梓公式散歩 小田急沿線 武相荘・川崎民家園
橋元 武雄 '06/09/25
Photo by Teiko Nakamura & Fumiaki Gotoh
白州次郎・正子の武相荘
参加 冨山、後藤、中村、橋元(宴会参加 金谷)
2006年9月23日(土曜日)雲の多い晴れで気温高く、台風の余波の風がある。
今回は小田急沿線の散歩だ。ほぼ時間通りに鶴川駅の北口改札に集合。
まず武相荘へ向かう(10:02)。知る人ぞ知る白州次郎、正子夫妻だったが、最近は急に有名
になった感がある。夫妻の死後、遺族が旧住宅を公開したのだ。お二人ともとうに他界して
いるが、まあハイソ、ハイカラ、ハイテイストのサンプルのような夫妻で、わざわざ説明す
るのもためらうところがある。興味があればWebででも覧ていただきたい。武相荘の名は、
武蔵の国と相模の国の境にあるからだが、“ぶそうそう”でなく“ぶあいそう”と読ませる。
その意図は説明するまでもなかろう。
駅からは余り快適とはいえない車道沿いの道を20分ほど歩く。小田急線沿いに津久井道を少
しもどり、左側から合流する鶴川街道 へ入ってしばらく歩くと、左側に武相荘の大きな看板
がある。指示に従って左側の丘へ登るとすぐに武相荘がある(10:19)。当時 、鶴川辺りで
はごく普通だったほどの農家を買い取って整備し、昭和18年、ちょうどぼくの生まれた年に
引っ越してきたという。 ぼくも子供の頃は登戸で育ったからおよその見当はつくが、そのこ
ろのこのあたりは、結構な山奥だったろうとおもう(現在は完全な住宅街)。ひとの懐は知
らないが、当時とすれば彼らのポケットマネー程度で、周辺の山ごと買えたのではないか。
次郎は、いまでいえばDIYが趣味のひとで、自宅として住まいしている間にも、絶え間なく庭
や造作に手を加えていたようだ。
敷地の手前にちょっとしたスペースがあり、その左に受付がある。なんと入場料1000円。普
段ならぼくはパスするところだが、今回はここが目玉なのでそうもいかない。しぶしぶ料金
を払ってはいる。まず長屋門があって、その奥に庭がひろがり、北側(右手)に家屋が配置
されている。左手は竹藪の斜面だ。長屋門はあとから移築したのか前からあったのかしらな
いが、前からあったのなら庄屋クラスの農家だったろう。
武相荘の長屋門
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屋根を覆うツユクサの叢
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一見して、近頃どこにでもある、農家改造風ギャラリーだ。南に向かって三間が並んでいて、
その中央の間が入口。そこで、下足を脱いで袋に入れて携行する。入ってすぐ右手に遺愛の
食器類、左手に同衣類が整然と並べてある。使ってみれば、 あるいは、着用してみれば、味
わいのあるものかもしれないが、陳列されて いるだけでは、どうこういうほどのものではな
い。全体に民芸風の趣味で、朝鮮の民具が好みなのか。バーナード・リーチが日本に紹介した
スリップウエアもある が、これは次郎の英国留学のノスタルジーか、あるいは、正子の趣味
の延長かとも思った。
母屋の北側の旧隠居部屋が次郎の書斎になっていて、その手前の間の周囲が書架になってい
る。蔵書を見ると夫妻の生きた時代の知識層としては普通のもので、とりわけ目だった傾向
もないように思う。四畳半ほどの書斎は、周囲が本棚にとられて狭く感じるが、奥 の壁に広
めの窓が開けてあり、北側の緑の斜面の反照が部屋を満たして心地よい。北側にあってほど
ほど明るいというのは書斎には理想的だ。掘りごたつの上に重厚な机を掛けて、そこで思索
と執筆に明け暮れたのだろう。彼の本は読んだことはないが、この屋敷のあちこちに掛けて
ある断簡を 瞥見しても、衒いのないさらさらと流れるよな文章を書く人だったようだ。
一番印象に残ったのは、彼の遺書で、毛筆で二行「葬式無用 戒名無用」とだけあり、あと
に家族の名前を列挙して落款がある。その墨痕の暢びやかで躊躇のないこと。遺書にこんな
字が書けるとは。百万言を費やして回想録を綴るより明白に、かれの過ごした人生の充実を
語っているように思えた。かえりみて、ワープロでしか文字が書けないとは、とほほの人生
である。 記録を書き終わって、後から思いついたのだが、奥の座敷の床の間に掛けてあった
熊谷守一の書と、この遺言にはなにか共通する雰囲気がある。次郎と守一とでは似ても似つ
かぬ境涯だったはずだが。
母屋前の庭
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散策路で
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屋内を一巡して前庭へ戻る。少し離れて母屋を覧ると、茅葺きの屋根はもう大分傷んでいる。
その三分の一ほどをツユクサの叢が覆って風情を添えている。これが、外来のムラサキツユ
