雲取山の記録

        橋元 武雄 1980年11月8日(土)〜9日(日)

                         Photo by Zennzo Suzuki



  雲取山山頂
メンバー 冨山、後藤、鈴木、河野、関根、中村、新居、橋元

11月8日(土)

  午後2時に立川の青梅線ホーム集合。奥多摩駅前のマーケットで夕食の材料と酒を 購入。献立は、赤飯と豚のショウガ焼き。駅からタクシーで奥まで。奥から浅間神社 を経て鷹ノ巣山避難小屋を目指す。

避難小屋は行者と称する奇妙な若い男がいて、これが顕示欲の塊みたいなやつで、わ れわれは全員すこぶる不快となる。やがて、酒がまわるに及んで、ついに後藤、冨山 両氏が爆発。以降は、強圧的、ファッショ的、多数派的に恫喝し、かつまた肉体的に 圧倒して、行者の饒舌を封圧する。(後記:例の、“首締めて殺すぞ”の発言があっ た)。それからは例によって、冨山さんの大声が山小屋を席巻した。

11月9日(日)

  翌朝、われわれが最後に小屋を出たが、小屋の両側にあった二つの建家にも夜行で 来たらしい登山者が満員状態だった。霧が立ちこめて、ぼんやり見える太陽からほの 温かい日差しを感じるが、そのぬくもりをたちまち奪う強い風が稜線へ吹き上げてく る。山頂近くでは、枯れ木立にもう霧氷が付着して輪郭を白く縁取っている。山道は、 山腹を縫ってほぼ水平に付けられている。幅は狭く、すれ違うときはどちらかが立ち 止まって、相手の行き過ぎるのを待たねばならないが、山道の手入れはよく歩きやす い。


七ツ石を過ぎる頃、霧はすでに失せて、11月の澄んだ空からたっぷりと日がそそぐ ようになった。奥多摩小屋を過ぎたあたりで小休止したあと、ぼくと善さんはいっし ょにペースをあげて先へ行く。今までの調子ではなんだか歩いたような気がしないの で、思いっきりとばしてみたが、身体が大分重くなっているらしく、気力に足がつい ていかない感じだった。

雲取山の山頂は、なんともあっけない風情であった。東京都の最高峰というには、あ まり威勢のよくない、なんだかだらだらと膨らんでしまった出っ張りといった感じで ある。山頂で、昨夜、小屋でいっしょだった二人組に追いついた。行者とのいさかい や、その後の大合唱でさんざんな目にあったはずである。われわれが山頂に着いたと き、彼らは炊事中で、おりあしく燃料が切れたところだった。せめてのも罪滅ぼしに、 ガソリンを提供する。なにしろ、あれだけ騒いだ翌朝に、この二人が出発する支度を していると「何時だと思ってるんだ。やかましい」と、あの冨山さんに一喝されたの だ。彼らの一人が言った。「ぼくたちだって、愚痴の一つもいいたくなるよな」。ご もっともである。

下山は、大ダワから大雲取谷を下り日原に出る。途中、足を痛めてバテバテになった 河野さんと、関根、新居、中村を残して、あとの四人が先に下山する。早く降りて車 を呼び、できるだけ奥まで入ってもらおうと思ったのである。それほど河野さんの足 は痛そうだった。


(後記:記録はここで終わっている。たしか、このあと先行した誰かが、

     車を頼んでくれて、河野さんはその車で降りたような記憶がある)

*皆さんの記憶から… 鈴木さん:僕は,柿ノ木のある民家の庭のような所を通って日の落ちた山に入ると枯れ      葉が敷き詰められた上を踏みしめて登ったこと。      あの枯葉の感触は、何時の大晦日か?夜叉神峠の下りの時の感触と忘れられ      ないですね。 橋元さん:そうだ、その民家の右上の方に、神社のようなものがなかったっけ。 鈴木さん:僕は、神社は記憶にないですね、それよりも雲取山の登りに橋元さんについ      て行けなくて悔しかったことを思いだしますね。 後藤さん:私の記憶ではチャウと初めての山行では、ご本人の記憶はいかが? 橋元さん:そうそう、派手なカラーの軍手をしているので、そんなのしていると手が水      虫になるぞ、って冗談言った覚えがあります。 中村さん:この山行の前に善さん、尚やんと3人で鋸から甲斐齣の縦走をしたのが梓デ      ビューでした。雲取は2度目で、大人数でははじめて。      写真を見るとずいぶん天気がよかったらしいですが、記憶に残ってるのは夜      の「首締めて殺すぞ」事件と、その頃まだお酒にとっても弱かったので頭痛      で苦しみ、小屋の外に出てゲロを吐いたことと、真っ暗になった道路を痛ん      だ足を引きずって歩く河野さんのことです。      河野さんは迎えにきた車にのれましたよ。

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