那須三斗小屋温泉

後藤文明     '84/09/08〜09


 幾年か前に真冬の三斗小屋温泉行きを計画したことがあった。茶臼岳にかかるロープウェイの動かない冬期ならば人もいないだろう、小さな峠にしろ雪をふんで二、三時間もかけて越え、電話も通じないランプの山の宿なら風情もひとしおだろうと言うことだった。冨山さん、関根さん、小生の三人であったが、小生の出発前夜の発熱で計画だおれに終わってしまった。
 今年は記録的な猛暑の夏であったが九月にはいりやっと涼しくなってきた、夏のシーズンもすんだばかりですこしは人も少なかろう、山のいで湯につかり、うまい酒と気のきいた会話で夜を過ごし、翌日は軽い山あるきといこうじゃないか、「梓」の方針にはそぐわないが‥‥‥。そんなことで大森さんが愛車を出すと言うのでメンバーは尚介さんと、なんでもよろこぶ亀ちゃんと小生。
 9月8日の土曜日、午後に那須高原の最奥、茶臼岳を横目に、ま正面に朝日岳をのぞむ駐車場に到着した。
 那須の主峰茶臼岳は、1917メートルと2000を切る標高だが、北海道、奥羽、関東と北日本を縦断する那須火山帯の盟主である。しかし「那須」は古くから「那須野」によって知られた地名らしい。誰もが知っているのが、屋島の戦いの弓の名手、「那須の与一」は那須野の出身である。
 那須を一般化したのは殺生石の伝説であるという。時の帝の寵を受けた玉藻の前の実の姿は白面九尾の狐であった。これが暴露され那須の野に飛んで殺生石に化
したと言うのである。ロープウエイの少し手前の自動車道路のそばに不気味に亜硫酸ガスを吹きあげている。
 宿とした大黒屋旅館は古い建物で、湯治場の趣き充分である。部屋はふすまで間仕切られ、窓は障子が入っている。柱も天井もすすけてまっ黒である。風呂場は木の浴槽で窓の外は木々の緑にむせるようであった。
 一泊4、700円にしてはまあまあの夕食でビールを飲るが、涼しさを通りこして寒い。尚介さんはふとんにくるまって達磨さんのようである。
 目をさますと雨音がする。障子一枚の外の雨はさみしいものである。幸いに出発時には雨は止んだが、お互いに雨具の確認をする。どういう訳か亀ちゃんのザックから小生のエントラントの雨具の上だけが出てくる。
 三斗小屋温泉から那須五岳(南から黒尾谷岳、南月山、茶臼岳、朝日岳、三本槍岳)の主稜線へ出るのに前日とは異なり、「熊見曽根」を目指した。熊見曽根は主稜からはずれたピークで、ここまで笹の中を約1時間であるが、途中にはガスを噴出する湯元があった。
 さらに30分〜40分で、朝日と槍の中間にある清水平という所に出た。風が激しく、ガスの移動が急である。ガンコウランや熊笹に覆われた稜線が見え隠れする。
 行動中に体は寒さを感じないが指先がつめたい。大森さんが「冬の那須も面白そう」とさかんに言う。いつか雪の那須へ来
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てみよう。そのときは、アイゼンとピッケルの世界、茶臼に立ってみたい。朝日岳山頂付近で尚介さんと亀ちゃんは、ジャムの材料にと黒まめの採取に余念がない。亀ちゃんはその大切な収穫を尻もちでつぶす。
 朝日と茶臼の鞍部にある峠(峰の茶屋)へ戻ったところで昼食とする。魚肉のソーセージと玄米パン、それにレーズン。用意したのは大森さんと尚介さん。魚肉ソーセージは大森さんの得意だから玄米パンは
尚介さんのアイデアか。「これはなかなか気のきいた昼食」と包装を解こうとしたら、(蒸しておめしあがりください)とある。中には乾燥剤もオマケとして付いている。
 急ぎ駐車場に戻り、黒磯駅前に出て、那珂川名物の落ち鮎の塩焼きを亀ちゃんに二匹ずつもごちそうになった。そばもうまかったのは終わり良ければ全てよしという事になりそうである。

メンバー:後藤、高橋、大森、亀村
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