橋元武雄 冨山八十八 2011年10月8日

                       Photo by T.Nakamura, Z.Suzuki
                          & T.Omori,T.Hashimoto,F.Gotoh
                            Sketch by Y.Tomiyama


『その2』 2011年9月24日(土曜日)  山行組    九重連山、中岳登頂  散策組    小国町  少し雲は多いがよいお天気だ。 今日は九重縦走組(鈴木、大森、中村、橋元)と 散策組(冨山、後藤、高橋、田中)に分かれた。 山荘で朝食を済ませ、両グループともまずは長者原を目指した。 散策組も長者原からの九重の景観は見ておこうということだ。

九重連山、中岳登頂  長者原(ちょうじゃばる)(9:30)について驚いたのは結構な観光地であったこと。もう少し鄙びたところと勝手 に思い込んでいたが、九重の山並を背景に、広い駐車場、キャンプ施設、宿泊施設からヘルスセ ンター、ビジターセンターまで揃っている。この辺りは歩いたことのあるカメちゃんがいないの で、まずは案内を乞おうとビジターセンターへ向かった。大森氏が、中岳に登り坊ヶツルを経て 長者原へ戻るもっとも容易なルートはどこかと訊ね、係のお兄さんから丁寧に説明を受けた。昨 夜の宴会中に翌日のルートを検討していたとき、中岳は九州の最高峰だとわかり登山目標はこれ、 さらに山屋の歌に名高い坊ヶツルも欠かせないと一決していた。お兄さんの話では、バスで牧ノ 戸峠まで行って、そこから縦走すれば長者原から出るより300mは標高を稼げるという。しかも、 日に何本もないバスがあと15分ほどであるというので願ったり叶ったり。このコースは牧ノ戸峠 から中岳へほぼ西→東へ辿り、さら中岳の北東に位置する坊ヶツルへ下り、長者原と中岳の中間 にある三俣山の裾野を巻いて長者原へ戻る。ただし、お兄さんは、中岳→坊ヶツルの最短ルート は土石流で何度も流されて迷いやすいので入らないで欲しいという。まあ山慣れない人への忠言 だろうが、「君が生まれる前から山を歩いているんだ」などと、はしたないことは言わない。 “分かりました”と素直に返事をしておいた。


 あぁ、山が呼んでいる(G)

 牧ノ戸峠へのバスを待つ(長者原)(O)

 牧ノ戸登山口(赤い帽子はよく似合う)(G)

 待望の久住登山(N)

バスを待っていると、車を長者原に置いて牧ノ戸峠から縦走するらしい人で結構一杯になった。 いい年配だが、びしっと山のスタイルを決めて格好のいい山屋も数人いた。われわれのように、 てんでんばらばら、なかには赤帽アフガン難民スタイルがいるのとは訳が違う。九州横断バスと いう仰々しい名前のバスに15分ほど乗って牧ノ戸峠で降りる(10:00)。峠にも土産物屋か案内 所の建物があり登山客で賑わっている。わが散策組の車もここからの景観を狙ってか峠に姿を見 せている。手を振って挨拶を交わして、簡易舗装された広くてなだらかな登山道を行く。ひとし きり登って亭のある展望台へ出る。行く手の右に見えるのが星生山(ほっしょうざん)らしい。 この時点ではまだ気付かなかったがGPSロガーに登録しておいた山の位置がでたらめだった。今回、 位置を座標で入れずに付属ソフトに表示されるGoogleマップをピックして入力したのだが、これ が失敗だった。地図の縮尺が大きいと大幅に誤差が出る。面倒でも国土地理院の閲覧サービスで 座標を拾うのが一番のようだ。途中、沓掛山を踏んだのか巻いたのかよくわからないが、山々に 囲まれた広い高原地帯を縫って登山道は西へ進む。長者原のバス停にいた、格好のいい連中はい っこうに追いついてこない。こっちはビスタリー、ビスタリーなのだが、彼らはまさに本から抜 け出したばかりで、歩くことは慣れていないようだ


