早月尾根は、40年以上前からの懸案だった。当時、慶応アルペンフェライン(KAV)の小川、寺岡の
両君に連れられて、黒四ダムから下ノ廊下を阿曽原まで下り、池の平に登り返して剱沢から源次郎尾
根を詰めて剱岳に登った(頂上での写真を見ると顔がむくみ、多少は山慣れていたとはいえ現役学生
との行動はかなりハードだった)のだが、そのときの寺岡君の、「これから標高差2200mを一気に下
るんですよ」という気負った言葉が耳に残っている。2人とは剱の頂上で別れ、当方は雷鳥平でツェ
ルトを張ってゆっくり疲れをいやした。
今回は佐久でソバの種をまいた後(ソバ栽培は今年で18年目だ)、念願の早月尾根から剱岳に登って
みようという計画である。
***
振り返る早月尾根(小屋が見える)
4日(火)晴れて猛暑
前夜、夕食が終わった後、集落でただ1軒のカラオケスナックに繰り出したのがいけなかった。深
夜まで盛り上がって焼酎を飲み過ぎ、今朝は体調がよくない。さてどうするか、ずいぶん迷ったが、
天気は安定しているし、この機会を逃したらチャンスはもうないかもしれないと思い、とにかく行っ
てみることにした。
11:00ソバ栽培の拠点となっている川喜多さんの別荘(はしばみ山荘)を出発。しばらくは千曲川沿
いに一般道を走って様子を見たうえで、坂城ICから高速へ。上信越道も北陸道もきわめて順調で、16
:00には滑川ICに到着した(魚津ICで下りるのが正解かもしれない)。ICから馬場島までの道すがら冷
えたビールを買うつもりだったが、コンビニはおろか1軒の店も見当たらなかった。
馬場島(剱岳青少年旅行村)到着16:40。泊まる予定のキャンプ場は標高750mの谷あいに開けた広場
で、心地よく整備されている。アスファルト舗装の無料駐車場を避け、川(早月川の支流?)に近い
草地に車を止める。
馬場島荘(上市町営の宿泊・管理施設)に行ってビールを買い、何はともあれ乾杯。ツマミは鶏カラ
と焼き鯖寿司だ。しかしやがて、アブをはじめ数種の羽虫が襲来。蚊取り線香を3つに折ってすべて
に火を点けるトリプル作戦で、やっと攻撃を退ける。もっとも、19:00を過ぎて陽が落ちると帰艦命
令が下ったらしく、全機ことごとく姿を消した。
5日(水)今日も晴れ
あたりが明るいと思ったら、すでに4:30を回っていた。周囲もボチボチ動きはじめたようだ。準備
を整え、5:30に出発する。登山道入り口からいきなりの急登で、しかもアブがものすごい。むき出し
の腕や首筋を絶え間なく襲ってくる。
悪戦苦闘すること約20分、傾斜が緩くなるころには、ようやく猛攻もやんだ。しばらくはなだらか
な気持ちのいい道が続き、6:15、標高1000m地点の見晴らし台のベンチで休憩。遠くの沢には雪が残
り、本峰は(たぶん)望めないが、大窓、小窓ははっきり見える。おそらく登山者のためというより、
手軽に剱の姿を見たい人向けにつくった展望台だろう。
スギの巨木(なぜか目立つのはヒノキやクロベではなくスギだ)が連続する道をしばらく行くと、ま
たもや急な登りが始まる。風がなく、暑い。喘ぎあえぎ高度を稼ぎ、1300m地点で休憩。川を隔てて
遠くにそびえているのは、これも懸案の大日岳、奥大日岳の峰々だろう。
スギの巨木
このルートには標高200mごとに金属プレートの立派な道標が設置されているが、1600m(地図では
1550m)を過ぎたころ、突然、左足太ももの裏側(大腿二頭筋?)が痙攣を起こした。しばらくは騙
しだまし歩いていたが、今度は右足。気がつけば、ズボンもびしょ濡れになるほどの汗をかいていて、
明らかな脱水状態である。
