梓公式散歩 鎌倉の切通を訪ねて

                     橋元 武雄 '06/11/13

                      Photo by Zenzo Suzuki & Fumiaki Gotoh



 雨に煙る 鶴ヶ岡八幡宮

参加 冨山、後藤、鈴木、金谷、中村、橋元
2006年11月11日(土曜日)

今回は、冨山さんの計画で鎌倉の切通を訪ねる。   バスで「十二社神社前」まで。徒歩→朝比奈切通→旧華頂邸前(昼食)→   釈迦堂切通→鎌倉駅→寿福寺→(海蔵寺)→亀谷切通→北鎌倉駅 の予定だった。しかし、天気予報は悪い方へ悪い方へとずれている。朝7時のTVの気象図では、 はっきりした前線が接近中、西日本側は降水マークでいっぱい。こんな天気でも、と気になり、 掲示を見たがなにも出ていない。本当に実施するのか?と掲示を送信したが、ほんのわずかの ちがいで「鎌倉・雨天決行」の掲示が出ていた。こちらがキーボードを叩いている間に、冨山 さんと連絡をとった後藤さんが投稿したのだ。さっそく、こちらの掲示を削除し、出かける用 意をする。7時半を少し回っていたろうか。玄関の戸を開けると、ちょうど雨が降り出したば かりのようだった。降りだした直後に特有の埃くさい風が吹く。 赤羽発8時27分。赤羽からは湘南ラインで鎌倉まで乗り換えはない。鎌倉着9時41分。その間、 車窓の雨は絶えなかった。この天気だというのに、改札前は修学旅行の学生や観光客で混雑し ていた。集合は10時だからまだ早いが、もうみんなの姿が見える。冨山、後藤、鈴木、姿の見 えない金谷氏は、近くでコーヒーを飲んでいるという。ぼくが5人目、最後はチャウだった。


 鎌倉駅

 段かずらの道も雨

冨山さんと後藤さんが相談し、この天気では朝比奈切通は無理だという判断。午前中は、近場 の鶴岡八幡宮、鎌倉宮、瑞泉寺を、午後は様子次第で予定通りに、ということになった。ほん らい昼食は、ビールを持参し、冨山さんお薦めの鯵の押し寿司を旧華頂邸前でというはずだっ たのだが、この天気ではそれもならじ。冨山さんが以前から気になっている駅近くのトンカツ 屋が昼食の目標となった。 定番というので小町通を通って、鶴ヶ岡八幡へ向かう。小町通は、いろいろな制服の修学旅行 生が目につく。若くて元気とはいえ、この雨では気の毒だ。冨山さんの掲示にもあったが、こ のあたりで食事をしてよかった記憶はない。冨山さん、後藤さんは、鎌倉はお手のものだし、 ぼくも小学校の遠足以来何度となくきているが、金谷氏は東京近辺に住んでいながら鎌倉が今 回初めて、善さんも二度ほど来たことがあるだけという。これは意外だった。


 鶴ヶ岡八幡表参道

 本殿内は七五三祝いの人でいっぱい

のっけから脱線だが、仮名手本忠臣蔵は、ここ鶴ヶ岡八幡(「大序 兜改めの場」)からはじ まる。それは、時代を江戸から鎌倉時代へ移しているからなのだが、はじめて文楽の通しで大 序を見たときは、なんで鶴ヶ岡八幡かといぶかしかったものだ。参道には七五三の着飾った親 子連れが目につく。せっかくの晴れ着をこの雨に濡らして可哀想に思ったが、子供は元気だ。 水たまりにわざと飛び込んでハネを揚げて喜んでいる兄弟がいて、微笑みをさそう(10:07)。 静御前の舞で有名な舞台は、つい最近修理が終わったそうで、葺いたばかりの赤い銅の屋根が 目立つ。そこで、めずらしく結婚式が行われていた。参道のど真ん中だから、大勢の参拝のひ とびとは珍しそうに眺めながら通る。それを晴れがましいと思うか、照れくさいと思うかは、 趣味の問題だ。式次第は本格的で、普通は、神主が一人でやるところを、巫女さんまで弊をも って儀式らしきことをしていた。伴奏の雅楽も、録音テープではなく、3人の奏者が実演してい る。ア・カペラならぬア・シュラだなどと駄洒落を飛ばす。このなんだか小朝風の駄洒落は、説 明しなければならないのが辛いところだが、a cappellaは“教会にて”ということで器楽なし のユニゾンの合唱だが、ここは神社で器楽のみの演奏だからa shrineのつもり。チャウには鼻 先であしらわれたが、阿修羅にも通じて、結構、ひとりで気に入ってしまった。 公暁の大銀杏を横目に階段を上がる。小学校の遠足で、話でしか聞いたことのない実朝暗殺の 現場に、自分がいまいるのだということに、不思議な気分をあじわったことを想い出す。本殿 の中は、七五三の親子連れで混み合っている。細かな手順は柱の奥で見えないが、流れ作業の ように、つぎつぎと祈祷が行われているのだろう。階段下の祈祷申込所でも長蛇の列をなし、 本殿の祈祷でも延々と行列して、いやはやご苦労なことだ。でも、子供にとってはいい思い出 になることだろう。


