水ノ塔山・篭ノ塔山

             橋元 武雄 '04/06/25

                   Photo by Zenzo Suzuki,Teiko Nakamura
                                                                                                        & Fumiaki Gotoh



  篭ノ塔山から水ノ塔山を望む

2004年6月19日 土曜日

晴れ。 6時過ぎに起床。 鈴木車で鈴木、大森来宅。 デリカに乗り換え南浦和で7時半にチャウをひろう。外環、関越の乗換が少し混んだだ けで、関越はすいすい。予定より早く9時15分頃に、横川SAで、田中車の冨山、後藤、 金谷と合流。

小諸インターで降りて高峰高原へ。積雪期の黒斑山以来の山道を走って、見覚えのある 車坂峠へ10時半着。そこで今日のコースを検討する。結論として、高峯温泉を起点とし 東篭ノ登まで縦走し池ノ平へ降りて高峯温泉まで戻る周回コースと決まった。大勢は高 峯温泉から縦走して東篭ノ登山を目指すが、冨山、後藤組は池ノ平まで車で送ってもら い東篭ノ登山へ直行する。デリカ、田中車の2台は池ノ平まで両氏を送り、そこにデリ カを残してドライバーは田中車で高峯温泉へ戻り先行隊を追う、こととなった。

10時50分、先発隊、高峯温泉出発。縦走路は、登山道というにはあまりになだらかで、 高原の散歩に等しかった。梅雨時だというのに晴天はよかったが、だいぶ雨が降ってい ないようで登山道は乾燥して歩くとほこりがたった。しかし、高山植物は予想外に豊富 で、いろいろと楽しむことができた。イワカガミ、マイヅルソウ、コケモモ、ツマトリ ソウ、クロマメノキ、ツバメオモト、ウラジロヨウラク、レンゲイワヤナギ、ツガザク ラ、キバナノコマノツメ、ミツバオウレン、ウスノキなど。


 ツバメオモト

 ハクサンチドリ

 もうすぐ水ノ塔山

 コマクサ

われわれがまだ水ノ塔山へ達しない11時45分頃に後藤さんから電話があり、もう東篭ノ 登へ到着したとのこと。遙かにその山頂を望むとわずかに人影が見えたが、それが後藤 さんかどうかはさだかでない。数分後に水ノ塔山に到着。山頂はアスナロ、コメツガ、 ハクサンシャクナゲなどの灌木に周囲を囲まれている。先行した団体が昼食をとってい た。

さほど息も弾まない山道なので、近頃、還暦記念に憶えた白楽天の長恨歌、七言120行を 暗唱してみる。玄宗帝の寵愛をほしいままにした楊貴妃が、安禄山の乱によって長安を 追われ、逃げ延びる途次、皇軍にも見放されてなすすべもなく、帝の馬前に扼殺される。 それを悲しむ玄宗の以後の思いを綿々とつづった詩である。長恨歌の名前だけはあまり に有名だったが中身は知らなかったので、一念発起憶えてみた。流石に長くて、ものに するのにひと月ほどかかったが、最近やっと滑らかに口をついて出るようになった。ま だ講談師のように立て板に水とはいかないが。長恨歌をぶつぶつ唱えながら歩いている うちに、前を歩いていた金谷氏が突発性の痛風に見舞われる。それも、下山する頃には 引っ込んだようで、こないだの八甲田の我が身を思い出して他人事ではない。

長恨歌の最後の2行を唱えていると、耳ざとく大森氏が聞きつけ、何で今頃長恨歌かと いう顔。これこれ、こうだと話すと。いまさら無駄だから止めとけ、般若心経でも憶え た方がましだという。益なきは、はなから承知。以前にも書いたように、漢詩を暗唱す るのは、こちらにとっては、カラオケの好きなひとが歌を謡うのと同断である。長恨歌 の一節など、何度唱えても背筋がぞくぞくするほどの魅力がある。お経でぞくぞくした ら、もうおしまいである。それに、般若心経は後藤さんのテリトリーだ。


 はるかに浅間山の輪郭が

 池の平を望む

 冨山画伯

 