万事休す、これでは立ってもいられない。出がけに作ったポカリスエットをガブ飲みし、入念にマ
ッサージをしながら40分近く休憩する。しかし、体温が下がって痙攣は治まったものの、決して万全
とはいえない。
考えた末にザックからテント(1人用だが古いので重量は2.8s、最近の製品はその半分だ)、寝袋、
マット、それに水2g(テント場に水はないと聞いて背負ってきた)を取り出し、大きなポリ袋にく
るんで林の中に隠す。小屋に泊まるのは不本意だが、これでずいぶん荷が軽くなった。
その後はゆっくり、慎重に歩を進める。1920mの三角点を過ぎるころから、やっと花が出てきた。
キヌガサソウ、マイヅルソウ、ゴゼンタチバナ、コバイケイソウなどだ。
12:15意外に早く、早月小屋(かつての伝蔵小屋)に到着。素泊まりの代金6500円を払い、
水(2gのペットボトルで900円)を買う。ずいぶんと高いが、ヘリコプターで荷揚げしたと聞けば納
得するしかない。小屋の中は比較的きれいで、寝具もよく手入れされて清潔だ。ただ、最近の山小屋
のような「営業努力」は感じられず、どことなくボランティア感が漂う。
割り当てられた部屋にとりあえず寝床は確保したが、その後が長かった。小屋の周辺を歩いてはみ
たものの(テントは1張のみ)、ほかにすることもない。15:00には外のテーブルに陣取って飲みは
じめ、17:00前には夕食も終えてしまったので、あとは寝るだけ。遠く雷鳴は聞こえるが、降りそう
にはない。
6日(木)またもや晴れ
3:30起床。必要装備と食料をサブザックに詰め、4:00、暗い中を歩きはじめる。小屋のすぐ横か
ら、林の中の急な登りだ。慎重かつゆっくりしたペースで登り、40分ほどで樹林帯を抜けた所でヘッ
ドランプを外す。やがて道は岩尾根に変わり、右手奥には薬師岳が姿を現した。行く手には、剱岳の
峩々たる山稜が迫っている。
北方稜線の連なり
5:30標高2600m地点の開けた尾根で大休止し、朝食。消え残った雪の際には、一面に花畑が広がっ
ている。だがなぜか、定番であるはずのハクサンフウロなど、赤色系の花が見当たらない。カメラ片
手に写真を撮りながら、7:10剱本峰直下の鎖場(カニのハサミと呼ぶらしい)の前で休憩。ここから
先は、ホールドもスタンスもしっかりした快適な(でも苦しい)岩稜歩きが続く。
山頂で
7:50剱岳山頂(2999m)に到着。晴れて素晴らしい天気だが、風はほとんどない。薬師から槍・穂
高、後立山連峰から富山湾と、360度すべてが展望できる。だが立山側からどんどん人が登ってきて、
しだいに静寂が破られていく。
8:15下りにかかり、9:30、2600m地点まで戻る。陽が高くなるとともに暑さが増し、汗が噴き出
してきた。雪渓の雪をかき集めてタオルを濡らし、上半身を拭く。そうしている間にも脱いだ肌着が
乾くほど、強烈な日差しだ。
室堂から薬師を望む
10:50早月小屋に帰着。パッキングをやり直して食事をとり、11:20小屋を出発。1800m地点でひ
と休みし、さらに下って、デポしておいた幕営装備を回収する。ここまでは比較的快調に歩いてこら
れた。
ところが荷物が重くなり、高度が下がるとともに暑さが体にこたえ、動きが鈍くなる。頭がボーっ
として、まるで、話に聞く熱中症のようだ。大きなスギの木(幹からイタヤカエデが枝を伸ばしてい
た)の下にサブザックと雨合羽を広げ、しばし横になることにする。これで果たして、馬場島荘の風
呂(入場は16:30まで)に入れるのだろうか。汗と埃を洗い流し、明日はさっぱりした気分で家路に
つきたいのだが……。