やっと登れた「武尊山」・善さんに感謝
齋藤修
 どういう訳か,登りたくともなかなか登れない山という物はあるらしい。名前の由来やアプローチの関係でなかなか実現しなかった武尊山も計画5回目にして実現する事が出来た。これもすべて私の予定に合わせ休日を返上してくれた,梓の鈴木さんのご厚意による物である。梓の広場に祭日暇な人を募集するが,3日前の夜のこといるはずはないと思いきや,鈴木さんが可能性有りの即答。ご厚意に甘える事にする。
 我が家の車(山に使うというと使用禁止をすぐに言い出す妻)がつかえない,足がないので鈴木さんに家を通過してもらい出発する。わかりにくい我が家までの経路をインターネットで探り出し,到着。時は約束通りの5時半。薄暗い中を出発する。運転は慣れたもの鈴木さんが自らしてくださるというので,ナミゲーターに徹する。
 早朝なので快適に進む。山頂までの最短(時間的に)の登山口「東俣駐車場」には,8時過ぎに到着する。立派な施設,ゆったりとしたトイレに隣接した休憩場は無人であるが,綺麗に保たれている。規則違反かもしれないが,十分に仮眠・宴会が出来る場所である。身支度を整え出発する。8時20分予定通りの旅立ちである。
 車中でも時々雨が落ちてきた。3日前では本日まで晴天が維持される予定であったが,日が進むにつれ雲の気配が多くなる予報。しかし,雨の確率は非常に低いと言うことで決行したのだが,・・,快適なスタートではない。雲は重いが,ある程度の景色は確認できる。とにかくここまで来てしまえば後戻りしても徳は無い。
 標識は立派な物がつけられている。近辺にはキャンプ場があるのであろうその標識もあるが行く手の道は鎖で閉鎖されている。稜線(武尊牧場最高点)まで30分弱で登ることの出来るこのルートは,武尊の入門としてはぜっこうである。先頭を善さんに任せたおかげで,とにかく早い。あっという間に上部に達してしまう。キャンプ場にもなっているらしく,東屋などの施設が整っている。現在は休業中であろうか,冬支度になっていた。
 このあたりを三合平と言うらしい。標高1480m。武尊の標高が2158mであるから,どこを基準とした三合かは定かではない。広々とした草原上の大地。冬は穏やかな斜面を利用したファミリースキー場,初夏から秋口にかけては,放牧された牛が闊歩している。夏の最盛期はリフトも運行している要であるが,快適につけられた林道で紅葉を楽しみながら向かう今回の選択の方が正しい。
 自然の森の標識はあるが,「武尊登山口」の指示はない。木道があり方位も正しく,登山者カード入れもあったので,迷わず入山する。湿原を中心とした穏やかな稜線歩き。非常にのんびりと高度を上げていく。湿原と思われる場所はすでに草に覆われ面影しか残っていない。しかし,この山域は湧水に恵まれているのであろうか,道は所々ぬかっている。
 20分弱で,田代湿原(以前,後藤・大森氏と行って撤退した場所)から来る最初の分岐に出くわす。非常に大きな道で繋がっている。地元でつけられた標識が分岐の真ん中にある。面白いのはこの界隈でよく見かける行政(県)が設置する標識が無造作に寝かされている。善さんの説では,「ここまで運んだが立派な標識があるので置いていった」と言うことだが真意のほどは定かではない。
 やや勾配は増すが,快適な道が続く。地図では(武尊)避難小屋があるらしい。注意して見れば,右側に三角屋根の小さな建物がある。昔のタイプ(現在避難小屋は行政のテコ入れが多く,立派なものになってきている)の本当の避難小屋,内部は4畳程度。2畳強が板の間後は土間である。入り口もやっと付いているような引き戸。積極的に宿泊に利用できる施設ではない。
 このあたり全般に言えるがもう少し,行政は費用を費やすべきである。登山道のぬかるみに木道等を施さないと,自然破壊の面積は拡大されるだけであろう。標識もその上の田代湿原からの分岐以降全く付いていない。迷うことはないと言え,高齢者登山が多い昨今。安全対策としての施策も重要であろうと思う。
 樹木が多く,意外と視界は開けない。最初のうち見えていた,尾瀬岩鞍スキー場もだいぶ下の方に見えてきている。木々の間から,至仏岳・笠ヶ岳が特徴ある山容を見せ始めてくれている。最初気になっていた天候も薄日が差し込むような天候安心。ところがその瞬間雨が降り出してくる。通り雨ではあろうがなかなかの降り,善さんにお願いし木陰で休憩を取る(登り初めて1時間20分,休憩を取る気配がない。恵みの雨でもあった)。
 遅くなった朝食を簡単にとる。それにしても元気。70歳に手が届く方とは思えない。私との体重差もいつの間にか27kg。ぬかるみで善さんが踏んだ後を私が踏むと,深みにはまることしばしば。人間節制はすべきと言うことを肝に銘じる。森林限界まで間近,先ほどまで見えなかった山頂(このあたりでは沖の武尊は見えず,手前の中の岳の岩峰が確認できる)が見え隠れする。善さんはセビオス岳は通り過ぎていると言うが,地図も見ない状態での判断。相変わらず大胆かつおおらかなものである。
 多少のアップダウンを繰り返し,登り返していくと一層登山道がぬかるんでいるところがある。その上に傾斜がきついが,湿原があり不思議なところに1脚のベンチが置かれている。壮年男性が一人休憩していた。善さんが先ほど道に落ちていた帽子の話をすると持ち主らしい。小枝にかけておいたことを伝え先を急ぐ。このあたりから善さんのデジタルカメラが不調。撮影不能となる。地図で確認すれば,このあたりが「セビオス岳(1870m)」らしいが,特に標識・ピークらしいものは無かった。
