白山雑記(2006年8月3日〜7日)

                  中村 貞子 '06/08/16

                                  Photo by Teiko Nakamura


●4年ぶりの夏山

  おおきなザックを背負って夏山にでかけるのは2002年の飯豊以来である。 膝痛や腰痛という爆弾を抱えて、重い荷物を担いでの縦走はもう出来ないと思っていたが、今回はテント場定着なので、初日さえガンバレばなんとかいけるかと思って参加を決めた。

去年は2月に寝返りもうてないくらいの腰痛がおき、6月利尻・礼文にでかけたときはコルセット装着の状態で、空港の検査でひっかかった。しかし、重い荷物を担いでの歩きではなかった。それに2月から続けていた腰痛体操のおかげで少しは改善されつつあった。
今年は朝晩、虚仮の一念で続けていた体操と、さらに去年秋口から再開していたジムでのトレーニングのせいか日常的な腰痛はほとんどきえており、体力的にも少し自信がついていた。5月の八甲田はいままで必ず途中で止らないと降りられなかった高田大岳の斜面をノンストップで滑りきった。

別当出合から南竜ヶ馬場までの登りは真夏の太陽にあぶられ、しかも気温も高い。休みごとの水の補給と、歩きながら呼吸法に気をつけて登ったせいかテント場まであまりザックの重さは気にならなかった。体力を消耗したという状態にもならず、頭痛もおこらず久々に高い山に快適に登れた。
膝にも腰にも、登りはさほどダメージを
与えない。しかし、最終日の別山から市ノ瀬までのくだりはきびしいものだった。 南竜から別山までの登りはなんということもなかった。別山から見えたチブリ尾根の避難小屋は緩いくだりで指呼の間のようにもみえた。
しかし、近いと見えた小屋は急なくだりで登り返しもあり、コースタイムをオーバーして小屋に着いた頃大森さんは熱中症寸前、金谷さんはばてばて。二人は昼時なのに、水分しか入らない状態。
こちらはめずらしくちゃんと行動食を胃に入れられる体力が残っていたが、すでに膝は急なくだりで悲鳴を上げつつあった。
ここでの大休止のおかげで、次の水場まではわりと皆体力回復し、コースタイム通りに到着。しかし、きのうまでなんともなかった足はふくらはぎと太ももが張りだし、膝はぎしぎしと痛み始めている。水場から林道まで、くだりは整備されて歩きやすい道だったが、私の膝は急な下りよりも、緩い下りに弱い。ももとふくらはぎの筋肉の緊張は緩い坂ほどきつくなる。金谷さんもこの下りで難儀したもようだが、何とか無事に林道にたどり着く。大森さんは金谷さんと田中さんを待ちながら、このコースがきつかったのか、俺が年取ったのか・・・とひとりごちている。林道にでたころはよれよれだったが、疲れた身体にむちうってなんとか市ノ瀬まで太陽にあぶられながら30分ほど歩く。
その日は民宿の階段の上り下りが痛くて一段ずつしかできなかったが、翌日は多少びっこ状態だが普通に上り下りできるようになっていた。
回復も早い。なんだかうれしくなった。日頃のトレーニングというのはやはり、効き目があるのだな。 東京に帰ってきてからも以前なら2-3日は足が痛かったのに、次の日まだ少しふくらはぎの張りが残っていた程度で画期的に元の生活に戻る速度が、ちがう。

●南竜テント場での出来事

  初日はまだ人も少なく、あいたテントもあったが、2日目は土曜日とあって、既設のテントも増設され、私設のテントもあちらこちらに増えている。
室堂から御前峰をめぐって南竜ビジターセンターで日差しよけのために避難を兼ねて花の名前など調べてのんびりしているとき、テントが増えているのがみえたので、ウチのテントの宴会場は無事かな〜などと話していた。 テーブル代わりに長い材木をおき、椅子に手頃な石や材木をさがして3個まわりにおいてあった。(金谷さんは折りたたみの椅子を持参。これが初日出てきたときは皆唖然)テーブルの上にはゴミと、すこしの食器なども置いたままにしてあったので、まさかとられはすまいと、話していたのだが、4時頃であったか、戻ってみるとその悪い予感が的中していた。

金谷さん、田中さんが先にテント場についていた。わたしはそのあとからすぐについたが我々のテントの前で宴会をしているらしいグループがみえた。あれ??と思いつつ、金谷さん、田中さんを見るとふたりは呆然と顔を見合わせ、私もそれを見て3人で呆然と顔を見合わせる。すぐそばにテントがあり、宴会場とおぼしきテーブルがあり、しかもそこに3人もどってきて、呆然とそこに突っ立っているのに気がつかないはずはないが、5人ほどのおじさんグループは知らぬふりで談笑中。 しかも、椅子用においてあった石と材木をちゃっかりと使用している。

心優しい田中さんと金谷さんは、困った顔をしているだけで、何も言わない。 大森さんが戻ればさっそく文句をいってくれるところだろうが、なかなか戻らない。 実はたいした時間ではなかったのだが、わたしはついに待ちきれずに声をかけた。

