平ケ岳

冨山八十八     '84/10/21〜23


 長らく待望の山だった。そして平ケ岳は期待を裏切らず、期待以上に素晴らしかった。今度また違ったルートでの再訪を誘う。
 帰途、尾瀬の燧小屋で梓の全員が集まり総会を開くことになっていた。ところが沼山峠から尾瀬沼畔の道をたどったわれわれ平ケ岳組と、燧ケ岳に登りナデッ窪を下ってきた他のメンバーが、偶然にも沼尻の丁字路でばったり出会った。しかも快晴に恵まれた3日間だった。

 10月21日(金)の午後8時、蕨駅に集まりおじさんのデリカで雨の中を出発する。この10日ばかり秋雨前線が居座り全国的に雨の日が続く。しかし予報ではこの雨も週末には上がる予定である。東北縦貫道を走る頃にはいつの間にか雨も上がった。矢板で高速道路を下り、先々週おじさんが燧小屋で仕入れて来た近道である釈迦ケ岳開拓道路に入る。一車線の狭い舗装道路でしかも日光のいろは坂以上にめまぐるしく右に左に切れながら山道を登り、下る。帰途またこのコースを走ったときは、山の上に広大な日本ばなれした牧場があったりして気持ちのよいところであったが、何せ夜道でライトがめまぐるしく右や左の樹林やコンクリートの側壁を照らすばかりで、ついにおじさんも「酔っぱらっちゃった」とシートに横になってしまった。
 新藤原駅の先で会津西街道に出、121号線、352号線沼田街道を快調に飛ばす。途中ところどころ工事中の砂利道もあ
ったが行き交う車も少なく時間が稼げる。車の前をテンかイタチか狐かが2、3回横切る。
 桧枝岐の近くで橋の工事のためストップを食らう。工事のため12時から午前3時までは通行止めだという。
 それでは近くで天張ろうと少し引き返した河原に善さんが平坦地を見つけたので急いでテントを張った。そこへ工事の人がやって来て、ここはダンプが通るという。面倒なのでままよとテントに入りワインを2本空けて横になったが、ダンプがテントの傍を通り、おまけにすぐ近くでシャベルカーが土砂を採掘してはダンプに積み込み、ダンプがまたエンジンを全開にしてテントのそばの急坂を登って行く。騒音と振動で眠れたものではない。結局作業が終わる3時までまんじりともしなっかた。