 八幡宮境内(1)

 八幡宮境内(2)

頼朝公墓所(10:36)。八幡宮の奥山と同じ連なりにあるだろうと思われる山の途中まで、急 な階段を上ると、深々とした森に囲まれて、苔むした石塔がひとつ。あまり人が来ている形跡 もない。廟の四隅に立てられた「頼朝会」という幟だけが新しい。振り返ると正面間近にも小 さな山がある。この墓所とその山の間は、いまは低層の住宅街になっているが、そこに鎌倉幕 府が置かれていたという。こんな狭いところに、当時の日本の軍事的な中枢があったのかとお もうと、意外である。このあと、あちこちと回って歩いて感じたのだが、京都、奈良を経験し ている目から見直すと、鎌倉はどこもこぢんまりとして、せせこましいくらいだ。それは鎌倉 の立地のスケールからくるのだろうが、その条件を選んだ創設者頼朝の心理的なものもあるの かもしれない。守ることの固きに主眼があり、ここから発展することは彼の意識にはなかった か。


 頼朝公墓所わきの白幡神社

 鎌倉宮

官弊中社鎌倉宮(10:42)。後醍醐天皇の皇子大塔宮護良親王が祭神。(おおとうのみやorだ いとうのみや、もりながorもりよし、読みの変遷はWikiPediaなど参照)。このお宮の背景に は明治親政があるようで、同じく後醍醐親政のときに活躍した皇子を顕彰するために明治天皇 が建立したという。親王が幽閉された土牢は有料なのでパス。申し訳ないが『鎌倉宮七五三セ ットプラン』には笑ってしまった。そのせいではないだろうが、雨が急に激しくなり、とても 歩ける状態ではなくなった。しばらく、「厄割り石」の屋根の下で模様見をする。なんでも、 初穂料を払って土器を買い、それを屋根の奥に配置してある2つの自然石に打ち付けて割り、 厄を祓うのだという。雨宿りはさせてもらったが、だれも初穂料を払うものはいなかった。戦 前は体制のバックアップがあったからいいようなものの、歴史が新しいだけに人寄せにはいろ いろ苦労をしているようだ。境内の無料休憩所でいっぱいやるかの話も出たが、やがて小降り になり、瑞泉寺へ(11:00)。