 ゆったりとした気分で(S)

 リンドウの群落(N)

 フクオウソウ(N)

 クローズアップリンドウ(S)

 山道というより草原の散歩道といった感じでのんびり花や景色を見ながら歩く。花はそう多く なかったが、葉はカジカエデに似た切れ込みがあり、ダンドボロギクのような筒状の花を下向き に着ける見たことのないキク科の草がたくさんあった。あとで調べるとフクオウソウという(三 重県の福王山由来)。また、大森氏が珍しいフウロソウがあると気付いたものは、どうやらツク シフウロ(築紫風露)だ。同じ科のゲンノショウコとよく似ている。一番さかりで花の見頃だっ たのはリンドウだった。何リンドウか調べてみたが、ただのリンドウのようである。

 星生山と久住山の間のコルを過ぎると久住分かれの広場と避難小屋が見え、登山客で大賑わい である(11:50)。だらだらと続くので山らしい苦しい登りはないが時間だけはかかっている。善 さんが、登山地図の所要時間を見て、九州の人はえらく健脚らしいなどと冗談をいう。盆地状の この広場を過ぎてまた丘を越すと御池が見え、このころにはそろそろ昼のプチ宴会が頭をよぎる。 もう12時を回っているので無理もない。池の周囲には三々五々昼食を楽しむパーティの姿が見ら れる。池を右手から巻くと、さらに右奥の丘の上に岩組の避難小屋が見える。これまであれが中 岳だ、これが中岳だといっては違ってきたが、ついにこの辺りで本当の中岳のピークが分かった 。見えてはいたのだが、どれがどれやら特定できなかったのだ。この辺りは多数の火山が次々に 噴火しては冷え固まった凸凹の地形で、はじめてではなかなか判断できない。


 星生山から三俣山への稜線(N)

 久住分かれを過ぎて御池への登り(N)

 御池から稜線の向こうに中岳を望む(N)

 御池の畔を行く(S)

 中岳へのコースを取ると人数はだいぶ少なくなり、あっけなく山頂へ着いた。狭い山頂は人で あふれている(12:30)。中岳の標識を入れて写真を撮ろうとしていると、カメラを手に順番待ち 顔の人がいたので、全員の揃った写真を撮ってもらった。山頂は込みすぎてプチ宴会の気分にな らない。さっきの御池へ戻るか、先へ進んで下に見える草原にするか、判断を迫られた。山頂ま でくると坊ヶツルを見下ろすことができる。行く手の草原へ下りれば、ビジターセンターのお兄 さんに封じられたコースへ進むことになる。その草原から坊ヶツルへのルートは森に隠れて見え ないが、ざっと見たところそれほど困難なルートとも思えない。草原へ下って坊ヶツルへの分岐 で昼食(12:50〜)とすることになった。


 眼下に坊がツルを望む(中岳)(O)

 中岳山頂勢揃い(N)

 ワイン2本とパン類に缶詰。駄菓子のように甘い九州のパンにオイルサーディンやツナを載せて もワインはすすまない。重くなっても冷やしたビールをなんとかすべきであった。それにしても、 九州の食いものは甘い。パンに限らず塩味が薄いのではなく、砂糖が甘いのである。ま、ビール がないことに八つ当たりしても仕方ないが。


 坊がツルへの分岐でプチ宴会(H)

 坊ガツルへの下り(H)

 坊ヶツルへのルートは沢通しに下る。歩き出してすぐに環境省の、このルートはご遠慮くださ いという掲示があった。“遠慮”とはなにか?進入禁止ではないのか? 最近よく話題になる「官 僚的な語彙」を忖度すれば at your risk ということらしい。迷いやすいが自己責任で通りたけ れば妨げないということだろう。だったらそう書けばいいものを、自分の責任を逃れつつ反論を 避けるために、当事者の決断に委ねることすら明言しないこの物言いに腹が立つ。

