恒例・忘年陽だまり山行(2008年11月22〜23日)
参加:冨山、鈴木、高橋、田中、中村、亀村、大森
今回は当初からOJ(橋元)が不参加で、後藤さんが突然の高血圧でドタキャンしてしまった
ので、総勢7名。陽だまり常連の2人が顔を見せないという、異例の事態となった。
■22日(土)
善さん(鈴木)、尚やん(高橋)、チャウ(中村)を乗せた大森車(初登場のエクストレイル)が三
島駅北口に着いたのは朝8:00。早朝出発のおかげで三連休初日の大渋滞に巻き込まれることも
なく、ほぼ予定どおりの時刻だ。続いて静岡発の亀ちゃん(亀村)が現れ、やがて冨山さんを
乗せた田中車が到着した。
恋人岬に何想う(k)
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初登場のエクストレイル(n)
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車はR136で伊豆半島を南下し、土肥で西海岸に出る。最初のパーキングは「恋人岬」だった。
皆さん、これからどうこうなろうという年でもなく、ここは単なる休憩場所。駐車場から岬の
突端に続く道はおおむね下り坂で、行きはよいよい帰りは怖い、である。冨山さんと大森は、
手前のほうの展望台で引き返してきた。
とはいえ、眺めは素晴らしい。波静かな駿河湾のかなたには、上部にうっすらと雪をいただ
いた霊峰富士(後藤さん調だね)。その西方に白銀の南アルプスが連なり、最奥のピラミダル
な山容は、どうやら仙丈岳だ(田中説)。休憩後、本日の主な目的地、松崎を目指す。
なまこ壁と鏝絵の町、松崎散策
先月、松崎を訪れた友人から「いい所よー」と聞かされたので、陽だまり山行のメニューの
ひとつに松崎散策を提案した。
三島で落ち合った田中車と国道136号を下る。途中、土肥近辺に来ると、尚やんがこのあた
りに恋人岬という見晴らしのよい所があると言うので、休憩がてら立ち寄ることにする。
駐車場から10分ほど整備された遊歩道を歩いて岬突端に出る。恋人岬であるから、それと思
しき若い二人連れが多いが、熟年カップルも多く、我々のようにグループで来るのは少数派だ。
展望台が2カ所あって恋人達の像や鐘が設置され、この鐘を3回ならすと恋が成就するとか。
誰か知恵者が考えをめぐらせ、恋人岬なる名前をつけたのかと思ったが、ウィキペディアを見
ると、もともとそれっぽい伝説があった岬を絶妙のネーミングで売り出したようである。
快晴無風の岬からは、雪を頂いた富士山、真っ白になった南アルプスも遠望できる。こんな
日は珍しいという好天に恵まれた景色を堪能して、一路今日のメインである松崎へ。
長八美術館(k)
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鏝絵の秀麗富士(g)
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とりあえずは漆喰鏝絵の名人、入江長八の作品を集めた長八美術館の見学である。
「長八美術館」「明治の商家中瀬邸」「岩科学校」の3点セットのチケットが割安というの
で、それを購入する。
土蔵などに描かれた鏝絵は見たことがあるけれど、長八の漆喰鏝絵は細密である。フレスコ
画に勝るとも劣らない壁画技術として、高く評価されているという。入り口に作画の手順や、
それに要した数々の道具類などが展示されている。
鏝絵だけでなく、肉筆画も数点あったが、これだけ絵が描けるからこそ、漆喰にも絵心や彫
刻のセンスを生かしてみたくなったんだろうなー、単なる左官職人では終われなかったんだろ
うなーと思わせた。個人的には、すごく細かい描写や作業工程には感心したけれど、私の趣味
にはちょっと……であった。
おもしろかったのは、全員に強烈な印象を残したのが展示物の最後の方、ガラスケースの中
にあったおっぱいはだけたアマノウズメノミコト像であったこと。何ともグロテスクなれど、
ユーモラス。思わずにんまりしてしまう代物であった。
パンフによると、美術館そのものも古来の技術と新しい工法を組み合わせ、建築界の芥川賞
といわれる「吉田五十八賞」を受賞したとある。だが、この建物、中に展示されている作品と
まったくそぐわない。工法はともかく、デザイン的には大いなるミスマッチという感じを抱い
た。
長八美術館の斜め前に、浄感寺という長八の菩提寺がある。長八記念館になっていて、長八
の龍の作品などが残っているという。しかし、お寺は独自路線なのか、お得チケットに入って
いないので、ここは省略とする。
なまこ壁って?(n)
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なまこ壁が続いている(k)
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全面なまこ壁(n)
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ときわ大橋(k)
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橋のむこうに不釣り合いな時計台(n)
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明治の商家中瀬邸(n)
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呉服屋の店先を再現(n)
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古い母屋のたたずまい(n)