 瑞泉寺

 三門への上り坂の入口

金屏山瑞泉寺(11:15〜43)。臨済宗円覚寺派。関東十刹の第二座。夢想疎石の創草で五山文学 発祥の地だそうだ。鎌倉五山にはいっていなくて、十刹の第二座はないだろうと思ったが、 幕府による寺の格付として五山十刹(五山>十刹)があるのだという。そういえば、高校で習 ったかもしれない。 もともとの参道はすでに車道になって、観光客相手の真新しいショップなどが点在する。まる で取り残されたような総門の手前にわずかに旧参道の面影を残す部分があり、期待が膨らむ。 拝観料100円なりを払って入場。三門への上り坂の入口に「夢想国師古道場」の石碑がある。 ここまでは車の入るいまどきの風景だが、石段からさきは別世界。トンネルのようになった木 の下道を上りきると三門がある。といっても、ちょっとした庄屋が構えるような屋根つきの門 にすぎない。 三門をくぐって中へ入ると、正面に本堂、右手前に庫裡があるが、伽藍よりも庭一面を覆い尽 くす草花、樹木の存在感が濃い。そのなかを、低く刈り込まれたサツキの垣根に限られた歩道 が延びている。ここはウメの名所らしく、松島瑞巌寺の臥龍梅を思わせるような古木が多い。 おしなべて樹高があり、樹皮に鱗のような緑青色の苔を置いている。地べたもほとんど苔に覆 われて、そこに丈の低いセンリョウ、マンリョウが赤い実を見せ、スイセンやエゾリンドウの 草むらが点在する。伽藍は自然の力に気押されて、押し黙っているかのようだ。近頃の観光名 所の寺社は、隅々まで整然と庭園の手入れがされていることが多いが、ここは手入れ半分で、 あとは自然に任せるといった風情。それはそれで、好ましい。 本堂の裏に池があり、その奥は水成岩の垂崖になっている。鎌倉の寺は、このように谷の奥に あって、背後に崖をひかえているところが多いようだ。その崖には浅い横穴がいくつか掘って ある。後藤さんの話では、鎌倉辺りでは、それをやぐら(平仮名表記)というそうだ。矢倉か ら来ているのだろうが、寺だから武器庫というより墓所に使われるという。この寺の案内板で は、座禅に使われたやぐらもあった。境内図によると、その池に懸かる石橋を超えて、崖を左 からジグザグに登る山道があり、頂上に偏界一覧亭がある。あまねく世界をいっぺんに見渡せ る亭というのだろうか、いかにも禅僧らしい発想だ。その道が古来の面影をよく残していると あったが、残念ながら垣根があって池から先は入れない。しかし、登れなくてよかったのかも 知れない。多分、この崖の上の稜線へでると、その先にはおよそここの雰囲気とは相容れない、 鎌倉霊園の大規模墓団地が展開しているはずだからだ。拝観を終わって、豚カツ屋へ向かう。 駅へ戻る途中に清水さんという大きな屋敷があり、その勝手口にホウロウの表札で「電話鎌倉 八〇三番」とあるのが珍しい。電話の表札は、以前にも、栃木市の散策で見かけたことがある。


 瑞泉寺の庭(1)

 瑞泉寺の庭(2)

勝烈庵。同じ道を戻るのもという後藤さんの提案で、別の道を通って駅方面へ。途中、少し迷っ たのも愛嬌で、無事に鎌倉駅西側の勝烈庵に到着(12:36〜13:41)。4人掛けのテーブルが5〜 6つくらいのこぢんまりとした店。戦前の住宅の様式を要所要所に再現した風で、格天井の中は 白塗り、そこから磨りガラスの大きなホヤの電灯が下がっている。といっても、近頃のとって つけたようなレトロではない落ち着いた感じがある。つまみの種類はないので、アスパラの盛 り合わせと鶏のサラダを頼み、まずはビール(キリンである)から始まる。半日も雨に降られ て歩きまわってきたから、肩の辺りは湿って冷たくなっている。つぎにぬる燗へ移るのは当然 の成り行きだ。従業員の接客も、ごく自然なところがいい。マニュアル通りの空疎な愛想など、 われわれのような年を経たジジイどもには胸くそ悪い。昼時で混雑を心配したが、終始満席に はならなかったのでのんびりできた。店の人も、われわれが酒の本数を決めているのを聞いて、 夕方までいっぱいやりますか、などと世辞をいってくれる。チャウは牡蠣フライにしたが、残 りはむろんトンカツ。これが上々の部類。肉よし、衣よし、揚げ油よしで、いうことがない。 衣はサクッと軽く砕けて、ブタの旨みたっぷりの肉は柔らかで、芳ばしいラードの香りが鼻腔 に拡がる。トンカツの醍醐味である。金谷氏は量が不満だったようで、最後まで手をつけなか ったぼくの一切れを、はるか離れた席から狙ってきたが、どっこいそうはいかない。酒の最後 の一杯に合わせているだけだ。どのトンカツにも“大判”があったのだが、金谷氏は気がつか なかったらしい。全員満足。冨山さんの狙い、大正解であった。


 勝烈庵にて(1)

 勝烈庵にて(2)