 土石流があったかどうかは別にして、沢に絡む道が迷いやすいのは確かだ。この手の道は、歩 きやすい部分は沢を利用しているが、滝が出てくると岸を巻く。この切り替えを見損なって沢伝 いに進んで遭難することはよくある。そうした場所は何カ所かあったが、山を歩き慣れていれば 判断に難しいところはなかった。しかし、大きな石の点在する沢は歩きにくいことは間違いない。 平らな道ではないから、一歩一歩がバランスの保持を要する。これがなんとも苦手なのは金谷氏 だ。後から拝見するに、次の一歩へ脚を踏み出したときに、その先が平地でない場合、足裏をフ ラットに着地することが困難を極めるようなのだ。だから、岩の斜面で足を踏みしめようとする と、ずるっと滑ってバランスを崩して手を付く。立ち上がろうとするとこんどは軸足が滑って反 対側に手を付くといったふうで、普通の人が一歩進むあいだに、五体を満遍なく駆使することに なる。これが下りのあいだ間断なく続くのだから恐ろしい重労働に違いない。それにもめげず、 立ち止まることもなく歩きつづける、このものすごい体力には感服あるのみ。


 中岳から下って平地に出たところ(S)

 法華院温泉、うしろは三俣山(H)

 沢筋を離れてしばらく北へトラバースすると坊ヶツルの草原が見えるようになる。やがて何棟 か茶色の新しい建物が見えてくる。それが法華院温泉である。あとで尚やんの説明を聞いたとこ ろでは、坊とはこの法華院のことで、ツルとは湿地のことだそうだ。昔はこの温泉が修行?の場 だったのかもしれない。下山路は温泉の中へは入らず湿原へ下る。一部で工事をしているようで 落ち着かなかったが、ここで一泊するのも悪くない。この時期の坊ヶツルは一面の薄野で、その 中央を舗装道路のような登山道が延びている。尾瀬のような湿原のイメージとも「坊ヶツル賛歌」 のメロディーの印象ともまるで違う。正直なところ、いささかがっかりした。

 坊ヶツルを半分ほど進んだところで長者原への登りが分岐する。この辺りは九州自然歩道の一 部になっているらしく、それなりに整備が進んでいる。まったく同じ規格の立派な看板が繰り返 しでてくるのだが、「坊ヶツル←→長者原」とある以外は何の情報も示していない。またしても 役人のおざなり仕事が見え透いて腹が立つ、とはチャウの言である。このルートの登りが終わる ころにマツムシソウやママコナなどの花が現れてくると、雨ヶ池越の湿原に出会う。乗越に池が あるのでその名があるのだろう。小規模ではあったが、ここはなかなかよい。なかでも印象的だ ったのは、その雨ヶ池の一面にラッキョウのような紫の花が咲いていたことだ。実は牧ノ戸峠か らの登りでも1株だけ咲いていて、写真を撮っていたが、それが池の中に群落をなしているとは思 いがけなかった。近くにいた、いかにもインテリ風の男性がヤマラッキョウですと問わず語りに 教えてくれた。通年池の状態ならラッキョウは生育しないはずだが、雨ヶ池の名前のように雨量 によって池ができるのかもしれない。Webの写真をチェックしてみると、水のない状態で満開のヤ マラッキョウが群生しているものがあった。


 雨ヶ池越の湿原(S)

 ヤマラッキョウ(O)

 気持ちの良い木道が続く(N)

 長者原駐車場から(さあ帰ろう)(S)

 雨ヶ池越でしばし気分をよくしたが、まただらだらとした下りになった。長者原への下りにな ると急に整備も悪くなり、また赤帽タリバン氏の苦難が始まった。法華院温泉から長者原までは 5キロほどのはずなのだが、それにしてはこのルートは長かった。もうそろそろ終わりになるころ、 自然観察のために樹木に名札が掛けてあるようになる。樹木の名前は覚えていても、新たに同定 するだけの情報を記憶するのはもう難しいかもしれないと思いつつもカナクギノキなどとあると 写真を撮ってしまう。なかでもミズメが数本あったことは記念になる。これぞわが会名「梓」の 別称である。これで梓を見たのは3度目か。1度目は丹沢、2度目は日だまりの三頭山(このと きの標記はヨグソミネバリ、これも梓の別称)である。いまだにこの木を見てぱっと判断するこ とができない。丹沢のときだけは自分で樹皮の香り(サリチル酸、いわゆるサロメチール香)を 嗅いで確認した。気付かずにいろいろなところで出会っているかもしれないのだが。そうこうす るうちに森を抜けて一面にススキの生えた草原へでた。長者原だ(17:05)。

