南ア赤石沢 1978/8/11〜15

追記2011/11/24

この山行は下記の通過時刻以外の記録(→記録発見2011/12/06)はない。だから、ほとんどは現時点での回想である。

メンバー:大森、鈴木、井上、齋藤、橋元

●8/11
東京発 23:28
●8/12
井川 6:06
畑薙ダム 7:11〜8:25
赤石沢取付き 12:05〜12:25
幕営 14:10
●8/13
出発 6:30
ニエ淵上部 8:20〜8:45(岩壁を上流正面に望む)
ネジレの滝 10:30〜10:50
北沢出合 11:40
赤石大滝下 12:25〜12:45
大伽藍手前の滝 ?〜14:00
赤石岩小屋下(幕営) 14:50
●8/14
出発 6:00
大ゴルジュ高巻終了 7:40
大淵の滝 8:50〜?
百間洞出合 10:5〜?
百間洞大滝 11:00〜?
稜線 12:50〜13:00
広河原 15:30
小渋の湯 17:50

 

OJ記録(番号は1/2.5万と対応) このとき持参した地図に番号を記入したとおもうが地図は逸失

(1)赤石沢の遡行開始点は赤石橋を過ぎて牛首峠へかかる直前だ。牛首峠は両側から迫る2つの尾根の鞍部の切通になっている。この辺りで本流が道路から離れて左に曲がる。岩壁と路肩(本流左岸)のコンタクトする部分のガレを下降して河原に出る。

(2)遡行開始後、はじめて小さな淵に出会う。これは股下ほどの渡渉で左岸の岩に取り付いてへつる。何の困難もないがはじめての淵らしい淵として印象に残る。多分これがイワナ淵であろう。

(3)1泊目の幕営地は遡行開始後1時間45分ほどの地点である。ここは左岸に大きな岩があり、その岩と左岸のややかぶりぎみの岩壁の間にツェルト2張ほどの砂礫地がある。また、すぐ上手にも岩屋があって5人ほどビバークできる。幕営地点と岩屋の間に、はじめて高巻らしい踏み跡がある。岩屋の上流で、左岸から突き出した岩と右岸の壁に挟まれて、沢が急にくびれている。

(4)ニエ淵廊下の中間に1個所だけ河原の開けた場所がある。上流正面に200mほどの、木の生えたひだの多い垂壁が立ち上がり、ここで沢は右に折れる。この辺り、高巻の開始点か?

(5)ネジレの滝は大岩が乱雑に積みあげられたような滝で、これまでの小さめで美しい滝とはガラリと雰囲気が変わる。落差もはるかに大きい。

(6)赤石大滝は、右岸から流れ込む白蓬沢のF1の落ち口までトラバースして、そこから左壁の凹角を20mほど登る。グレードは3級マイナス程度。この滝を巻くにしても、右岸を高巻くよりは、滝壺を徒渉して左岸を高巻くほうが楽なようだ。

(7)大ガランの直前の滝は、右の大岩をハーケンを頼りに登る。ザックは吊り上げ。

(8)大ガランのトラバースは問題ない。やや高めに取ると楽だ。

(9)大ガランから大ゴルジュの間は幕営適地が多い。われわれは大ゴルジュ直前の赤岩の岩小屋よりやや下った河原で幕営した。雨が降ると岩小屋の裏から湧水があるかもしれない。赤岩の岩小屋は大きな岩の凹みで広くはあるが、地面の傾斜がきつく、あまり快適とはいえない。

(10)大ゴルジュの高巻取り付きは、シシボネ沢とほとんど合流するように赤石沢に出会うガラ沢にルートを取る。50mも登らぬほどに、踏み跡があるり草付きのバンドを右上するトラバースへ入る。トラバースから、木の根をつかんでほとんど垂直に思えるような登に移る。この登は高巻の取り付きから50分近くもつづいた。これは多分、われわれが巻きすぎたせいで、途中、ひとつだけ右に別れる踏み跡があったが、それが正解かもしれない。しかし、われわれが辿った踏み跡は明確で、斜度が相当緩くなり、対岸の間ノ沢をだいぶ過ぎたあたりから下降が始まり、小雪渓沢の右岸の岩壁に出る。右岸づたいに戻るように下ると、小雪渓沢出合のやや下流に出る。

(11)大淵はまことに大淵で、その深さ、広さともに赤石沢屈指の淵である。左の側壁をへつって落ち口に近づき、途中から直上して落ち口に出る。

 

この頃にはすでに岩登りのルートは相当数こなしていたので技術的な不安はなかったが、岩と沢とはまた性質が違う。前者はスポーツ的な性格が強く、後者は生活の匂いが濃い。さらに、前者は技をふるっての高度感との戦いであるのに対し、後者はある期間、逃げ場のない閉鎖空間にわざわざ入り込んでさらにそこを抜け出すという挑戦がある。いまおもえば、沢登りのほうがはるかに自分の性格に適していたとおもうが、岩登りの技術なくして沢はこなせない。