亀谷山寿福金剛禅寺(13:55〜14:51)。臨済宗建長寺派。建長寺、円覚寺についで鎌倉五山の 第三座。昼食後もあいかわらず雨は止まないが、ほろ酔いでさして気にならない。この寺は駅 のすぐ近くにあり、道路の間際に駐車スペースと総門がある。白い花崗岩の外縁に黒い玄武岩 のような岩をはめ込んだ参道の石組みが美しい。参道をやや上り気味に100メートルほど進むと 三門があって、奥に本堂がある。しかし、三門から先は観光客の立ち入り禁止。さして広くな い前庭にビャクシンの古木が数本あり、本堂内では法事が執り行われているのか、雨音を通し て、読経と木魚の音が聞こえる。冨山さんは奥の墓所に見どころがあるというので、寺の裏側 にまわる。古色蒼然とした墓石の立ち並び、なかには歴史上の登場人物の墓も少なくないだろ う。墓所の行き当たりは、ここでも垂崖が立ちふさがりやぐらが掘られている。やぐら内には、 武家の頭領格だったのであろう、主立った埋葬者の墓がある。その一画に、北条政子と実朝の 墓があるのだ。お経の代わりに「箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ」 と唱えておいた。政治より和歌の好きだった実朝のことだ、お経より功徳になったかもしれな い。総門へ戻るとまたひとしきり雨が強くなった。撮影で遅れている後藤さんを待って、しば し雨宿りをして出発。すぐ近くに太田道灌の屋敷跡、東光山英勝寺がある(14:53)。鎌倉に 道灌の屋敷があったとは知らなかった。有料で入れるようだが、もちろんパス。


 寿福金剛禅寺(1)

 寿福金剛禅寺(2)

景清窟(景清牢、景清籠)。景清窟を見ることは、ぼくの希望だった。能、文楽、歌舞伎など の古典で「景清物」は数多い。能の「景清」は好きな曲だし、最近は吉右衛門の改作で「日向 嶋景清」を見た。「壇浦兜軍記」は、歌舞伎でも文楽でも頻繁にやっている。見たことはない が歌舞伎十八番にも「景清」がある。この雨では探してまでと、諦めていた。しかし、海蔵寺 へ向かう途中で、冨山さんが景清窟はこちらの見当だと、化粧坂(けわいざか)への脇道へず んずん入っていった。道の左側は崖でふさがり、右側が少し開けて人家が並んでいる。ちょう ど帰宅した車がガレージに入ったので訊ねてみた。若い人だったが、たしかこの下にと、われ われが来た方向を指し、右側に何かあったような気がするという。その間にも善さんたちはど んどん先へいってしまったので、礼をいってあとを追った。すぐに斜度がきつくなって道がジ グザグに刻みはじめると、もうその先は化粧坂の切通だった。諦めて引き返す途中、先ほどの “右側”の言葉が気になって、崖膚がむき出しているところがあったので、よじ登ってみた。 が、ただの土砂崩れのあとだった。おかげで、ズボンの裾はどろんこになってしまった。分岐 のところまで戻ってみると、あったあったと声がする。見れば、分岐を入ってすぐの岩の窪み に「銭洗弁財天」の赤字の看板がある。さきほどは、それに目を奪われて通過したが、そのす ぐ上に「水鑑景清大居士」の石柱が、路傍には細かな字がびっしり彫られた石碑があった(15 :19)。気づけば、なんだ、探すまでもなかったのである。景清が自ら籠もって命を絶ったとい われる岩屋の跡だが、いまはその一部らしき窪みがある程度で、真偽のほどはさだかでない。 岩屋の上部には大きな割れ目が走っていて、そこから水平にケヤキの古木が突き出している。 もしや、もしや、景清さまをご覧になったか、ケヤキ殿である。チャウにも訊かれたが、水鑑 の意味はわからない。手習鑑、大内鑑など“鑑”のつく外題はあるが、水鑑は聞いたことがな い。でもまあ、これで気が済んだ。さいわいなことに、この頃から雨が止んで、少し空が明る くなってきた。


