外はそぼ降る雨模様、遅い朝食を済ませ、正午頃我々は川喜多さん達と別れて、冨山さんの希
望で北国街道「海野宿」を目指す。重要伝統的建造物群保存地区、である。
寛永2年(1625)北国街道の宿駅として開かれた。町並650b、下って享和年間(1801-4)には
旅籠が23軒、伝馬屋敷が59軒もあって大いに賑わったという。町並みには用水路が流れ、両
の側格子戸の家並みは宿場時代の建物と、養蚕が盛んになった明治以降の建物が混在してよく調
和しながら残されている
柳が植えられ、水路には清らかな水が流れる(N)
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しっとりと落ち着いた町並み(N)
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海野宿の産土神、白鳥神社(N)
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境内には樹齢700年という欅が(N)
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明治のウダツは軒に装飾的意匠の袖卯建(G)
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小屋根は「気抜き」養蚕室換気の施設(G)
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終わりに、海野氏の菩提寺「曹洞宗・興善寺」を訪れる。
海野宿からは北方高台にに位置して、見下ろす町並みの向に千曲川が流れていた。
境内を守るかの様な石垣と白塀はあたかも城郭の様である。人影もなくまだ咲き始めのサルスベ
リが美しかった。
瑞泉山興善寺総門(G)
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境内は高台に位置する(G)
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立派な山門(N)
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ほかには人影もない静かな境内(N) |
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