10月22日 快晴
 5時にカメの腕時計のベルが鳴ったがいま先眠ったばかりなので起きられたものではないが、次に善さんの声で起こされる。テントの外は晴れている。久し振りに青空と日光をあおぐ。大急ぎでテントを片づけデリカで出発する。
 尾瀬の御池から道路はぐんぐん高度を下げる。木の間越にびょうぶのように立ちはだかった山並みが朝陽に照らされ緑がキラキラと輝く。平ケ岳に続く山々らしい。小沢平の尾瀬口山荘から道路は只見川沿いとなる。左右に点々と桧枝岐の出作り小屋が現われる。「出作り」といって畑地
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は小沢平とか砂子平とか呼ばれるわずかな平地があるのみだ。
 平ケ岳登山口のバス停に着いた。バス停の横の狭い空き地に先着の自動車が2台停っている。道路越の薮をわけておじさんと善さんが水を汲みに行き、食当のチャウがサラダを作る。
 出発の準備をしていると5、6人のパーティーが登山道に入っていった。入り口には「越後三山」の標識が立ち、また別の標識には平ケ岳頂上まで軽装で6時間、11Kmと記されていた。
 はじめは荒れた林道である。善さんが早速道端に落ちていた草刈り鎌を見つけて拾う。だいたい善さんは、金目のものを拾うのがうまい。5分ほどで浅い沢を越す。下大倉沢である。林道の右手の薮に山ブドウを見つけておじさんが採ってくる。歩きはじめて10分あまりで「平ケ岳」と小さい板切れに手書きされた標識があり、林道から右に折れて薄原の中の細い山路にかかる。この路は下大倉山(台倉山)から一直線に延びた尾根であり、コースは真正面にこの尾根の末端から辿ることになる。
 空は快晴でさんさんと陽が照り、暑い。径はだんだん傾斜を増す。かれんなママコナが斜面一面に咲いている。赤紫色の細長い葉に点々と赤い小さな花をつけている。この花は赤い花びらのなかに米粒の形をした白い突起が二つちょこんと並んでいて、そこからこの花の名がつけられたというのがおじさんの解説である。
 以前に水長沢から平ケ岳に登り、このコ
ースを下降したマコトから
 「裏巻機の松の廊下みたいにきついところですよ」
とおどかされてきたがまだそれほどでもない。両側の切れこんだ尾根径はむしろ鶏冠尾根を思わせる。
 後のおじさんから声がかかり、大きな木のそばで1本立てる。その木に「前坂」と打ちつけてある。前方の尾根のこぶに先行パーティーの姿が見える。歩きだして1時間、振り返るとずいぶん高度を稼いだ。清四郎小屋の青い屋根が見える。渇いた口にここまで持ってきた山ブドウの酸っぱい味が心地よい。
 再び歩きだす。「中坂」といったところか、小樹林のなかにやっと少し下りがあるが直ぐにまた一本調子の登りとなる。なるほどマコトのいった「松の廊下」を思わせる急登である。
 右手、下大倉沢を隔てた尾根の先に鷹巣山(1、623m)の頂上が樹林で覆われて突起している。しかもその直下には男根そのものの岩が立っているではないか。
 「上坂」といった感じの急登で呼吸を整えていると、後から登ってきたチャウがそのまま休まず登り続けるので後を追う。かなりの急登を登り切ると稜線に達し、ここが下大倉山で、鷹巣山へのコースが右手に示されていた。
 そこから稜線を左へ只見川と平行して延びる尾根を休まずに進む。道端の赤い実を口にほうり込むと疲れが忘れられる。ゴゼンタチバナの赤い実も食べてみたが、な
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かにはかすかな甘みを持ったいけるものもある。ゆるい上下を二、三度くり返して大倉山に着いた。 樹林を少しばかり切り開いた尾根径に1695mの三等三角点があった。ザックを下ろして休む。
 右前方西南に、足元に拡がる樹林帯を越して、充分に肩を張った池の岳と平ケ岳が上半身を現わしている。細長い梯形で、なだらかな起伏を持った草原状の馬の背といった感じである。地図で想像していたときは大倉山から尾根伝いだと思っていたが、それとは違い、意外と距離もありそうだ。
 燧がなかなか立派だ。長蔵小屋あたりから見るのと違って頂上は2つに分かれ、そこから広い裾野を引いてそびえ、その裾野はゆたかな樹林で覆われている。いかにも燧が火山であることが分かる風景である。裏燧の上田代が、一面の緑のなかでそこだけ茶色っぽい楕円となって意外と高いところに認められる。
 今朝通ってきた御池から銀山湖に至る道路が遠くに一本、樹林の中腹から現われ、只見川と合して折れ、そのまま一直線に眼下に続くが、キラリと光るはずの車の影は全く認められない。
 東正面に会津駒をさがすが重なり合う青色の山の起伏のみでどれだか判りにくい。地図と照らし合わせて、尾根に認められる送電柱の左の三角形がそれらしいと判断する。
 北の方、鷹巣山の尾根の彼方に銀山湖が光る。
 行動食を食べたり、四方の山を眺めたりで30分も時間がたってしまった。腰をあげ、尾根を少し行くと径は尾根から右へ下り、唐桧の巨木のなかの下りとなる。どこから水が出てくるのか径はぬかるんでいる。間もなく水場のあるテント場に着いた。
 先行パーティーが休んでいて上の水場はかれていると教えてくれる。下の水場は少し下った心細い沢である。水はチョロチョロと岩の上を這うていどなので先行パーティーは熊笹で水を受けていた。おじさんは用意よろしくビニール袋をもっていて、それで水を受けるので溜るのが早い。下流を捜せばもっと流れのよいところがあるだろうという。
 テント場は高い巨木に覆われ、地面が湿っているところが多い。適地を見つけてダンロップの4人用と3人用を張り、荷物を置いて出かける。