12時半、冨山、後藤さんの待つ東篭ノ登山2,228メーターへ到着。冨山さんはスケッチに 専心し、後藤さんはわれわれを迎えてスナップに余念ない。山頂は岩がむき出しになっ ているが周囲は草原状で、矮小化したカラマツ、ダケカンバ、ハクサンシャクナゲが散 在する。眺望は雄大で、東をふり返ると黒斑山の背後に浅間山の輪郭が望まれ、北側に は吾妻渓谷に沿って開けた嬬恋村が、南側には千曲川に沿った佐久平が展開している。 縱走を続ければ西篭の登山だが、今日はここまで。すぐ南の足元にはこれから下りる池 ノ平の湿原と駐車場が見える。


 つぎつぎ到着

 なにか楽しそうな田中さん

 山頂の乾杯の無いのもめずらしい

 ムム、金谷さんだけは・・・

東篭ノ登山で行動食をとり、12時43分、池ノ平を目指す。この下山道の路傍もなかなか 美しい。坪庭のような草地には、コケモモ、クロマメ、コメツガ、イワカガミなど背の 低い植物が花を着け、ウスノキ、コメツガ、カラマツ、ダケカンバ、ヒメコマツなどの 灌木が散在している。とりわけカラマツの緑がみずみずしい。丈の低い針葉樹林の下生 えにマイヅルソウが密生している。マイヅルソウの小さな群落を後藤さんが撮影してい たとき、ふとその奥を見ると見慣れないランがひと株だけ咲いていた。持参した夏の花 の図鑑を見たがラン科には該当するものはなかった。しばらく下ってゆくうちに、もし かしてこれは春の花の図鑑に載っているのではと思いつき、立ち止まって開いてみたら、 あった。イチヨウラン一葉蘭だった。そのあと、同じような植性のところで目をこらし たが、ついに見かけなかった。

13時20分。池ノ平の駐車場到着。指導員詰め所やトイレなどの施設のある一画のかたわ らに、いかにもピクニックで弁当を広げるにふさわしい緑陰の草地がある。そこで、プ チ宴会。チャウの仕入れたツマミで軽く一杯となる。たっぷり氷をぶち込んだクーラー でビールは冷えすぎるほど冷えている。それに赤のワインが3本。金谷氏は孤独にアメ リカワイン不買運動中とはいえ、持参のワインのあまりの不味さに閉口してこちらのカ リフォルニアワインに手を伸ばす。


 緑陰の草地でプチ宴会

 すっかりリラックス

そのあと、有志は池ノ平を散策。池ノ平は、カルデラ湖の水が引いて湿原となったらし いが、いつの頃かカルデラの南側が崩壊して水位が下がって乾燥化した(と見たが?)。 一部に池溏が残っているが、いまでは湿原というよりササが卓越した草原となっている。 尾瀬でいうと、見晴らしから温泉小屋へかけての燧岳裾野に似た状況だ。これを湿原と いうのはちょっと苦しい。湿原付きの笹ヶ原といったところか。

池ノ平のを横断した南東の奥にその名もコマクサ岳があり、その裾野にコマクサの自生 地があるというのでいってみた。頑丈な防護柵に守られ、柵の一部に撮影用の窓まであ って興趣を削ぐ(あとでガイドマップを見るとコマクサ園となっていた)。ひさびさに シロバナのコマクサが目に飛び込んできたくらいで、あとはなんということはない。ど うやら車で来て少し歩けば手軽にコマクサを見ることのできる場所として有名らしい。 柵のこちら側の草群に、まだ咲き立てのハクサンチドリの濃い紫が新鮮だった。


 池の平

 コマクサ

 ツマトリソウ

 ハクサンチドリ

14時8分、池ノ平を出発。高峯温泉で田中車へ分散し、望月町布施へ向かう。途中、17 時半頃、スーパーえちご屋へ寄って買い出し。隣に酒のディスカウントショップがある ので、日本酒はともかく、ビールは買っていく必要はないかもしれない。

