ルートファインデイングの難しさー尾瀬沼〜奥鬼怒縦走

橋元武雄     '81/06/05〜07


メンバー:鈴木、間瀬、橋元

 季節のわりには全行程を通じて残雪が多く、山道は時々その下から現われる程度だった。地図と磁石はほとんど手離せなかった程である。
 夜行バスでの睡眠不足による脱力感と頻繁に起こるルート探索のために行程ははかどらなかった。特に、袴腰山と黒岩山のトラバースに手間どる。前者は雪のついた斜面が相当に急であり、後者では密な樹林帯が我々の行く手を阻んだ。途中、黒岩山から桧枝岐へぬける単独行の人に会い、しばらく同行する。我々よりだいぶ若いが、落ち着いた感じの人だった。
 ビバーク・サイトは2086m三角点のやや手前の稜線上とした。この時、行動時間は12時間に達しており、3人ともこれ以上進む気力がなかったのである。
 夕食は近頃みつけたサン・マルティー二のスパゲッティを(関根さん風)に料理したもので、山の上とはいいながら本格的な味わいのものだった(多少自画自賛?)。食後の宴会をする余裕もなく、寝不足と酒4合(3人で!)でダウン。陽の明るいうちにシュラフにもぐりこんだ。
2日目は、薄明りのうちに起きたが、霧が濃く視界はきかなかった。このままでは、今日は停滞になるかと心配しながらも、もう一度寝なおす。6時頃に目を覚ますと、霧はあがり、明るい日射しがテント・サイトをおおっていた。残りのスパゲッティで朝食をすませ出発する。
 鬼怒沼山の手前に小さいピークがあり、その先に、片品川支流の東又沢と鬼怒川支流のゴザ池沢を分ける切戸がある。
 ここは高度にして140mほど降下するのだが、地図ではこの部分が非常に判りにくい。西に向かって緩やかな尾根が派生しているのでそれに迷いこみそうである。予め用心して進んだが、このあたりは山道がはっきり出ていたので取り越し苦労に終わった。切戸を過ぎるとすぐに鬼怒沼山西面のトラバースがある。昨日の苦労が思い出されて、多少の不安があったが、ここも難なく通過した。
 トラバースを終わると広いコルに出る。あと大小2つのピークを残すのみである。大きい方のピークを登る途中で男2人のバーティーに会った。単独行氏と別れてからはじめての、人との出会である。ルートの状況を話しあって別れる。大きい方のピークは樹林に囲まれて視界はきかなかった。先程の2人のトレールは一旦もどるようにして東面をまいていた。しかし地図で見ると大分遠回りになるので直線コースを取ることにした。これは僕が提案したのだが、その時の地図の読み方に初歩的な誤りを犯していた。正規のルートと反対に南西面を下れば、なるほど直線にはなるが、その前に1本、沢が入っている。この沢の深さを見そこなっていたのである。
 針葉樹にタラの木の混った林を少し下ると、『湿原に木道』という懐しい光景が眼下に見おろせたので、これで安心と下りを急いだ。当然下りきれぱ、湿原と思ってい
-1-



たのに、予想に反して行き着いた所は深い谷である。そこに降り立ったときは3人とも狐につままれたような気分だっだ。そこで、あわてて地図を見直したのだが、そのときにもう一度読み違いをやってしまった。目分達のいる沢を1本先の大清水に下るルートのある沢だと思い込んでしまったのである。こうなると地図の方向と磁石の方向がまったく合わないから、ますます判らなくなる。とにかく沢をつめられるだけつめた。やっと縦走路に出ても、まだ現在位置が判らない程のていたらくだった。
 家に帰ってから2.5万図を買つて見直してみれば、明々白々どう見ても間違えるわけのない地形だった。たかが縦走路と頭から馬鹿にしてかかったのが、最後にドンデン返しを喰ったという、とんだお粗末でした。深く反省!
 というような次第で湿原に着いたのは昼を過ぎてしまった。帰りの時間が気になっ














て、下りは多少急ぎ足になったが、それでも昼食は日光沢温泉で(冨山さん風)ニラうどんを食べ、女夫淵温泉では、野天風呂に入り、連絡の悪いバスの代わりに有料ヒッチハイクをして、無事鬼怒川駅に着いた。

行程:6月6日
・大清水4:15
・長臓小屋7:00-7:45
・袴腰山10:0.O
・黒岩山直前ピーク12:30-1:30
・ビバーク(2068m三角点手前)3:30
   6月7日8:00発
・鬼怒沼山直前ピーク9:00
(一時ルート見失なう1.5hロス)
・鬼怒沼湿原12:30
・日光沢温泉1:30-2:30
・女夫淵温泉3:30

-2-
次の作品へ ↓
目次へ ↑

inserted by FC2 system