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美術館でもらった松崎町マップを片手に、次はなまこ壁通りをめざす。町には、あちこちに古
いなまこ壁が残っているらしいが、通り全体になまこ壁が続いているのはどうやらここだけら
しい。普通なまこ壁というと、土蔵の下半分くらいがそうなっているイメージだけれど、ここ
は全面なまこ壁なので迫力がある。しかも、時代物。
そこを抜けて、ときわ大橋という橋を渡ると、向かい側に時計台と明治の呉服商家中瀬邸が
ある。橋も、遠目では何だか塗りがはげて汚らしいなと思ったら、桜とつばめのデザインの鏝
絵であった。しかし、古いなまこ壁の商家の前になにゆえ、ドンと不釣り合いな時計台がある
のかわからない。
中瀬邸は呉服屋の店先を一部再現し、あとは土産物屋のようになっている。土蔵には昔の生
活用具などを展示。裏に抜けると小さい庭になっていて、そこから見る母屋は古い住まいのた
たずまいがなかなかよろしい。
昼食はウナギとする(n)
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会計さんごくろうさま(k)
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さて、そろそろ昼時で腹が減ったとさわぐ輩が出てくる。近くにウナギ屋の看板を見つけ、
ほかには磯料理とラーメン屋くらいしかなかったので、昼食はウナギとする。つまみも何もな
いので、鰻重とビールだけ頼む。宴会は夜までお預け。
人形町に支店があるらしく、そんな看板を見かけたような気もするが……ほぼ人形町ジモテ
ィの私もはっきりしない。値段はりっぱに東京並み、味も悪くはなかったけど、やせたウナギ
だったなー。
岩科学校(n)
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斜面に墓地が(k)
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時の太政大臣三条実美の扁額(k)
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龍を描いた鏝絵(n)
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ハタ・タコ・コマ・マリ(n)
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千羽鶴の間(n) |
さて次は、ちょいと離れた岩科学校へ車で移動。明治の学舎の隣に、新しい学校(といって
も、すでに廃校)が建っている。学校の背後は山で、裏にお寺があるらしく山の斜面に墓地が
見えている。ここもなまこ壁と、長八である。
岩科学校の扁額は、時の太政大臣三条実美。その上の白い龍は、棟梁から借りた「のみ」で
八長が彫ったとされている。2階の千羽鶴の間の天井と鴨居の間には、群舞する鶴の漆喰鏝絵
がめぐらされている。長八の最高傑作とか。
登米の高等尋常小学校など、各地の明治の校舎の写真を展示した一室があり、解説によると
岩科学校は松本の開智学校と姉妹館提携をしているそうだが、今まで見た明治の学校のなかで
は、ここがいちばん広々とゆったりした感じを受けた。
松崎町マップによれば、あちらこちらにお寺や神社が点在している。今日は目玉だけ見た
が、時間がたっぷりあってのんびり歩くと、また違う良さを発見できる町かも知れない。
(中村記)
松崎を出たのが14:00過ぎ。下田観光をあきらめ、県道15号を通って河津に向かう。河津に
ある「フードストアあおき」が、買い出しのために目星をつけておいた店である。地元のスー
パーだから、地場の魚が期待できると踏んでいた。
ところがどっこい。やはり、いい品物は東京に直行するのだろうか。それでも、下田産とい
うイサキ、カワハギ、キンメダイを調達することができた。いずれも小ぶりでパンチに欠ける
が、仕方がない。
その他、ビール・酒や食料一式を仕込み、東海岸を北上する。宿の「一本のえんぴつ」にた
どり着いたころには、すでに夕暮れが迫っていた。さあ、宴会だ。
「一本のえんぴつ」はよろしの宿
「一本のえんぴつ」は、後藤さんがネットで見つけた素泊まり専門の宿。1泊3000円(5人
以上の場合)ながら、なかなかGOODであった。
一本のえんぴつ(k)
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気持ちの良い部屋(n)
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伊東から伊豆急で3つ目の富戸(ふと)駅近くに位置し、かつては有名な日本料理屋の別館
であった建物を本年改修してオープンした宿とのこと。我々が河津のスーパーあおきで食材を
買い揃えてチェックインしたのは、日も暮れかけた17時前。
相模灘を望む2階部分が玄関とパブリックスペースで、斜面を下った1階が客室である。我
ら7人の部屋は、8畳+6畳+広い洋室の3部屋にバス、トイレ付きのデラックスルーム(16
号室)であった。何せ改修したばかりなのですべてが清潔で、大きな冷蔵庫や液晶テレビも完
備された申し分のない部屋である。
早速、大森さん見立てのキンメをはじめとする新鮮な近海物の刺身と、亀村が持参した到来
物の久保田で宴が始まる。そのあとは焼酎に移行し、さらには富山さん持参のウィスキーにも
手が伸びるなど、いつもながらの楽しい一夜を過ごしたのであった(いない人の悪口は一言も
出なかった)。
亀村は娘の結婚式を1週間後に控えているというのに、宴会さなかに小学校5年からはずし
たことのないメガネを真ん中から真っ二つに折るというアクシデントに見舞われたのであった。
翌日、解散後静岡に戻る早々、眼鏡屋に駆け込んだのは言うまでもない。