「その使っている椅子は我々のだから返してください」といったら、リーダー格とおぼしき帽子のおじさん(実は見事な坊主頭)が「山ではひとりじめしちゃいけない」とか、「山ではみんなで協力して使わないといけない」とか、意味不明のことを言う。
「何言ってんの?私たちが探してきてこ
こで使ってるのを断りもなく持っていって使ってるくせにそれはないでしょ!」とは言わなかったが、あくまで返すように言うと、そのおじさんは「そんなに言うなら貸してやれ」などといって、返してくれた。
内心「ふざけんな、このヤロー!」である。手下が返してよこしたのを無言で取り返し、そのかわり、場所は少し空けてあげるからと言って、テーブルを我々のテントよりにずらした。
それ以上抵抗されたら、もっと激しい言葉をなげつけ、不愉快きわまりない状況に陥るところであったが、さすがに向こうは目の前にあったものを持って行ったのははっきりしているわけだから、それ以上何も言えなかったのは当たり前である。
それにしても、あれだけ歴然とだれかが使っている形跡があるものを持っていくというのはどういう神経なのだろうか。誰一人、誰かが使ってるんじゃないのかという想像力が働かなかったのか、不思議である。もし何ものせていなければテーブルさえも持っていかれたかもしれない雰囲気さえあった。

まだ時間は少し早めであったが、対抗上こちらも宴会を始めざるをえない。 ゆで牛、海藻サラダ、麻婆ナスなど、つぎつぎとごちそうがならぶ。なにせ、あちらのグループには男だけと思っていたら、女もいて、人数は多い。それとほとんど背中合わせのような状態での宴会。しかし、アルコールが入り、おなかもくちくなってくると、もう気にならなくなってきた。あちらもそれ以上のいやがらせはしてこない。

このグループは大森さんによると、ハクサンオオバコなどを調べているボランティアのグループのようだ。30代から60代くらいのグループだが、テント二張りくらいにわかれて宿泊している。
彼らは我々がテント場に戻るだいぶ前から宴会をしているらしいが、そのつまみたるや、かわきものや缶詰など、シャビーな内容。しかも、おもしろいのは我々が豪勢な宴会を終了する頃までその状態の宴会をつづけていて、暗くなり始めたら晩飯となったのだが、メンバー7-8人がかわるがわるその場所にやってきて、各自勝手にコンロをつかったりしながらカップ麺やレトルト食品をたべている。
個人装備だけを持って集合し、なにやら調査(?)して歩いているらしい。

翌朝もこちらはみんなで朝食をとっているころ、起き出してきて各自勝手に朝ご飯の支度をはじめたのはいうまでもない。 最初のやりとり以外、背中合わせにいながらいっさい口をきくこともなく、我々の方が早く出立した。

●白峰温泉の民宿

  たどり着いた市ノ瀬のビジターセンターで民宿の紹介をしてもらい、リストの一番上の民宿に田中さんが電話をして予約。
温泉街にはいっても、車の往来も少なく、なにやらひっそりとしている。「かわおく」という民宿につくと、食堂も営業しているはずなのに、入り口は閉め切ってあって営業している気配がない。民宿の看板もない。広い敷地に建物が3棟ほどあるようなおおきな家だが、どこから入ればいいのか入り口もわからない。右手の建物には材木がおいてあって、トラックがあるところをみると、材木業もいとなんでいるのか。
とりあえず、田中さんが左側の玄関らしきところをあけて、声をかけるが、なかなか人は出てこないし、対応がとにかく遅い。風呂にすぐに入れるかと聞いても、さぁーというだけで不安になって、もうやめようかという気分になりかけたときにやっと、あげてもらえたが、そのおばさんの対応は笑顔はもちろんのこと「いらっしゃいませ」のことばもない。他に客がいる気配はいっさいない。「なんでこんな日曜日にあんたたち来たのー」ってな感じである。

電話に出たのもこのおばさんらしいが、やはり無愛想で、ふつうなら民宿名をすぐになのるところが、「はい」というでだしであったそうな。
しかし、お湯で汗を流したいという一心には勝てず、ともかく2階の部屋に案内される。この家は外見はそんなにりっぱではないが、なかにはいるとなかなかの造りである。
通された部屋も角部屋のひろい10人くらいは楽に寝られるような広さ。
風呂場は男女に分かれていて、男風呂はまあまあの広さであったが、女風呂は小さくて温泉という感じはあまりなかった。 田中さんは半袖、短パンの行動で赤鬼のように日焼けし、ついに湯船にははいれなかったとか。 ともかく汗を流して、風呂上がりに冷たいビールを飲んでやっと、最初の対応のまずさを許す気に
なってきた。無愛想もあれほど徹底していれば小気味よい。 風呂上がりのビールを頼んですぐに持ってきたのもポイントアップにつながった。
夕食は6時から。広い食堂に我々だけがいる。刺身、てんぷら、かたどうふ、酢のものなど、あのおばさんが作ったとおぼしき夕食。かたどうふはこのあたりの名物らしく大森さんがおばさんにいろいろ話しかけているうちに、はじめておばさんも笑顔を見せた。大森さんはおばさんのお相手がうまい。食事もまあまあで、終わって部屋に戻ってみるとちゃんと布団が敷かれているのには感激した。

最終日は白山スーパー林道を経由、白川郷を見物して帰ることになる。
田中さんは予約の時に値段を確認していなかった。民宿値段はだいたいきまっているが、いったいいくらかなと思いつつ言われたままを支払い、あとで伝票を見てみると風呂上がりにたのんだビール3本をつけ忘れているようだ。部屋のテーブルには昨日のビール瓶が3本おかれたまま。
これは無愛想の対価とし、気づかれないうちにと、さっさとおいとまをする。おばさんは帰りには愛想よく玄関まで見送りに来てくれた。大森さんはいそいで逃げようとしたためにせっかく昨日確認した養蜂場直営のはちみつを買い損ねた。
しかし、おかげで白山スーパー林道が3150円もしたのがこれを差し引くと1300円くらいで通れたことになった。
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