姫神山と登米(とよま)

                 橋元 武雄 '06/06/14

                           Photo by Teiko Nakamura,Tohru Kamemura
                                              & Fumiaki Gotoh
                                    Sketch by Yasoya Tomiyama


2006年6月9日 金曜日

雨。梅雨入り。 梓山行。姫神山。参加は、冨山、後藤、金谷、大森、中村、橋元 7時過ぎに東浦和を出発し仙台カメ邸へ。今回、善さんがいないので往復ともドライバはぼ くだけ。外野席がうるさいので速度を落として走ったが、東北道は順調で11時前にカメ邸 着。恒例によって、プチ宴会。

2006年6月10日 土曜日

高曇り。 半分諦めていた姫神山だが雨の気配はなく決行となる。それでも、ゆっくり朝食を 摂る。出発(9:35?)。 東北道を北上。車窓から見ると、ちょうど開花期のニセアカシアの多いことに驚く。この木 は中国からの外来種だから自然状態では生えないはず。街路樹や庭木が拡がったものだろう。 このおびただしい数を見ると、あまりに繁殖力が強いので日本本来の植性に脅威を与えてい るというのもうなずける。そのほかにはタニウツギ、もう盛りの過ぎたキリの花が目につく。 いつもなら紫波SA辺りから岩手山が見えるとカメちゃんはいうが、山容のおおかたは雲に覆 われて、いく筋かの雪渓の残る裾野がわずかに見えるだけだった。

盛岡の次の滝沢ICで降り、国道4号を北上。ご存じ石川啄木で有名な渋民村のスーパーで行 動食とビールを仕入れる(11:47)。ワインは八甲田の残りの赤が2本ある。 国道4号を姫神方面へ右折する。しばらくゆくと農家の庭先をかすめるような小径となる。 そのころから行く手正面に姫神山を見る。きれいな三角形の山容で、左手の稜線がなだらか に長く伸び、右手の稜線はそれより短くやや右肩上がりといった印象をうける。標高が1100 メートル程度だから山全体が木々の緑で覆われている。


 東北道からの姫神山             by gotoh

 一本杉登山口                by kamemura

一本杉林道の登山口到着(12:09)。登山口の脇に水量の豊かな沢が流れ込んでいて、樋が 渡してあったので水を補給する。この水は結局飲まずに、そのまま持ち帰ったが、家でコー ヒーを入れると旨かった。コーヒーの味そのものが変わるわけではないが、喉ごしが滑らか になって後味もよい。水道水にはよほど余計なものが入っているのか。登山開始(12:16)。 明るい北国の林のなかを広い登山道がゆるやかに登っている。静かな森といいたいところだ がセミとカエルの鳴き声が耳を聾するくらいにぎやかだ。ウグイス、ホトトギス、ツツドリ、 オオルリなど小鳥も鳴いているが数では負けている。林床には、エンレイソウ(実)、マイ ヅルソウ(一部花、ほとんど蕾)、ホウチャクソウ(花)、フタリシズカ(蕾)、アオマム シグサなどを見る。

すぐに比較的若い杉の林に行き着く。全国から遺伝形質の優良な苗を集めた精英樹林だと看 板にある。“精鋭”なら知っているが“精英”はあまり使わない熟語だ。あとで調べると林 業では普通に使うらしい。精英樹林は比較的若い林だったが、しばらく登るとひときわ立派 なスギが一本ある。大木の少ない落葉樹林のなかで、樹高と胸高周囲が他を圧している。わ れこそ精英という風姿で、すっきりと立ちあがってよどみがない。その太さからいって相当 な樹齢なのだろうが樹勢に衰えが見えないのだ。これが、一本杉林道の由来であることは、 だれにもわかる。 頂上まで1.5キロの標識にザンゲ坂とあり、階段の急登がはじまる。蔵王にもザンゲ坂があ るが、急登の喘ぎからザンゲの苦しさを連想したのだろうか。もっとも蔵王のほうは、スキ ーの難コースだからあちらは下りの苦難か(難コース“だった”というのが正確か、いまは 滑りやすく整備されている)。


 5合目の踊り場               by gotoh

 7合目あたりか               by nakamura

ザンゲ坂をしのぐと5合目でちょっとした踊り場へ出る(12:40)。ここで、車中から見上 げていた姫神山の左手に伸びるなだらかな尾根へ出たものらしい。高曇りだが日差しはあっ て、爽やかな風が通ってゆく。快適な登高だ。 6合目(12:54)、7合目(12:59)、8合目(13:03)、森林帯を出て展望を得る(13:20)、 土場コース、岩場コース分岐(13:22)から土場コース。土場コースの途中左側に若宮神社、 右側に薬師神社を見る。若宮は、姫神神社の祭神の子を祀っているという。最近知ったのだ が、若宮とはおおむね主神の子を、その境内の一部に祀った社のことを指すらしい。