18時山荘到着。前回のように小屋中虫だらけということはなかったので、すんなりと居 住空間が整う。はじめガスが着かず、元栓の開け方で少しとまどったが、何のことはな いレンジの下の栓だけが閉めてあり、屋外の元栓は閉めてなかった。結局、最新式のレ ンジの点火方法を間違えて火が点かなかったのが混乱のもと。いや、お恥ずかしい。う ちのレンジは、捻るとカチカチいって火の点くのが一台、もう一台はチャッカマンがな いと火も点かない代物である。その手癖が判断を妨げた。なお、ここの給湯システムは、 風呂が湯元になっていて、風呂場の給湯器を点火すれば家中の温水栓が使える。二階の シャワーも同じだった。ぼくはシャワーですませ、金谷氏は午睡、みなは汗を流しに布 施温泉へ。

宴会は、何を話したのか皆目憶えていないが、例によって楽しくわいわいと過ごす。そ ういえば、八甲田で偏西風の成因について、地球は東に向かって回転しているのになぜ 偏西風が吹くのかと善さん独特の鋭いつっこみがあり、調べておいたのだが、説明する どころではなかった。それと、修学院、桂離宮の見学はこのとき出たのだったか、どう せなら、西本願寺の飛雲閣もいいなあ。最後はソウメンで締めた。最初のソウメンが少 し茹ですぎだったので、もう少し硬くと後藤さんにお願いして、しこしこしたソウメン をたっぷり食べて、宴会終了。

2004年6月20日 日曜日

晴れ。 ニラの黄身和えとオムレツで軽く朝食。掃除を済ませ、川喜多山荘をあとにする。 早速、昼食はどこでということになり、それなら小諸の藤船のウナギにしようとなった。 しかし、携帯が繋がらない(帰宅して念のためネットでチェックしたところ一件だけヒ ット。市外局番の末尾が1違っていた。失礼しました)。諦めて、近場の観光地という ことで、後藤さんが以前行ったことがあるという布引観音へ向かった。 布引観音は、その名の通り布引町にあり、千曲川の削り残した河岸段丘の段丘崖の上部 にある。参道は千曲川沿いの道路から、段丘崖の割れ目を縫ってジグザグに登高する。 そそり立つ岩と鬱蒼として樹木に囲まれて森閑とした風情である。普通の観光地と違っ て、あまりひとの通りはない。最初に、耶馬渓に比肩するという布引二段の滝が現れる。 しかし、これでは耶馬渓どころか、子犬のションベン滝がいいところである。途中、何 ヶ所か同様の見所があり、参道は延々と登高を続ける。

もうそろそろというあたりに山門があったが、これがそっぽを向いている。山門の向こ うは行き止まりで、仕切の奥には急峻な崖に刻まれた階段が薮に消えていた。あとで気 付いたが、これが本来の山門で、あまりの傾斜で危険なために閉鎖したものらしい。山 門の傍らを過ぎるとすぐに、小さな門があって布引観音の境内に至る。だらだら登った せいもあるが20分ほどかかった。入ってすぐの社務所のような建物に、天台宗総本山比 叡山延暦寺直末布引山釈尊寺とあった。観音が本尊で釈尊寺とは釈然としないが、まい いか。解説には、宮殿と観音堂は鎌倉時代の様式を残し、旧国宝、現重文とある。根岸 神社相当の扱いだ。まあこれで十分といったところか。この時点では神域の全体像が見 えていなかったのだが、どうやらこの門を入った辺りが末端で、そこから崖の中腹に開 けた狭い平地にわずかの建物があり、その先端に崖の岩をくり抜いて朱塗りの観音堂が ある。色は別として、崖をえぐった建物の配置は、鳥取三朝の国宝投げ入れ堂を思わせ る。あちらはたしか着色はなかったが、剥落したか。この観音堂の真下に、先ほどの廃 止された参道と山門がある。 観音堂の前面はネットで覆われて内部は見にくかったが、ネットからのぞきこむように して金色の仏像を見ることができた。お堂全体が舞台に乗ったようになっていて、そ こから千曲川方面を望むことができる。