 テント場がいちばん低い場所にあったのか、すぐに登りとなる。両側にそびえ立つ樹林の間から眺められる狭い空は曇、おまけに行く手に雷鳴がする。
 また下りとなり、かれた沢を渡ってしばらく行くと「一杯清水」の表示がある。先行パーティーが休んでいた。樹林を少し切りひらいた空地の隅に木で囲んだ湧水があるが、水はそれほど湧いていず淀んでいた。テントは2、3張りははれるが水が問題だ。
 相い変わらず樹林のなかの見通しの悪い路をゆるく上下しながら行くと樹林が切れ、目の前に池ノ岳の草でおおわれた斜
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面があらわれる。
 そして何と径はその草の急斜面に折れも曲がりもせずただ1本頂上へ向かって一直線にのびている。
 視界が開け、左手に至仏山が黒いシルエットを見せる。背後の空は晴れ、青空が見えるが、頭上も、行く手も雲に覆われている。
 一直線の登りにかかる。稜線が正面の池ノ岳から左へゆるい下りとなり、さらに登りとなって平ケ岳に続く。行く手に拡がる平ケ岳、池ノ岳の南面は急で高い広かつな緑の斜面だが、ところどころ黄色や紅に色づいていたりして微妙な綾をみせ、直登の苦しさを忘れさせる。
 登り切ると葉の落ちた潅木地帯である。小走りに背丈より少し高い潅木の間を通り抜けると
 「ワァーッ」と全員嘆声をあげた。
 視界一杯に狐色に染まった草もみじが開け、なだらかな起伏が拡がる。ところどころに丈の低いナナカマドが真ッ赤に色付いて固まる。黄色の茂み、緑の点景。それらがつつましやかに散らばっている。
 鮮やかだ。眼がなだらかな起伏を追うのみで息をのむ。
 下方に姫池が曇空に冷たく光る。
 狐色の草原に木道が一直線に延び、姫池の繁の一端に消え、池ノ岳と平ケ岳の鞍部を越し、おおらかな平ケ岳の斜面に、白く、細く、心細く、無機質に延びる。
 木道をたどり、姫池のそばをすぎて樹林のなかを鞍部へ下り、また登りとなる。
 木道をたどり、姫池のそばをすぎて樹林のなかを鞍部へ下り、また登りとなる。
 平らな木道が平らな山頂の地平線まで続いている。どこがピークやらわからない。やがて歩き進む木道の右手、身の丈ほどの潅木がこんもりと茂ったなかに、平ケ岳の三角点2139mがあった。その周りだけが小広く切り開かれ、潅木に囲まれてそこはミニチュアの鎮守の森だ。
 三角点に触れ、森から戻って通路の木道に並んで腰を下ろし、1人1缶づつ背負ってきた缶ビールで乾杯する。ビールの泡が落ちても聖域を荒らしそうな山のたたずまいである。
 われわのほかに人は居ない。一面にか細いモウセン苔の狐色の毛並み。水が干上がり柔らかい土が肌を露わにした池塘。ほのかな微風。風の音も、鳥の声も、沢のひびきもない全き静寂。広大な眺め。平ケ岳は長年の期待を裏切らず、期待以上に在る。
 善さんが黒いシルエットとなって西の方へ延びるた木道をたどっていった。われわれもその後をたどる。標示板があって、この山は古生代に平原がそのまま隆起して出来たもので、もとの平原の様相をそのまま残しているものだ、会津駒の山頂もそうであると記されていた。
 その標示板の足元にちいさな板きれが立てかけてあり「三国峠−谷川岳−巻機山−平ケ岳。群馬県立沼田高校」と白ペンキで記されていた。
 広大な飛行場にでもなる平坦な山、とい
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うより台地のあちらこちらをたずね歩きたいが、時間も3時、夕食の仕度もありそうゆっくりもして居られない。
 平ケ岳から南方に尾根は高度を落とし、白沢山、大白沢山、至仏山へと続いている。その尾根も広大で草に覆われそのなかに一本、径が認められる。
 帰途、池ノ岳では姫池の、往きとは反対のふちを回わり、水場へのコースをとった。
 1張りのテントの傍に立っていた若者たちが
 「やっぱり5人だ」
 と話しているのが耳に入る。何のさえぎるものもない斜面を歩いていたわれわれを遠くから眺めていたのだろう。
 草原に窪となって豊かな細流が流れ、それを挟んでテントを張ることができる。途中でわれわれが追い越してきた先行パーティーがテントを張っていた。
 そこを過ぎ、パラパラときたかと思ったら大粒のひょうが降って来た。急いで雨具をつけたがまもなく池ノ岳の下りにかかる頃にはひょうは去った。
 おじさんが
 「われわれのその年頃では、先に下りて水を汲み、湯を沸かしておいたもんだがね」
 とつぶやいたものだから、一緒に下っていたカメは急いで下りはじめる。先を歩いていた善さんも一緒になって斜面をかけ下って行ってしまった。ところが善さんのザックにはわたしのランプが入っている。善さ
んは
 「ランプが無いので先に急ぎますから」とスピードを上げていたが、それでは暗くなれば私が困ることになる。
 樹林帯に入るとホシガラスが寂しげななき声をあげていた。
 5時過ぎ、うす暗くなったテント場に戻ったら、善さんとカメの2人は水を充分に汲み、湯を沸かしていた。テント場には5、6パーティーのテントが張られていた。各自持参のつまみでビールをやり、メインディシュは天プラである。チャウが揚げる天プラはなかなかよろしい。酒は八海山の辛口がよく似合う。ショウガにミョウガにおろし金まで、おじさんの準備は万全である。主食はそうめん。ヤマサのだしがなかなかよかった。
 巨木の間に開けた空は満天星。
 「北極星が空にひっかかっているョー」
 小用に立った善さんがフラフラと戻ってくる。付近のテントは早く寝てしまった様だ。8時に宴会を切り上げ、テントに入って2次会をといっていたのが昨夜の寝不足でそのまま眠ってしまった。