山頂到着(13:24)。標高1123.8メートルの一等三角点がある。土の部分は踏み荒らされて 裸地となっているが、そこここに大きな岩が飛び出している。山頂の南東は岩混じりの草地 だが、北西側には樹高1mもないミズナラやヤナギの仲間が1メートルに満たない低木帯をな している。山頂を少し東に降りた草地に数本のアズマギクが咲いていた。展望は360度。い ま登ってきた西側を見返すと、緑の濃い平野の向こうに、左からなだらかに立ちあがって右 手に切れ落ちる岩手山が聳え、その北奥には、穏やかな山容の八幡平がまだらな残雪を載せ ている。東側には波打つような丘陵地帯が展開し、牧場が散在する。その先に小さな溜池の ようなものがいくつか見えた。後で調べると岩洞湖という人造湖だった。湖水は複雑な形に 分枝していて、それが手前の山に遮られて断片的に池に見えていたものらしい。北方遙かの 稜線には、10数機の風力発電の風車が列を成している。遠くだからいいものの、景物として はこの手の風車はあまり好きでない。南側には大都市盛岡の市街が拡がる。まずチャウ。次 ぎに金谷氏、それから大森氏、冨山さん、最後にカメちゃん、後藤さんと40分ほどかけて全 員揃ったところで、やや遅いお昼のプチ宴会となった(14:04〜15:10?)。


 はるかに岩手山               by kamemura

 山頂の小宴                 by gotoh

 波打つような丘陵地帯            by gotoh

 アズマギク                 by nakamura

下山は二手に分かれる。金谷、亀村、橋元はもとの一本杉登山道をデリカへ戻る。残りは最 短の田代コースを下る。そして、デリカで田代組みを迎えに行く算段だ。カメちゃんは、登 りは岩場コースだったので土場コースを、金谷、橋元は逆に岩場コースを下ることにした。 頂上直下右手の岩に城内コースの赤ペンキが見えたが、そのまま一本杉コースの標識を探し て岩と泥場の混じった斜面を下る。裸地のあちこちに岩が飛び出していて、ところどころに アズマギクの群落が散在する。どこでも歩けるような具合なのだが、どこを踏んでも土が軟 らかい。要するに踏みしめられていない、コースではない、ということなのだ。いずれ踏み 跡かコースの標識があるだろうと下り続けたが、ついに樹林帯に行く手をはばまれてしまっ た。金谷氏には悪いことをしたが戻るしかない。途中で、心配したカメちゃんから金谷氏の 携帯に電話が入る。そのあと、すぐにカメちゃんと合流。事なきを得た。途中、休みなく歩 いて、一本杉登山口帰着(16:05?)。沢の冷水で頭と顔を洗ってさっぱりして、別働隊を 迎えに出発。一本杉口からすると田代口は、姫神山の反対側だから車でも時間はかかる。別 働隊と合流(16: 20?)


 田代口でデリカを待つ            by nakamura

 旧渋民村尋常小学校             by nakamura

ぼくと後藤さんは遠慮したが、残りは石川啄木記念館見学(17時頃から30分ほど)。 泉IC(19:07)で降りて、先々週オープンしたばかりというヨークベニマル市名坂で買い物 (19:16〜20:00)。田圃の真ん中に突如出現した郊外型の大規模店で、去年はカエルが鳴い ていたであろう所に、いまはおびただしい数の買い物客が蝟集している。時間が遅いので鮮 魚店は店じまいをしているところだったが、ヒラメ二匹とホヤ2パックを買う。ヒラメは一 匹900 円弱、ホヤもたっぷりあるので、大森氏はご機嫌。ところが酒と発泡酒はたくさんあ ったのに、なぜかビールがない。しかたなくカメ邸の近くのモリヤで買いたす。カメ邸帰宅 (20:33)。遅くはなったが、明日は、山ではなくて平地の観光と決まって、くつろいだ宴 会がはじまる。

2006年6月11日 日曜日

雨。今日は、登米(とよま)の観光ツアーだ。かつて北上川を利用した物資の集散地として 栄えた町だという。ゆっくり朝食を摂って出発(10:37)。ときおり雨が降るが、それほど 激しくはない。仙台港北ICから三陸道に乗る。石巻港IC(11:38)で有料部分が終わるが、 その先の三陸道開放区間をしばらく走って河北ICで国道45号へ出る。あとは北上川沿いに北 上する。昨日の渋民村は、この遙か上流に位置することになる。