とにもかくにも、この宿は梓にとっては「非常によろし」の宿ではあったが、天城山以外に
やっつける対象が見当たらないのが課題ではあった。(亀村記)
■23日(日)
きょうは、陽だまり山行の当日。皆さん早起きだが、当方は飲みすぎで頭が重く、起きる気
がしない。促されて野菜主体の朝食をとったあと部屋を片づけ、8:45に天城山に向け出発し
た。
天城山に登る(2008年11月23日)
メンバー:鈴木、高橋、中村、田中、亀村、大森
日本百名山にも名を連ねる「天城山」は山域名で、天城山という名の山はない。今回登るの
はこの山域の主峰、万二郎(ばんじろう)岳と万三郎岳である。
9:15ごろ、登山口のある天城高原ゴルフコースに着いた。駐車場はハイカー専用でゴルフ客
とは隔離されているが、水洗トイレつきの立派なもの。これも、百名山ブームの恩恵か。支度
を整え、9:30に歩き出す。冷たい風が吹いているが、きょうも雲ひとつない上天気だ。
登山道の入り口(標高1000m)は、駐車場と道を隔てた反対側。ゴルフ場の縁をなぞるように、
樹林の中を進む。ヒノキの植林帯を過ぎると、アセビやナツツバキ(ヒメシャラ)、リョウブ
などが目につくようになる。
しばらく歩いて、スケッチが目的の冨山さんと別れた。30分もすると、本格的な登りになる。
すでに紅葉の時期は終わり、あたりの落葉樹にほとんど葉はない。少し汗をかいたなと思うこ
ろ、万二郎岳頂上(1299m)に飛び出した(10:30)。犬連れの中高年夫婦などもいて、11月下旬
とは思えないほどの賑わいだ。
万二郎岳(n)
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「馬の背」?(n)
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記念写真を撮ったあと万二郎を下り、縦走路が登りにかかったころだ。尚やんが、頂上にス
テッキを忘れてきたので取りに戻るという。今年8月、戸隠に登ったときに田中車に置き忘れ、
今朝やっと再会したばかりのステッキだ。頂上から10分は下ってきたから、往復で30分以上か
かるだろう。
尚やんを待つために休んだ場所(ここが「馬の背」?)は、はからずも絶好の展望台だった。
北東方向には対面する遠笠山の右奥に、砂を盛り上げたような大室山が見える。南東方向には
伊豆諸島。どっしりした大島に付き従うように、利島、新島が遠望できる(もっとも、どれが
どの島と確認できたわけではない。式根島や神津島も見えていたかもしれない)。
そうこうするうちに、予想外のハイスピードで尚やんは戻ってきた。特に休憩は要らないと
いうので(かなり無理してた?)、すぐに出発。やがて道が平坦になってくると、「アセビの
トンネル」だ。少し下っていくと稜線の登りが始まり、20分ほどで伊豆半島の最高峰、万三郎
岳の頂上(1405m)に着いた。展望はまったくないが、昼どきとあって腰を下ろす場所もないほ
ど込み合っている。
富士遠望(s)
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ミヤマシキミ(s)
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伊豆諸島遠望(k)
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アセビのトンネル(n)
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万三郎岳にて(k)
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少しで駐車場だというのに、一本立てて(n)
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もう少し先まで行ってみることにしたが、日当たりがよくて風のない「宴会場」はなかなか
見つからない。結局、天城峠に向かう縦走路とゴルフ場への下山路の分岐するあたりで昼食と
なった。例によってビールから始まったが、いまひとつ調子が出ない。これだけ気温が低いと
燗酒が恋しいが、そこまでは思いがいたらなかった(OJの不参加が痛い)。
周囲は、すっかり葉を落としたブナの林である。伊豆半島にブナとは少し意外な感じもする
が、堂々たる古木も少なくない。チャウが作ってくれるバターつきパンにツナやチーズ、キュ
やウリレタスを載せた食事を終え、12:45下りにかかる。
万二郎への登りに要した時間をもとに、1時間もあれば登山口に戻れるだろうと思っていた
が、これが大間違い。出だしはよく手入れされた階段状の急降下で、涸沢分岐まで一気に高度
を下げる。問題はここからだ。万二郎から万三郎までの主脈はほぼ直線のルートだったが、今
度は主脈から派生する支尾根を一つひとつ巻いていかなければならない。
しかも支尾根は次から次へと現れ(さしもの善さんも例の楽観予測をやめてしまった)、小
さな登り下りが連続する。ようやく万二郎への登山道と合流したときには、あと少しで駐車場
だというのに、誰いうともなく一本立ててしまった。駐車場着14:30。初冬の陽を浴びたわれ
われの車のそばに、冨山さんの後姿が見えた。(大森記)
下山後、藤枝に母上を見舞うという尚やんが田中車に移り、2台は別々に帰途につく。
熱海駅に直行した田中車は順調だったようだが、伊豆スカイラインのドライブを楽しんでい
た大森車は小田原からの大渋滞に翻弄され、西湘バイパスから平塚、厚木を経由して、丸ビル
前に着いたら20:00になっていた。
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