終点の梅ヶ島温泉から歩き始める。バスを下りた客は僕一人だ。湧き水で水筒を満たし、
身延に至る安倍峠にへの林道を5分も登らないうちに登山口に着いた。間伐展示林と看板
が掲げられた手入れの行き届いた杉林の中、いきなりの急坂が続く。あっという間に大汗
と荒い息になる。つづら折のスパンが長いので、折り返しまでの道のりが遠い。風もなく
鳥や虫の鳴き声も聞こえない静寂の中なので、気晴らしにメモリプレイヤーを取り出し、
モーツァルトを聴きながら登る。息は荒いがいい気分だ。
妙見下バス停AM6:44
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上部はガスでおおわれている
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終点の梅ヶ島温泉
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手入れの行き届いた杉林
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杉林を抜けて広葉樹林の急登が続くが、そのうちガスの中に入ってしまった。一人だとな
かなか休むタイミングがつかめない。富士山のビューポイントである富士見台に着いたら
休もうと思っていたのだが、ガスで展望もきかないので通り過ぎてしまったようだ。とう
とう2時間半歩き詰めで八紘嶺の頂上に着いてしまった。見晴らしのない山頂に一人、先
客の男性がポツリといる。車で林道の登山道口まで上がり、そこから登ってきたのだとい
う。山頂に着く少し前に別の男性とすれ違ったから、今日この辺りに入山しているのはど
うやら僕を含め3人らしい。その後は最後まで誰とも出会わなかったから。
晴れならば秀麗富士が・・
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イワシャジン |
おにぎりをひとつ食べて、しばらく休む。当初はこれで、もと来た道を同じ場所まで戻る
つもりだったが、お昼迄にはまだ時間がある。 いつものように隠し持ったビア500mlをあ
けるにはいささか早いような気がする。それで、大谷嶺まで縦走してみることにした。こ
こから先は痩せ尾根のアップダウンで、ところどころにロープのサポートがある。ずいぶ
ん降ろされたかと思うと又厳しい登りになる。ガスの中で、これの繰り返しが続くうちに
いつしかガスに弱い雨が加わった。仕方なく雨具の上着を着るが、風もないので蒸れて暑
い。途中1回の休みを含め1時間40分で大谷嶺(行田山)に到着した。この頂上は樹木なく、
ひらけていて、天気がよければ南アルプスの峰峰がきれいに見渡せるはずである。標高は
丁度2000m、ミレニアムの山と何処かに書いてあった。ビールは開けず、おにぎりをひと
つ食べて出発する。
大谷嶺(行田山)2000M
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天気がよければ
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秋のお花畑
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最低鞍部の新窪乗越
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最低鞍部の新窪乗越迄30分、先ほどと同じようなアップダウンの繰り返しだが、主に南斜
面なので、ところどころお花畑の中の道となる。晴れていたらどんなに気持ちの良い道だ
ろう。新窪乗越から尾根道を離れ直角に曲がって大谷崩を降り始める。一転して岩だらけ
の歩きづらいルートとなる。実は降りきって初めて、この大谷崩は日本3大崩れのひとつ
で、300年前の大地震で山の斜面が大規模に崩壊した跡だと知った。 ガスで遠方は見えな
いが、まるで氷河のなくなったU字谷のような景色だ。しかし歩きづらいし、ルートが分
かりにくい。慎重に先の赤布やケルンを確認しながら降る。足が痛い。伏流水がだんだん
と水量を増やし沢水となる。日本一水質が良いといわれる安倍川の水源のひとつだ。
扇の要という苔むした砂防ダムで土砂がせき止められ、ようやく土の山道になる。そして
程なく林道の終点に降り立った。林道脇に幸田文の文学碑を見つけた。何故か幸田文は年
老いてから人に担がれたりしてあちこちの崩落地を訪ね歩き「崩れ」というエッセイを書
き上げたのだそうだ。一度読まなくては。 ここから長い林道歩きだった。
ところどころにお花畑
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シナノナデシコ
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大谷崩上部
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まるでU字谷のよう
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安全を祈るのか小さな仏
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大谷崩は300歳
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1時間15分今度はジャズを聴きながらトコトコとくだり、やっと新田の停留所に着いた。
バス停には何故かマイクロバスが停まっている。おやじばかりほぼ満席状態で、既に良い
調子に出来上がっている様子。バスの時刻表をのぞこうとしたらすかさず「お兄さんバス
は今出たばかりだよー」乗降口近くのおじさんに声をかけられた。確かに今は15時40分だ
が時刻表には静岡方面15時38分とある。「次のバスは2時間後だよ、いいから乗ってきな
よ」「そうだそうだ、人の情けは受けるもんだ」・・・おじさんたちは口々に言うがどう
みても補助席くらいしか空きがない。 それでも2時間待つよりかましかと思い、しどろも
どろにお礼の言葉を口にしながらタラップを上がると、運転手が何か言っている様子。
「お兄さんごめんな、今から忘れ物をとりに温泉までUターンだとさ」、えっ?と状況が
よくのみこめないまま車外に出ると、とたんに自動ドアが閉まって、マイクロバスはUタ
ーンして梅ヶ島方面に戻っていってしまった。
後からよくに考えてみると、あのバスは梅ヶ島の温泉旅館の送迎バスで、乗っていたのは
社員旅行か何かの団体。忘れ物の確認で停まっていたところに僕がふらふら近づいたわけ、
おやじ連中は酔っ払いの親切心でバスに乗り遅れた僕をせっかくだから乗っけていってや
ろうとさかんに誘ってくれたのだが、運転手は誰かの忘れ物を取りに戻るつもりでたまた
まその停留所に丁度停車したところのようだ。
さて、なんだか狐、いや酔っ払いの狸にバカにされた感じだが、次の終バスまで確かに2
時間以上ある。一停留所手前に黄金の湯という市営の日帰り温泉があるのを行きに確認し
ていたので、そこまで歩くことにした。これが大正解。入湯料500円で広い露天風呂も
あり、湯質も肌がつるつるする感じですこぶる良く、休憩室も完備されていて、バス停も
目の前にあり、温泉とビールで2時間をゆっくりと過ごすことが出来た。考えてみたら満
員のマイクロバスで酔っ払いのおやじ達に囲まれ、汗臭い状態でわけの分からん質問攻め
にあって1時間以上乗り心地の悪い助手席で揺られることを考えたら、マイクロバスの運
転手に感謝しなくてはならんと思えた。そんなに急いで帰ることもないわけだから。
黄金の湯バス停
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黄金の湯・市営で500円good! |
そういうわけで。日の暮れた黄金の湯から、誰も乗っていないガラガラの終バスでぐっす
りと心地よく眠りながら、幸せに帰途についたのであった。めでたし。
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