遠山之里(遠山は“とやま”と読み“とよま”の別の当て字らしい)という観光物産センタ ー着(12:12)。ここも奥の細道に記載のあることがウリらしいが、どうやら一泊して先を 急いだというだけのようだ。センターで共通の入場券800円なりを買って、教育資料館(国 指定重要文化財)、水沢県庁記念館、昼食をはさんで玄晶石記念館、警察記念館、登米神社 を見た。教育資料館は、旧登米高等尋常小学校だ。その建物は簡素ではあるが風格があり、 一見して好ましい印象を受ける。赤門と呼ばれるレンガ積の立派な校門から見ると、小さな 校庭をコの字型の校舎が囲んで守護しているように見える。コの字の両端には六方と呼ばれ るホール(内周が下足棚になっている)があり生徒らはここから校舎へ出入りしたものだろ う。建物はさして頑丈には見えないが、幾度かの地震や台風に耐えてきただけの作り込みが あるのだろう。今から思うとたかが小学校の校舎によくもこれほどの熱意で取り組んだもの だと思う。教育への意気込みが今とは違ったのだろう。ここは楽しかった。口元がゆるんで しまう。昔の自分たちの通った小学校を思い出して、めいめい楽しんだようだ。


 正面にはヨーロッパ風のバルコ二ー      by nakamura

 始業・終業の鐘               by gotoh

 廊下にはコロニー風の手すり         by gotoh

 3年2組読本の授業             by nakamura

 前庭と校舎の一部              by gotoh

 レンガ積みの赤門とよばれる正門       by gotoh

カメちゃんの入手したリストから選んで、油麩が名物のぶんき茶屋で食事をした。どこにで もある、ごく普通の食堂のようなところでだ。女主人の対応がすこぶるのんびりしている。 こあがりの端には、その先代とおぼしき老女がつくねんと座っていてTVを見ている。もう 少し仙境にはいっているらしく、ときおり昔を思い出したかのように注文の確認を奥に出し ているが、じつは、その注文はすでに通っているのだ。今代がまたかというようにあしらっ ている。お客の老女も同様で、主人が断ってもらいたくて時間がかかるといっているのを意 に介さず、“待っています”と落ち着いたものだ。どの客も都会の昼時のようにバタバタし た様子はない。二階では消防団が宴会の真っ盛り。これは、待たされて待たされて悲惨なこ とになるのではと危惧したが、そうでもなかった。アサヒビールしかなかったのでおおかた は酒にしたが、思ったよりすんなり出てきた(あくまでもここのペースでだが)。この店の 一本は2合弱あるようだ。燗の温度もほどほどで、悪い酒ではなかった。この辺りの名物と いう油麩を具にした丼とハットウがこの店の売りだ。カメちゃんとぼくはハットウに、残り は油麩丼にした。ハットウは、すいとんに油麩を浮かせたものだった。油麩は、お麩の厚揚 げといえばいいか、外側に独特の歯ごたえがあって芳ばしい。汁はきちんとダシをとったも のとは思えないが妙なクセはない。すいとんは好物なので、これで満足。冨山さんにはタク ワンに次ぐ禁忌らしいのだけど。ハットウは、贅沢すぎて常食するのは御法度だったことか らきているという。檜枝岐にも同じ語源のハットウがあるが、あちらはきな粉の代わりにす ったエゴマをまぶしたきな粉餅のようなものだ。

あとの旧県庁や旧警察はとくに書くこともない。旧警察で昔の牢屋の実物を見たことと、登 米神社に桂の巨木があったこと(今まで見た中で一番大きいか)、赤い鐘楼があって洗濯物 が干してあったことくらいか。もともと寺だったものが、明治の廃仏毀釈で神社に転身して 生き残ったものだろう。金谷氏の数えたところでは、下の鳥居から鐘楼のあるところへの階 段は百八つあるというのもその証左か。最後に北上川の土手に登って、冨山さんいうところ の“悠々たる北上川の流れ”を眺める。荒川や多摩川と違って周囲に高い建築物がなく水量 が豊富だ。その深い水の色は、囲繞する丘陵の深い緑を映しているかのようだった。

登米の観光を終えて、さて次はとなったが、ぼくは、くる車中で話の出た塩竈神社を見てみ たいと提案した。後藤さんとカメちゃんは先刻承知。チャウも何十年か前に来たことがある というが、とくに反対はなく塩竈神社と決まった。同じ道を戻るのはというので、国道45号 の北上川対岸の道を戻って途中で45号へ合流する。あとは三陸道を戻り、松島をやりすごし て利府中ICで降りる(16:04)。ICから神社までは10分とかからない。

