきた。ガイドにある「直蔵淵」あたりか。
 それから間もなく、ようやくゴルジュを抜けた感じとなると、左岸から沢が1本入ってきている。
 これが水晶谷である。ゴルジュで狭くて暗い。マキノ沢の方が大きくて明るく、こちらの方が本流のようにみえる。
 腰まで水につかりながら岩沿いに右折して水晶谷へ入る。ときどき渡渉しながらもだいたい左岸沿いに進む。
 岩が切りたって両岸に迫っているので流れに入り、そのまま進むと、左岸の岩にザイルがたれ下がっていた。
 トップの善さんが水中からザイルの末端の輪へ片足を掛け、つるつるの岩をよじ登
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った。後は善さんが上からザイルを投げ、カメちゃんと私は棒引きで引き上げてもらった。
 しばらく行くと前方に吊り橋が掛かっている。半ば傾いて手摺りもない。
 8時30分にその吊り橋の下へ到着した。右岸にトタン掛けの朽ちた小屋があり、これが吊橋小屋である。
 そもそもここが水晶谷遡行の出発点である。ここから水晶谷を遡行すると6時間半で水晶山へ達し、そこから雁坂峠を経て山梨の広瀬へ出るのが今回の水晶谷遡行の計画である。
 しかしこれからこのコースを辿り、今日中に帰宅するのは体力的にも時間的にもとうてい無理である。ここからは山路をたどって川又へ引き返すことにして、行動食をとった。
 先ほど出会った吊り人の話だと、山路へでるまで30分、そこから滝川林道(国道146号線)出会まで1時間とのことである。
 吊り橋から急な登りが30分続く。上の方でガサゴソと笹を分ける音がする。熊か人間かといいながら登って行くとこちらへ下ってくる釣人に会う。善さんが
 「出会までどれ位ですか」
 とききながら
 「あーッ、ウイスキーご馳走になった人」
 と頓狂な声をあげる。彼も驚いて
 「また会いましたね」
 「あれから尺ものがつれましたよ」
 といっている。
 昨年善さんが単独で水晶谷へ入ったと
き、彼は古礼沢の出会いでツェルトを張って岩魚釣りをしていたのだった。そこへやってきた善さんが彼にウイスキーをご馳走になったのだそうだ。
 「その時はどうもご馳走さまでした」
 善さんは礼をいっている。
 この山路も相当なもので、ところどころにある桟道は朽ちていて、一度誠氏が板を踏みぬいた。崩れかかった箇所もいくらかあり、2時間かかってようやく豆焼沢に架かる立派な橋に到着した。
 この橋は、現在山梨県の広瀬側からと埼玉県の川又側から旧秩父往還沿いに大掛かりな国道146号の工事が進められており、そのために架橋された橋である。橋の詰めからトンネルを掘削中であった。工事の人の話ではこのトンネルを出て上流の左岸山腹に白旗が立っているところまでもう1本橋を架け、そこからまたトンネルを掘って、開通までにまあ7年位はかかるだろうとのことである。
 立派なコンクリート道路の右手はるか下方に滝川が流れ、きのうはそこを渡渉したり、高巻きしたりしたことになる。今回の山行の立案者でリーダーである善さんのために言い添えると、前回善さんが単独で遡行したときは、2、3時間で滝川を終え、水晶谷に入れたのだが、今回は水量が多くて、目論見とは全然違っていたそうである。今年は夏から秋のはじめにかけて雷雨が多く、15日前後には台風による降水量も多かった。
 野猿の群れが道路から滝川までの豆焼
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沢筋に遊んでいる。
 12時にきのうタクシーを降りた出発点に到着した。人ッ子一人通らない立派な道路に坐りこんで残ったビールとつまみで一杯やる。
 そこから川又まで延々と続く立派なコンクリート道路を1時間余り歩き、2時には川又のバス停に着いた。バスは出た後で、三峰口からタクシーを呼び、それが来るまでの3、40分、私は精魂つきはてて、人気のない茶屋のベンチでぼけーっと待った。

 今回は失敗したが滝川、入川流域には人もあまり入らぬ、いい沢が多い。善さん
の案内で、水量の少ないときに、ぜひまた行きたいものだ。

期間    '87/09/19〜20
行程    1987年9月19日(土)
西武池袋 7:30=秩父鉄道、三峰口=タクシー=天狗橋手前、東大演習林看板前 11:15−滝川再出発 12:30−金山沢出会 4:00
9月20日(日)
金山沢出会 6:25−直蔵淵 7:30−釣橋小屋 8:30−豆焼沢橋 11:00−出発点 12:00〜12:30−川又バス停 14:00
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