 今日は夕食の買い出しは観光組に頼んであるので、あとは帰るだけ。来るときは山越えの最短 距離(県道880)を来たが、相当な山道で時間的には早くなかった。そこで、帰りは九酔渓方面を 回って戻ることになる(県道40号)。途中、“夢の大吊り橋”の看板があり、どんなもんかと駐 車場まで入ってみたが、ただ歩行者用の吊り橋を渡るだけだというので、やめにした。

 山荘へ戻ればもう後藤さんの手で夕餉の支度はできている。早速、温泉に入って汗を流せば、 あとは宴会が始まるのみである。いつものように賑やかな談笑がはじまり、往時のような勢いこ そないが楽しく時間が過ぎてゆく。

散策組(冨山、後藤、高橋、田中) −この項執筆:冨山八十八−  坊がつる登山口で登山組と別れわれわれは小国町散策に高原を下りた。道中、阿蘇連山が眺め られる。峨々とした特異な山容は根子岳とわかる。その隣が中岳だろう。展望台前で停車して少 し離れた展望台へ行っているときに、登山組が通過して山へ向かっていった。  展望台から小国町まで数多くの温泉を通過して町に着き「道の駅」2階の案内所で訪ねる先を訊 ね、先ずは坂本善三美術館へ行く。道端に「馬刺し」の専門店を見つける。ここは最終日の宴会 で馬刺しを仕入れることになる。


 坂本善三美術館(G)

 うなぎ「近江屋」(G)

 町外れに「坂本善三」美術館がある。土地の民家風の建物が魅力だが、われわれは中へ入るこ となく隣の神社にある天然記念の大銀杏の樹や見事な夫婦杉を眺める。美術館前の稲穂が色づい た田園風景が美しい。坂本善三は当町出身の抽象日本画家。


 昼近くなったので小国町役場の正面にあるうなぎ屋「近江屋」へ入る。古い建物で広い土間が あって座敷が連なる。通された部屋の下に川が流れていて眺めがよい。うなぎ丼を注文。直焼き 鰻が香ばしい。建物も景色もうなぎも言うことはないが、タレが甘いのと、この店の幼児が走り 回るのがいけない。  出て北里記念館へ向かう。道の両側は手入れが行き届いた見事な杉の美林。この町の代表産業 は木材。観光案内所で貰った小国町全図によると「北里」は土地の名前で隣に「西里」がある。 北里記念館は大きな民家風建物で絵になる。裏に生家がある。入場料が要るので門から引き返し、 建物の写真を撮って去る。

 そのまま田中さんを豊後森駅まで送り、彼はご母堂の入所している小倉へJRで向かう。現在こ の町のJR最寄り駅は「備後森」しかない。駅で車の運転は尚介さんに変わった。駅近くのAコー プで夕食の買い物を済ませ午後3時なのでそこにあった看板を見て「九州芸術の杜」へ向かう。 近くかと思ったら延々と山道を走り朝行った久住の長者原近くだ。  「九州芸術の杜」には建物が4つあって、榎木孝明の水彩画、前田真三・前田晃父子の美瑛な ど北海道の風景写真、大野勝彦の絵と書、中村道雄の組木絵がそれぞれ1軒ずつある。建物は由 緒あるものを移築したのか。入場料1000円。