塩竈神社着(16:14)。神社は小高い丘の上にあり、市街から境内へ直登する見上げるよう な階段が表参道だ。その脇に「東北鎮守盬竈神社」とある。裏から回り込む車道(七曲坂) を使うと車で境内へ入れるという。大森、チャウ、橋元は表参道前で降りて階段を上がるこ とにし、残りは車で上まで入る。そうとう急な階段だが、愛宕神社ほどではないようだ。登 り終わったところにある看板に階段は二百二段とあった。階段の数は愛宕より多い。


 塩竈神社表参道               by gotoh

 塩竈神社本殿                by nakamura

 タラヨウの古木               by nakamura

 正面の門                  by kamemura

境内(志波彦神社の「境内案内図」参照)は二段になっていて、下段の通路が属社の志波神 社の前庭に通じている。短い階段を登って上段の本殿境内へ入る。いつもは繁盛しているよ うだが時間も遅く天気も悪く、神職や巫女さん以外はわれわれだけであった。雨に濡れてし っとりと落ち着いた境内をゆっくりと拝見する。正面に本殿があり、その奥に左本殿、右本 殿が見える。さらに右手にも別宮があるが祭神は同じというから、なんのための別殿なのだ ろう。いつのころの建立なのか、どの宮もさほど古さは感じない。本殿の左右にタラヨウの 古木がある。青い実を房状にたくさんつけているが、これが熟すと赤くなって美しいだろう。 左の方が古いようで、宮城県の天然記念物になっていて、樹齢500年、樹高22メートル。そ のほかに、境内には林子平制作の日時計や和泉三郎忠衡奉納の法灯(芭蕉が奥の細道に書い たという)などがあった。「境内案内図」によると、巨杉、大栃、ロウバイ、キンモクセイ などの古木があったらしいが見逃してしまった。 車グループとは大分遅れて合流。属社の志波彦神社の前を通ってデリカへ戻った。志波彦神 社の前から塩釜湾の海面が見える。手前のビルが無粋な障壁となって視界を妨げているが、 あれらがなければさぞかしの借景になる。


 和泉三郎忠衡奉納の法灯           by nakamura

 境内を散策                 by gotoh

 雨に濡れてしっとりと落ち着いた境内     by kamemura

 志波彦神社                 by nakamura

志波彦神社のWebページに、よると志波の音(シワ)は末端を意味するらしい。塩竈神社の 祭神に協力したので境内に別宮を設けたとなっている。塩竈神社自体由来がはっきりしない らしいが、塩竈神社の祭神が大和朝廷系の神であり、志波彦は土着の豪族の祭神であったの か、などと推察する。そういえば、東北道の紫波SAの近くにある紫波城(志波城)は、坂上 田村麻呂が蝦夷制圧の最前線として築いた砦だそうで、最前線はシワ(末端)に通じる。こ の場合、田村麻呂が征伐した蝦夷のアテルイはアイヌなのかとカメちゃんと話題になった。 北海道の蝦夷はアイヌだが、東北地方の蝦夷は今でもどのような種族だったか分かっていな いらしい(だそうだよ、カメちゃん)。塩竈神社発(16:45?)。

ここまで来たのだから塩竈の地酒である浦霞を今晩の酒にしようと思い立つ。醸造元は日曜 で休みだったので近くの酒屋で購入。岩手、宮城は酒のレベルが低いが、これだけはと店の 特別ブランドを勧めたそうな主人の口舌を聞き流して、ただの純米酒とする。次ぎにカメち ゃんの案内で、塩竈駅前にある小さな魚市場へ。市場といっても3軒ほどの魚屋が狭い路地 に軒を連ねているだけだ。魚介類は流石に種類が豊富だったが、市場に立ち入ったとたんに、 日曜最後の都会客と見られたか、激しい売り込み合戦がはじまり、少々辟易した。やたらに 値引きを叫ぶ舌鋒をかいくぐって、3匹1000円のアイナメと2パック1500円のシャコを求め る。今日は最後の宴会だから、あまり買いこまないようにと、帰りがけのマックスバリュー で足りない食材だけを買って帰途についた(17:37)。カメ邸帰着(18:20)。

久々の茹でシャコと山盛りのアイナメの刺身で、宴会が盛り上がったのはいうまでもない。 前回の華屋宴会以来、カメちゃんの仙台単身赴任もそろそろ今年までだろうという話が出る。 こちらへ帰ってきてくれるのは嬉しいが、仙台ベースがなくなるのはさみしい。複雑な気分 である。

2006年6月12日 月曜日

曇り。 冨山さんの希望でフランスパンの朝食を済ませ、出勤のカメちゃんを送って帰途に ついた(8:49)。安太達良SAで給油、佐野SAで休憩し、無事に東川口帰着(12:30) 今回もまた楽しい東北の山・旅でした。カメちゃんに深謝。

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