 森林限界を過ぎると,大きくそびえる中の岳が目前に迫る。何せすごいハイピッチ先行していたパーティーを次々ととらえる。鎖場と言われる岩場に6人ほどのグループがへばりついていた。高度が増すと共に足元の湿気た土壌に,霜の後が確認できる。時々氷りまである。朝晩の冷え込みは冬になっているようである。眼下に見える唐松林の紅葉の後ろに見える日光白根が印象的なところでもある。
 鎖場に付けば,善さんが「足場とホールドが一緒,ベトベト」と文句を言っている。下げられている鎖・ロープも,1本はハング状のところにつけられており全く無意味。もう一本は踏みつけられているようで,泥だらけ。クレームの趣旨は理解できた。汚れていない場所を選び慎重に登る。10m弱の場所なので,苦労するところは無いが,上部が完全な氷りで覆われている。いやな場所ではある。
 上部に出られれば,そこからは快適な稜線道。しかし,中の岳はピークを巻いてるようである。至近距離から見ていると,中の岳(2144m)の方が武尊山(沖の武尊・2158m)より高く見えた。クマザサのトラバース道を数分歩けば,前穂高からの稜線道と合流する。中の岳南斜面をトラバースするように道がつけられている。途中に「笹清水」と言われる水場があるが,この時期はでていなかった。
 クマザサの根が斜めになっている道に横たわっているので,歩く場合には十分に配慮が必要な場所ある。山頂は近いのに,このあたりの道に休憩している登山者が多かった。眺めを楽しんでいるようだが私には邪魔でしかない。まして煙草を吸っている輩もいる。時代の変化に会わせて,山中も禁煙というのはいかがであろうか。息をあげている時入ってくる煙草の煙は不快そのものである。
 中のだけの最後の岩峰に「日本武尊」の像がある(善さん説)というので,楽しみにしていたが意外と小さなもの。どうしてここに置かれたのかは定かではないが,台座に多くの氏名が彫り込まれていたので,由来はあるのだろう。方向は富士山の方向を向いていたような気がするその横を登山道が通り,100m弱で山頂に到達できた(当然善さんの後を追うように・・・)。
 山頂は10m角程度の広い場所。解りやすい標識と眺望(方位)版が設置されている。山頂にはすでに10人以上の登山者がいた。前後するように数パーティーが出入りしていた。我々が歩いていた時にはほとんど会わなかっただけに,不思議な感じがする。方位版の台に大きな石が使われており,善さんは担いだと言うが,担げる大きさではなさそうであった。
 昼食は私が準備。レトルトのおでんとチャーシュー,ちくわ程度の簡単な物。それに,讃岐風うどんを作る予定である。忘れ物を発見。箸がない。善さんがフォークを持っていたのでそれで代用。私は,近くのシャクナゲの枯れ枝を工夫して仕立て上げた。何もしていない,つまみでも善さんは喜んで食べてくれた。今後はもう少し期待に応えられるようなものを準備しなければなるまい。
 1時間ほどのランチタイム。500ccのビールが3本の小宴会。雲が多くなり日差しが弱くなると山頂も非常に寒くなってきた。気温の低下と共に,薄雲に覆われているが近辺の山々は確認できるようになった。残念ながら私のデジカメではこういう風景はなかなか美味く写らない。しかし,善さんのカメラはすでに沈没。谷川岳だけが日が当たったように思えた。どうにか記録としての撮影が終了。下山を開始する。
 山は不思議なもの。同じ道を歩いているのだが,風景も全く異なって見える。特に中の岳の凹部にある湿地帯は,下りの方が美しい。でもどうしてこのような場所でこの程度の水が蓄えられているのであろうかと思うと,不思議である。このあたりを三ツ池と言われるようで,サンショウウオが生息すると言うが同然姿は確認できない。善さんはこんな場所歩いていないと言うが,1本道。必ず歩いている。
 あっという間に分岐に到着。案としてはタクシーを川場かオクナのスキー場に呼び駐車場まで向かう方法もあるが,2人の行動としては無駄が多い。復路の変化を楽しみながら,降りることにする。12時過ぎではあるが,まだ登って来る登山者も多い。山中では宿泊が出来ない山。どうも行動が判らない(我々もそうか)グループが多い。笹のトラバース道も日が当たり始め快適。裾野の唐松林を輝かせていた。
 鎖(ロープ)場も氷が溶け始めていた。一層グジュグジュしているが,選ぶことは出来ない。手の汚れを我慢し一気に降りる。何せ下山も早い。どんどん高度を下げている。相変わらずぬかるみも飛び跳ねるように進んでいく。足を取られる私は遅れることとなる。体重ばかりの差ではないようである。行きに見た避難小屋を通過しても止まらない。すでに穏やかな稜線になってきている。「もう半分は来た」という一言。すでに3/4は降りている。「じゃ休まないで降りる」。すべてがこの調子。休憩を所望する。
 木道が出始め,すぐに湿原。善さんは初めてここの快適な休憩場所を確認したらしい。『梓の絶好の宴会場』と命名。登山口までは少しのアップダウンで到着。少しでも道を変えようと,迂回路を選択。逆にこの方が近かった。春にはツツジで満開になると言う高原。白樺林とすばらしい姿を演出してくれる場所なのだろう。あとは,駐車場までの道をたどればよい。
メンバー:鈴木善三・齋藤修
平成17年11月3日(木・祭)
武尊牧場スキー場8:20―三合平―武尊避難小屋―セビオス岳1870m―中ノ岳2144m(南面)―10:55武尊山11:55−セビオス岳1870m−武尊避難小屋―三合平―武尊牧場スキー場14:05
登頂開始8:20,10:55山頂11:55,下山14:05
登り2時間35分,下り2時間10分。
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