 山門

 観音堂入口

 布引観音堂(重文)

 ひっそりとおわす如来

観音堂の奥に暗がりがあり、例によって胎内潜りかと少し入ってみると、堂の裏を回り 込むのではなく、岩を窓のようにくり抜いた通路が崖にそって伸びていた。そこをくぐ ってしまったのが運の尽きだった。そこそこのところで、一巡して元のお堂へ戻るのか と思いきや、延々と登りが続く。昔は修行道だったのではないかとおもうほど急な登り で、先ほどまでの参道とは違い、一転周辺は開けて明るく、踏み跡は崖の表面を辿って ゆく。このころには気温も相当上がり、登山の用意などしていないので、流れる汗を手 で拭っては払うようだった。足元がしっかりしているからいいようなものの山道として も結構厳しい。いつまでたっても登りは果てるともしれず、途中、素晴らしい見晴台が あって、千曲川、小諸の町並み、昨日登った高峰高原から浅間方面を一望することがき る。結局、追い立てられるように最後まで登って山頂へ至る。多分、段丘崖の入り組ん だ突端の一ピークなのだろう。昔はお堂があったのか、八角形?の礎石が残って、中央 にケルン様に石が積んであった。山頂からは、下山道の標識に従って下る。山道は境内 の上部を山腹を絡むように一巡し、断崖丘の上部から侵入する車道へ出る。車道を下る と、さきほどの小さな門へ出た。最初から、これだけの登りがあると知れば、この観音 を目指すことはなかったろうが、頭から決め込んでいた通常観光地とは異なり、寺社本 来の風情を残すよい観音であった。下まで戻って改めて看板を見ると、厳しい参道で怪 我をするやも知れず、それなりに覚悟して参拝せいという旨の注意書きがあった。


 見晴らし台からの眺め

 展望のない頂上

さて小諸はだめとなったので、では、望月へ戻ってあけぼの屋のウナギにしょうとなる。 大森氏が携帯すると昼は2時まで。もう20分ほどしかない。いま布引にいることを告げ ると、すぐに来られるなら開けて待つとのこと。あけぼの屋、常連の川喜多氏の名前を 出してダメを押し、急ぎ来た道を引き返して、めでたく昼食にありつく。去年の志賀の 帰りに来たときには車酔いで、たどりつくなり小上がりに横になってしまい、しばらく は食事どころではなかった。冷や奴にウナギの白焼きと蒲焼き、最後はソバで仕上げ。 ここの奥さんは、男っぽい美人であるが、愛想はよく応対もてきぱきとしている。ウナ ギそれなり、そばそれなりで、ツマミの種類も多くはないが、気分はよい。最後は、無 愛想でめったに口も利かないが、川喜多氏とはめっぽう馬が合うという御主人まで出て 来ての見送りであった。2時少し前にあけぼの屋に着いて、あがりは3時半。たっぷり 1時間半居たことになる。

帰りがけにあけぼの屋の位置が明確にわかった。この店を右へ出るとすぐに丁字路に行 き当たり、その信号が「望月」。ということは、ほとんど望月宿の中心だ。いままで、 あれこれ分かりにくいようだったが、これで間違えようはない。あとで地図を調べると、 佐久からの往復に通っている国道142号と並行してもう一本県道(国道の旧道か?)があ り、望月の信号をどちらへいっても国道へ出る。左折して佐久方向へ行けばトンネルを くぐって斜めに国道へ合流し、そのすぐ先に布施の信号がある。右折すれ左へ回り込む ようにして、ばほどなく信号で国道と交差する。この交差点が、何度も買い出しに通っ ている142号のトンネルをスーパー方向へ出てすぐの信号だ。

帰りは善さんの運転で、まず佐久平でゴミを下ろし、ひたすら高速を急ぐ。途中、乗用 車同士の事故があって1時間ほど渋滞に巻き込まれたが、それ以外では混雑はほとんど なく順調に帰路をたどった。南浦和で冨山さんらを降ろし、らくだ坂帰宅は8時少し前 だった。 善さんは、それからもうひと運転。お疲れ様でした。

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