 4時に出て松井別荘へ。途中の酒屋で地酒1升を仕入れて帰る。九州の酒売場には焼酎は各種豊 富だが日本酒は少ない。


異変

 ところが、この晩は異変が起きた。恒例で善さんは宴会の途中で寝込んでしまった(もうひと り寝込むカメちゃんはまだ戻っていない)。いつもなら、もう一度起きて宴会へ復帰するか、あ るいは、そのまま朝まで寝てしまうのだが、このときは違った。しばらくして起き上がったはい いが苦しそうである。お腹が痛いと何度もトイレに通う。そのうちトイレに近いからと、同じ階 の台所のカウンターの前へ床を取った。そこに寝ていれば宴会をしているわれわれからも様子を 見ることができる。腹痛くらいは何ということはないから、最初はさほど気にならなかったのだ が、どうも様子が尋常でなくなった。我慢強い善さんのことで、少々のことで騒ぎ立てたりしな いが、普通に仰臥していることができなくなり、突っ伏して腹を押さえている。こんなに苦しむ のは見たことがない。いっこうに症状の改善する様子がないので、ついに山荘の固定電話から救 急車を要請した。11時前だったか。

 所要時間20分ほどと言われたが、それより早目に救急車から到着 の予告電話が入った。善さんといっしょに別荘地のゲートから外部 の道路へ出ると、ほどなく救急車が到着した。付き添いでぼくが乗 って救急車は出発する。車内の担架兼ベッドに横たわった善さんに は診察用の計器が付けられ、ディスプレイに心拍数などの波形が表 示される。看護師が一人枕元について、問診をしながら容態を確認 している。しかし、機器が常時発するピ、ピ、ピという音がやけに 大きく車内に響く。走行中の車の騒音よりうるさいくらいだ。あれ はなんとかならないものか。向かいの席で聞いているこちらはとも かく、耳元で聞かされる患者はたまったものではない。

 走行しつつも助手席から、搬送先の病院を探している電話の声が聞こえる。土曜の深夜とあっ て、近隣に受け入れ病院はなく、結局、済生会日田病院に向かうことになった。搬送先が決まる と、運転席を経由して病院の医師からの問合せが入り、付き添った看護師が容態を伝えている。 土地勘がないので、話の具合から遠そうだという以外、日田までどのくらい距離があるかわから ない。やがて高速に入りどこかで降りた。どうやら天瀬高塚から日田までのったらしい。日田の ICからは近かった。救急車が着くと救急用の搬入口で、医師と看護婦2名と事務方の人が待ち受 けていた。善さんはただちに処置室に入り、ぼくは事務方の男性から、善さんとの関係などにつ いて質問を受ける。この人、ごま塩頭で髭を蓄えタレントの藤村俊二に似ている。なかなか感じ がいい。

 細かいことはわからないが、こちらは処置室の前の廊下のベンチに腰掛けて待機する。検査の ためか善さんは台車に乗せられて1、2度出入りしてから、廊下を隔てた別室に移動した。看護 婦さんは、レントゲン検査は異常なく、念のため血液検査をするが、これも正常なら帰宅できる という。別室を覗くと、明かりを落とした部屋の中で善さんは点滴を受けていた。その間、こち らは山荘に連絡して済生会日田病院の電話番号を知らせる。もし善さんが帰れるようなら、大森 氏が迎えに来てくれることになった。さすがにこの返事は頼もしかった。大森氏は事態を見越し て、わずかながら仮眠を取ったという。病院までの細かい道順など説明は不要だ。電話番号が分 かればカーナビで一発である。われわれの前に両親に連れられた子供がいたが、その子の処置が 終わって立ち去るころには、血液検査の結果がでた。異常はないので帰宅できる。ひとまずほっ として、山荘へ電話をして迎えを頼んだ。

 病院の玄関口に着いた大森氏から携帯が入る。それまでに勘定は済ませてあったが、いざ退出 となると、薬が出るのを待って善さんの点滴の注射を抜いてと、大森氏をだいぶ待たせてしまっ た。別室から歩いて出てきた善さんも、もう血色が戻っていたので心配なさそうだ。帰途は、多 分、同じルートで戻ったと思うが、助手席に座って大森氏と話しをしているうちにも、何度か気 を失うように眠りに落ちてしまった。

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