クサでないのが、またいい。庭の奥に鈴鹿峠の碑があり、そこからちいさな丘を一巡する散
策路が延びている。散策路といっても、すべて歩いてもほんの十数分しか要さないが、執筆
に疲れたときに気分転換には格好だったろう。気まぐれに地方で買ってきた石仏のようなも
のが道端であくびをしている。
武相荘。ちょっと気になっていたので行ってみたが、予想した以上でもなし、以下でもなし
といったところか(11:08)。ほぼ同じ道をたどって鶴川駅に戻った。
鶴川から小田急線で向丘遊園へ戻る(11:50)。まず昼食をしたため、午後は民家園と岡本太
郎美術館を訪ねる。このあたりはぼくが子供の頃のテリトリーで目をつぶっても歩けるくら
いのものだが、めぼしい食い物屋など記憶にない。懐かしいといいたいところだが、あまり
に変貌してしまって何かを想いだそうにも、そのよすがもほとんどない。後藤さんの提案で、
民家園の中のソバ屋にすることになった。民家園は、駅南口の広場から南下する道をそのま
ま進めば15分ほどでいやでも行き当たる。
民家園と岡本太郎美術館のある一帯は、生田丘陵が多摩川へせり出すあたりで、その突端の
枡形山の南麓を拓いたものだ。枡形山の周辺は、ぼくの小学校の頃の遊び場で、山頂の広場
でキャンプをしたり、沢の湧き水でカニを採ったり、丘陵の上に拓かれた畑の周辺で土器や
石器を探した。いまでは信じられないかもしれないが、耕作の邪魔になる土器や石器が、石
くれのように畑の周辺に投げ捨てられていた。その頃、民家園の辺りはちいさな沢にそって
田圃の散在する湿地帯だったように思う。
民家園表門
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伊那街道・伊那部宿にあった薬屋
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川崎市立日本民家園(12:10?)。ここは入園料500円。川崎のような金持ち自治体は、もうす
こし安くしてもよかろうとおもうが。まず、入ってすぐに日本の民家の構造と建築方法に関
する展示室がある。ここで基礎知識を得て園内を見て回るという配慮なのだろうが、たくさ
んの知識がそう簡単に頭に入るものではない。ざっと見て園内へ入る。斜面をゆるやかに登
る見学路にそって、テーマごとに古民家が点在する。最初に宿場エリアがあって、いろいろ
な商売を営んでいた民家が並んでいる。そのさきは地方別になり、まずは信越の村だ。最初
はあれやこれや目移りがするが、そのうちにだんだん間取りに共通する要素がわかってくる。
南面する玄関(農家の場合、玄関という用語が適当か?)を入ると、まず屋内作業場として
の土間(北国ではニワともいうらしい)があり、土間には竈や水場のある台所と板敷きの食
堂部分とがある。また、土間の周囲には厩と味噌の保存場所がある。座敷は用途別のランク
があって、台所近くから、家族が日常に使う居間、客をもてなす客間、仏壇のある奥の間の
順に展開し、仏間はおおむね最奥にある。座敷をデイと呼んでいるところが多かったがその
語源は分からない。
一番見晴らしの席・風がよく通る
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展示室「スバル少女ジャズ劇団」昭和10年・於塩山
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信越地方エリアの最後に様式の異なる合掌造りが四軒ある。合掌造りのトリは、白川村で料
亭に使われていた旧家で、そこがソバ屋になっていた。これでやっと昼にありつける(12:5
1〜13:25)。入口の食券売り場で、全員とろろソバと決めて、それにビール2本、冷酒2本
の食券(色とりどりのプラスチック板)を買う。ビールはキリンクラシックだったのでやれ
やれ。合掌造りの天井の高い座敷に上がると、ボランティアらしき白髪の媼がたった一人で
立ち働いている。表廊下の一番見晴らしの席が空いていたので、そこに陣取る。障子は開け
放たれたれていて風が爽やかに吹きすぎ、眼下の公園に展示してあるブルートレインが木の
間がくれに見える。まずビールと酒だが、ビール二本、酒二本頼んだからといってコップ二
個、お猪口二個はないとおもうが、悪気はなく単に気づかないだけらしい。コップと猪口の
追加を頼むと、ピーナッツと柿の種の入った小さな袋が人数分がついてきた。時間からし
て、そうとう空腹だったせいか、この酒は相当効いた。
おはぎを頬張る
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古民家の解説ツアー
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スケッチに余念のない冨山さん
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五箇山合掌造り(国指定重要文化財)