 9月23日 快晴
 5時起床。今日は午後3時までに尾瀬、見晴らし十字路の燧小屋に梓全員が集まり総会を開くことになっているのであまりゆっくもしていられない。まず紅茶。ミルクティーでないのが少々もの足りない。朝食には久々にニラうどんだが、昨夜の余ったそうめんと一緒に煮込む。
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 テント場のパーティーが次々と出発していった。7時にテント場を発つ。歩きながら
 「忘れ物はなかったか」と云い合っていたら、「鎌を忘れた」と善さんが叫ぶ。すぐにおじさんが引き返す。おじさんは今朝、また風邪を引いてしまったとさかんに鼻をかんでいたが元気なものである。そういえば昨夜3時に私が小用に立ったとき、おじさんたちのテントが開き、背中が外へ出ていたので、てっきり寝苦しいのかなと思っていたが、そうではなかったらしい。
 稜線に出るとカメが
 「先に行って車をとってきましょうかね」
 「非常に結構だ」
 という返事に、カメは「余計なこというんじゃなかった」とぼやきを残して飛ばして行く。
 2人、3人と何組ものパーティーが登ってくるのに出会う。下大倉から尾根の下りにかかると「こんなにきつかったかな」と思わせる急な下りである。「中の坂」の繁みのなかで「犬が居た」と善さんが叫ぶ。
 「しかし首輪をはめていたな」見渡したが犬の姿はない。やがて格好のよい柴犬が姿を現わし、続いて人が現れた。
 ほぼ一直線に延びる見通しのよい尾根の先に、赤いザックをゆらめかして駆け下りるカメの巨体が望見される。今日も陽はサンサンと照り、暑い。
 テント場から一気に大倉沢が林道を横切るところまで下り、ザックを下ろして火照った顔を洗う。やがて轟音を立ててカメの運転するデリカが現われた。沢の岩に寝そ
べり、つまみの残りやらサラダの残りを出して1時間ばかり休息を楽しんだ。昨日池ノ岳の登りでシャッターが下りなくなった私のカメラが、こんなところで調子よくシャッターが切れる。
 御池へ向かう快適な舗装道路のデリカの車中では、モーツァルトのホルン協奏曲が響き、木の葉越に下大倉山の連なりと、その向こうの平ケ岳が後ろに走る。
 御池の駐車場は満杯の状況だった。デリカをここへ置き、上がってきた定期バスで沼山峠へ向かうが両側は車で埋まり、なかにはそんな道路ばたで弁当を開げている家族もある。
 沼山峠から見晴らし十字路へ向かって急ぐが、人の波で思うように歩けない。おじさんに教えられて道端の「白玉」を口に含むとパチンと割れて樟の爽やかな木の香が拡がる。
 尾瀬沼畔の路も急いでいるとこれまで気にしたこともない登りがこたえる。
 「こんなに登りがあったかなあかなあ」というと、おじさんが「沼尻まで登りが3つある」と答える。沼尻の小屋を認め、燧岳を右手に眺め、丁字路に近づいてゆくと、突然、

 「ヤホーッ、ホッ」とコールが掛かる。
 燧岳のナデ窪から延びる木道に一列になって進んでくる人影が手を挙げている。いままで尾瀬の風景として視野に入っていた人影が、何と梓のメンバーであり、具体的な名前と身体つきとなって認識される。
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 同じ歩調で進んでいって、ちょうど丁字路の出会いで、先頭の善さんと向こうの先頭がばったりと出会った。
 やあやあと、お互い挨拶を交わし、沼畔のそば屋へ入った。そばができる間、昨夜の2次会で手つかずに終わったウイスキーがたちまち空になった。

1984年 10月22日〜23日
メンバー:橋元(L)、鈴木、中村、
      亀村、冨山


行程:9月22日
 桧枝岐6:20−平ケ岳登山口6:50、8:35−前坂9:35、
9:50−下台倉山11:00、11:25
−テント場12:30、13:30
−平ケ岳山頂15:45、16:10
−テント場17:30
9月23日
 テント場7:15−下台倉8:15、
8:30−平ケ岳登山口9:30、11:30
=御池11:30、11:55
=沼山峠12:30−沼尻14:00、
14:45−燧小屋16:05
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