ま、とにかく、そうとうな意気込みで望んだ赤石沢であった。

畑薙ダムからは赤石沢取り付きまでは、大井川左岸に沿って、延々半日の林道歩き。思い出すことといえば齋藤君のすばらしい連想力だ。あの時期、道ばたに夏草の花がいろいろ咲いていたはずである。彼に問われるままに、あれは何、これは何と植物名を答えていた一つに「ヘクソカズラ(屁糞葛)」があった。可哀想な名前であるが、花も実もなかなか美しい。別に珍しい植物ではない。都会の垣根にも生えているが、大方、雑草としていやがられる部類の植物だ。名前を教えてしらばく歩いてから、同じ花を指して彼に名前を訊ねてみた。しばらくあれこれ考えての彼の答えは「クソミソソウ(糞味噌草)」。これには、暑さにうんざりしながら歩きづめていた皆が大爆笑。屁糞から糞味噌へ連想が愉快で、クソミソソウはいかにもありそうである。よい、息抜きになった。

6時間ほどの林道歩きを終わってやっと赤石沢に入る。もうそうとうに疲れが出ていたので、沢はそれほど遡行しないで幕営した。下の2つの写真は最初の幕営地のものだろう。すぐ上流が深い淵になっていて、井上君が釣り糸を垂らしたのではなかったか。もちろん、釣果はなかったと思う。彼は黒部の上廊下ですら釣れなかった。

沢登りに焚き火は欠かせない
別に焚き火で調理するわけではないが
翌朝、出発の準備か ワラジを湿して…………
スケール雄大な沢
まだ余裕の斎藤君、心配げに淵を見るカナヅチの井上君

次の写真、先行パーティがザイルを出して手間取り渋滞している。

左はすべすべの岩、水中にもテラスなし、泳ぐっきゃない
泳ぐOJ、短時間ならザックは浮きになる
 
またげるか?
沢登りの醍醐味
ちょっと気の抜けるところ
ザイルの要るところは多くない 大ガランの直前の滝か?
おっ、大岩のむこうに先行者あり
2泊目の赤石岩小屋下の幕営地だろう
このころはまだ元気だった齋藤君

沢の中で2泊して抜けるのだが、3日目は沢が狭くなったせいか写真がない。赤石沢の名称の由来であるラジオラリアという赤い岩石が河床に現れたのはそのころだったとおもうが、その写真がないのが残念。

最後は百間洞のテント場へ出る。その直前、沢が狭まって草地になるあたりがキジ場になっていたので、どうもこのテント場の印象はよくない。記録を見るとここへは泊まらず小渋の湯まで下っている。このころすでに、齋藤君は発熱していたのではないかと思う。稜線から小渋の湯まで5時間ほどあるが、若いとはいえ頑張ったものだ。小渋の湯まで着く頃には、高熱で震えていた記憶する。

われわれはみんな、「小渋の湯」(現在は地名に“跡”が付いている)の地名からして、さぞかし小屋があって温泉が湧いているとばかり思い込んでいた。ところが、たどりついてみると、小屋はたしかにあったが治山工事の宿泊施設で、それ以外の建物はまったくなかった。温泉などどこにもない。あちこちの水溜まりに手を突っ込んでみたが、どれも温もりさえなかった。

しかし、最大の問題は酒を切らせていたことだ。縦走とちがって重量はできるだけ抑えている。最後に酒がなくなるのは予想していたが、温泉なら当然酒もあるだろうと決め込んでいた。最終日の宴会を期待していたわれらの落胆は大きかった。そこで思いついたのが作業小屋である。ちょうどお盆の時期で工事は休み。小屋は無人であった。彼らが酒を飲まないわけはない。あの小屋には酒があるはずだと、窓から中をうかがいながら、プレハブ小屋の周囲を一巡してみた。やっぱり、あった。ワンカップの酒が台所の棚にいくつか置いてあるのが見える。ドアは施錠してあったが、窓に手を掛けるとするすると開いた。窓から入り込んでお酒を失敬したのである。確か冷蔵庫の中も覗いたが子細は憶えていない。もちろん、盗む気はないから、相応の代金をそのカップのあった場所に残してきたのはいうまでもない。これで、無事に宴会が果たせたのであった。齋藤君は宴会どころではなく先に休んでいたが、あの頃の彼はまだ酒は飲まなかった。それでも翌日は、バス停までの長丁場を支障なく歩ききった。

ぼくにとって一番の沢の体験といえば北ア笠岳の笠谷の遡行である。これは沢登りだけの評価でなく、その沢を探しだして、調査して、丸1日薮をこいで沢筋まで到達して、というトータルな経験を込めている。しかし、沢登りだけの魅力を取り出せば、この赤石沢が一番かも知れない。このあと、善さんは田中君ともう一度赤石沢を訪ねているが、そのときは沢の途中に発電の取水用のパイプが貫通したあとだったと思う。

赤石沢の打ち上げにて! 

アいや、嘘です。赤谷川のアルバムの最後のページに貼ってあって、あまりにご機嫌そうな2人だったもので…………

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