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食後、ほろ酔いで二階の展示室を見て表へ出る。表の広場にみたらし団子屋があり、みんな
でおはぎをほおばった。いや、満足じゃ。ここで、信越古民家の解説ツアーが2時から開か
れるとアナウンスがあったので、後藤、中村、橋元はさっそくそれに参加。重鎮は、その間、
心おきなくスケッチとあいなった。
解説は、三内丸山のような素人のボランティアではなく、古民家の研究家らしい。もう、少
しおつむはぼんやりしているようだったが、解説は楽しかった。前提となる知識もなく漫然
と見ているだけでは、ほとんど見ていないようなものである。積雪と柱の太さの関係、天井
裏の木組みの構造(とくに西欧建築のアーチ構造にも通じる、梁のチョウナ造り)、日常や
冠婚葬祭で異なる出入り口の区分(戸外から仏間へ直接出入りする個所を“猫馬鹿坊主”と
呼ぶとは、気に入った。これも説明はいらないだろう)などの解説がある。ときおり質問を
すると、うっすらと靄のかかったような返事が返ってくるのが、また楽しかった。彼の解説
によると、関東地方に移転されている合掌造りは五軒しかなく、そのうち四軒がここにあり、
残りは三溪園のものだという。それなら、梓の横浜散策で見ているので、われわれは、その
すべてを知ったことになる。
五箇山合掌造りの江向家 (by tomiyama)
ツアーが終わって(15:05)、冨山さんと合流し、後半の展示を見学する。残るは関東の村、
神奈川の村(神奈川は関東だが、ここは、それ川崎の施設だからね)、東北の村となるのだ
が、まあこのあたりはほろ酔いということもあって、適当にのぞいて歩いたという程度だ。
惜しむらくは、関東の村の印象がいささか貧しかったこと。それは経済的にではなく、内面
的なものの反映かもしれない。一見したときにゆとりが感じられない。座敷も板敷きではな
く、竹竿をざっくりと渡して、座る部分に茣蓙を敷いただけ。竹竿の隙間から地べたが直接
見えている。これでは、夏は涼しいだろうが、冬ともなればおちおち寛いでもいられまい。
なにか理由があったはずだが、そのあたりは次回の課題としよう。武相荘はもう行くことは
あるまいが、こちらは何度か訪ねることもあろう。民家園を奥門から出る(15:52)。
岡本太郎美術館前
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“いちぼ角”?
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酔いざまし
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巨大モニュメント
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あまり興味はなかったが、ついでだし、時間もあるので岡本太郎美術館まで足を伸ばす。以
前に一度通過したことはあるので概要は知っている。万博の太陽の塔は大いに評価するが、
あとは特に見たくもない。この美術館にも、面長のマッシュルームにいくつか人形が生えた
ような巨大モニュメントがあるが、彼の作品にしては妙に神経質で好きになれない。冨山さ
ん、後藤さんが無料パスの特権を利用して一巡しているあいだ、チャウと二人でベンチに座
って酔いをさました。池の中にしわくちゃの梅干しからオリックス・バッファローズの角が
生えたような造形、むろん太郎作、が置かれている。もっともらしい作品名や解説があるの
だろうが、われわれは、やれ“いちぼ角”だの、いや“きれじ角”だの無責任な冗談で時間
をつぶしたのだった。
これがくだんの「とんかつ福屋」
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すでに到着していた金谷さん
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金谷氏とは、新丸子の福屋で5時半に待ち合わせである。時間調整に登戸まで歩いた。いまは
無惨なビルとなってしまったわが小鳥屋の前を通り、思い出という言葉のやすらぎを完膚無
きまで粉砕する登戸駅のメカニカルな駅舎に驚嘆し、なぜか昔と変わらないシャビーなアス
ファルトのプラットホームを踏んで南武線の電車に乗った。
まだ5時少し過ぎだったと思うが、福屋は満員で、すでに到着していた金谷氏がご機嫌でわれ
らを迎えてくれた。前回の目黒散策同様、楽しい宴会がくり広げられたのはいうまでもない。
最後は、決して揚げ方がお上手とはいえないトンカツの美味に舌鼓を打ち、前回より数等う
まく打たれていたソバで〆とした。そして、次回は11月11日の鎌倉散策、担当は冨山さんと
いうことまで決まって、目出度く散会したのでありました。
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