 化粧坂下にて

 海蔵寺へ

扇谷山海蔵寺(15:26〜16:00)。臨済宗建長寺派。整然とした二段の石垣に挟まれた階段の上 に、かわいい三門が立っている。瑞泉寺、寿福寺に比べると人の手がよく入っている印象。本 堂はとくに面白い建物ではないが、脇の庫裡がいまだに藁葺きというのが珍しい。いまは時期 が悪いが花木の多い花の寺として有名だそうだ。 本堂の周囲にはここでも垂崖が迫っていて、そこにいくつかのやぐらが穿たれている。やぐら 内の墓石は、その形からして住職の墓らしい。やぐらの天井には、短いクジャクシダのような シダが密生して垂れ下がっている。なかに白蛇が神体のやぐらがあり、よく見ると奥で湧き出 した泉を頭として流路が蛇体のようにくねらせてある。本堂裏の庭園は遠望するだけで入れな いが、奥の小高い丘の上にミニ桂離宮風の茶室(?)が建っている。木造のたたずまいには趣 があるのだが、屋根が分厚い瓦で重すぎ。これがこけら葺きだったらと惜しまれる。 このお寺、花の寺のほかに、水の寺とも呼ばれるそうで、三門の脇に「底脱(そこぬけ)の井」 や「十六の井」がある。なぜか十六の井だけは拝観料100円の掲示があって、その下のプラス チックの蓋を開けると、先客の入れた百円玉が数枚、無造作に置いてある。毎日回収している のか、こちらが心配になるほどだ。お寺本体に十分その価値ありと認めたので、迷わず100円を 払って、少し離れたその井戸へ向かった。笑ってしまったのだが、途中に脇道があって、そこに は普通の人家が建っている。つまり、十六の井へは拝観料を払わずとも、別の道から入ってこ られるのだ。この手の大らかさはとても好きだ。十六の井は、いずこもおなじ弘法大師伝説で、 洞窟内に湧き出した泉である。奥正面に仏像が安置してある。清水をたたえた穴が16個、真田 の6文銭の旗印のように並んでいるので十六の井というらしい。詳し説明があったのかどうか気 づかなかったが、お大師さまが呪文でも唱えたら、忽然と湧き出したというのであろう。


 いい佇まいの海蔵寺

 ミニ桂離宮風の茶室(?)

亀ヶ谷坂(かめがやつざか)の切通。横須賀線のガードまで戻って、それをくぐり、亀ヶ谷坂 の切通へ向かう(後藤さんが調べてくれたのだが、鎌倉の“谷”は“やつ”と読むらしい。読 みを漢字にすれば“谷津”にもなる)。この切通は、横須賀線の鎌倉、北鎌倉間のトンネルの 東側を歩いて越えることになる。車止めがあるので車の通行はないが、切通の古道ではなくた だの車道であった。途中で古道らしきものが合流してはいたが。切通を越えて降り切ったとこ ろで国道へでる。建長寺の少し下手だ。国道へ出る角に見覚えのある食堂があった。「流しそ うめん 茶屋角」とある。大分前の大晦日だったか、ぶらりとこの辺りを歩いたときに、ほかに 開いている食堂がなく、選択の余地なく昼食に入った店だ。北鎌倉駅着(16:24)。


 横須賀線のガード

 亀ヶ谷坂

はらぺこ。大船で乗り換えて京浜東北線、港南台駅へ。後藤さんがホームページを作成してい るというイタリア料理屋が、この散歩の〆だ。はらぺこ着(17:14)。少し早すぎて、表で少々 時間をつぶす。まずビールから始まって、料理は適当におまかせで見つくろってもらう。前菜 に牛のカルパッチョ、マッシュルームのオリーブ漬け、貝柱のトマトソースなどが出る。一口 で合格。まっとうな素材が、きちんと活かされて調理され、味付けも自然だ。ワインはお勧め のサンジョベーゼを1本とる。フランスの赤ではカベルネ・ソービニヨンが有名だが、イタリア の赤ではサンジョベーゼがそれに匹敵する。本来、コクのあるタイプの赤のはずだが、この店 のものは、酸味の勝った軽いワインだった。つぎは赤のハウスワインへ移行したが、こちらは 軽いが軽すぎない適当なボディーのあるいいワインだった。あとはこれのお代わりに決定。メ インはピザとパスタだ。これも文句はない。


 レストラン・ハラペコ

 ハラペコにて(1)

 ハラペコにて(2)

 ハラペコにて(3)

今回の散歩は、八幡宮、鎌倉宮は別としても、訪れたどの寺も個性的でそれぞれに味わいがあ った。景清窟も見られた。昼飯のトンカツも夜のイタリアンも、梓の水準を十分クリアして満 足のいくものだった。ザンザン降りの雨の中、何をものずきに観光地の散歩?などとはいうま い。雨以外は、なにからなにまで、このようにうまくゆくこともある。世の中「一寸先は闇」 の逆で「一寸先に光明あり」だ。梓にとっては、混み合った晴天の鎌倉より、人気の少ない雨 の鎌倉のほうが好ましかったのは、いうまでもあるまい(もちろん空いていて好天ならいうこ とはないが)。それにしても古都鎌倉、ただの観光地と見過ごしてしまうには惜しい見どころ が、まだまだあるように見受けた。

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